028.私、決めたことがあるわ
それから伊月が落ち着くまでに数分がかかり、その間僕と誠で魚を切ったり焼いたりしていた。その間柳井が伊月の様子を見てくれていて、ようやく落ち着いた伊月と次に話したのは魚を焼き終わった後、昼食時間だった。
僕たちはキッチンエリア外の丸太を切ってできたような趣のテーブルに着席していて、僕の隣に誠、対面に柳井、誠の前に伊月が座っていた。
「……私、決めたことがあるわ」
食事中、伊月がおもむろに話し始め、正直僕はびっくりした。それまでは何か話題を皆が探るような嫌な沈黙が食卓を支配していたが、それをかき消すのが伊月になるのは予想していなかったのだ。
話し始めた伊月に皆が注目する。
「柳井さんも瀬野くんも、自分の好きなようにやって生きてるって言ってたわね。上村くんだってそうだって。しかもそれは私でもやっていいことだって。それをみんなで伝えてくれて、私自身にどうしたらいいのか選ぶチャンスをくれた。だから、私もそうするわ。ここまでしてもらってそうしなきゃ失礼だもの」
「……そうか」
「うんうん、それがいいよ!」
僕と柳井が言葉を返す。誠は代わりに大きくうなずいて続けた。
「だけどよ、お前親父さんのの目とかもあるんだろ。その辺どうするんだ?」
「そうね。そこが問題なのだけど……こうなる前にちゃんとあなたたちに相談する。前にも柳井さんが相談してくれって言ってたの、思い出してたのよ。あなたたちになら、ちゃんと話すことができるしね」
「そうだよ伊月さん! こうなる前に話してくれなきゃ」
ぶーぶー、と続けて不満アピールをする柳井。個人的には相談があったかなかったかの話はどうでもいいのだが。
「瀬野くんから電話がかかってきたときね。本当はちゃんと話をしようと思ったのよ。せっかくこんな時の自分でも自分自身を見てくれた人から電話がかかってきた。だからすべてはなそうって思ってたのよ。でもできなかった。そこで瀬野くんと話したら、自分の中の何かが壊れてしまう気がしてしまったのよ」
それは、僕にも経験がある。羽織先生に言われてリスクヘッジが一種の逃げであると自覚した日。その時僕の中からリスクヘッジに対するこだわり、プライドのようなものが壊れていくのを感じた。
たぶん、伊月が言っている何かが壊れる、というのもこれに似たものなのだと思う。あの状況で僕に素を見せることで、彼女のプライドとかこだわりみたいなものが、ガラス細工を落としたときのように粉々に砕け散ってしまうのだろう。
伊月は完璧主義者だと思うから、思いつくので言えば親御さんから言われた完璧なお嬢様を演じれなくなってしまう、というプライドか。あるいはそれすら完璧にこなして見せようという反骨心か。いずれにせよ、そう言ったものが消えてなくなって、自分が一番嫌な姿を僕に見られて、いや、聞かれてしまうところだったのだろう。
「……悪かったよ、電話して」
「いいのよ。私こそごめんなさい。こんな話してしまって」
お嬢様としての対応ではない、素の伊月凛としての謝罪。それが珍しいものであるのはなんとなくわかる。伊月凛はプライドが高く、完璧主義者で、皆のおもちゃとなることを嫌う人物なのだと思うから。
「ま、これにて一件落着だな。てかカズよ、お前と柳井が喧嘩したと聞いた時にゃ終わったと思ったけどな」
「あれ私もびっくりしたんだから。つい止めに入っちゃったじゃない」
「お前あれ人として当たり前のことをしただけって言ってたよな」
「さあ? 覚えてないわ。そうやって人を貶めるのはよくないわね、瀬野くん」
「うわー瀬野くん最悪ー終わってるー」
卓上の雰囲気は、伊月の買い物に付き合った日。そのルナーズの個室での雰囲気にほぼ戻っていた。
◇ ◇ ◇
羽織先生の悪い癖だ。
野外活動から数日たった放課後。僕は羽織先生の呼び出しを受けていた。相変わらず、話しの整理ができていない状態で話そうとするから日本語が追い付いてこない。ああ、うう、なんだ、と唸る、もはや恒例行事だ。
「あー……あれだな。伊月の様子が変わったようだな」
「そうですね。元気すぎて引っ張り回されるので僕としては迷惑してますが」
お嬢様を数日演じていた反動だろうか。それからの伊月凛は壮絶だった。これからは自分のやりたいように生きる、と僕たちに誓っていたが、その言葉から余るほどの自由奔放傍若無人っぷりだった。ストレスが解放された伊月はここまで恐ろしいのか、と二、三日前に小一時間考えたくらいだ。
「で、僕を呼んだってことは伊月の親御さん関係ですか」
皮肉たっぷりに言ってみた。羽織先生が僕を呼び出すときの要件は、たいていがこれだからだ。
「えー……その……どうだ……ああ。確かに伊月の父親の話だが、今回のは朗報だ。安心しろ。その証拠に……あれだな……私のタバコも、今日は進んでいないだろう」
確かに羽織先生のキャラになく整理された机の上の灰皿、いつも山盛りの吸い殻が、今日は小盛り程度に収まっていた。
「まあタバコがどうだとか知らないですけど……」
「てか……あれだな。知ってたら松葉先生に連行させる」
「本当に知らないのでやめてくださいね」
あの人の話題は駄目だって。マジであの人大丈夫なの? いろんな意味で。
「それで……あの……あれだよ。まずは伊月との面談を廃止した。あと……あれだ……そうだな。伊月のオヤジさんとの定期的な連絡もしばらくはない」
「え、まじすか。何でまた」
これは伊月にとっても過ごしやすい環境が整った、ということなので間違いなく朗報だ。ただ、ここまで都合よく話が進むと何か裏がありそうで怖い。
「何でって……えー……あれだ。最近の伊月の様子を……そうだな……『完璧で本人も今が楽しそうに過ごしている。今のまま様子を見ればいい結果が出る』と親父さんに伝えたらな。上機嫌になっていたよ。だから……その……何だ。ことわざ……嘘も方便って奴だよ。これは……あれだ。授業では教えてもらえない処世術の一つだ。リスクヘッジに生かせるかもな」
羽織先生は確かに上機嫌だった。先生は今まで僕のリスクヘッジ的視点を肯定したことがなかったのだ。それがいきなり、肯定的になっている。その時点で、かなりテンションが高いのがうかがえるし、分厚い銀縁眼鏡の奥のいつもは死んだようなオーラを出している瞳さえ、今日は心なしか輝いているようにも見える。気のせいか。やっぱ気のせいかも……。
「リスクヘッジは辞めますって言ったじゃないですか。言いましたっけ」
「えー……あれだ。大事なのは言ったか言ってないかじゃない。それにだな……あれだよ……やめる必要もない。言い訳に使うのをやめろってことだよ。何も……別に……何だ……それだけやめることができれば、その考え方は君の長所になる可能性もあるのだからな」
僕の長所。特に考えたことがなかった。柳井はぶっ壊れているほど頭がいいし、誠は気遣いの男だ。伊月は……プライドが高いから意志も強いってところだろうか。
「まあ……あれだな。何より今回は君が一番成長したのだと思うよ。その……あれだよ……君という存在が他人のために涙を流し、他人のことを考えて、他人のために声をかけて、他人を助けようとしていたのだから」
言われてみれば、それは本当に大きな変化である。僕個人としては、あの楽しかった四人の時間を取り返す、そこから逃げないように気を付ける、ということばかり考えていただけなのだが。
ただ、これを高校二年の始業式の日の僕に言ったらどうなるだろうか。羽織先生から、君は一か月もしたら他人のために行動するようになる、とでも言われたら、当時の僕はどう云う反応をするだろうか。
たぶん、鼻で笑って信じない。
だからそれは、成長できたということなのだろう。自分自身がどこへ向かうのか分からなくなっていたが、この成長できたという実感は、その方向が正しかった自身につながるのを感じる。
だから最後に、羽織先生にも一言伝えておこうと思う。伊月と仲良くなるきっかけをくれたことに対して。伊月が無事に学校生活をまた楽しめるようになったことに対して。そして、自分自身を成長させてくれたことに対して。
「先生、今回はいろいろとありがとうございました!」
ここまでお読みいただきありがとうございます。筆者のはしおと申します。
これにて第二章・野外活動編、完結となります。
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