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025.さすがに女子の寝顔覗くのは悪趣味だぞ

「ああ……えー……あれだな。最後に怪我だけはしないようにな。あれだよ……元気に山登って帰ってくるまでが野外活動だからな。じゃあ……あれだ……バス。バスへ移動するぞ。あと瀬野はホームルーム終わったら前へ来い」


 野外活動の日までホームルームの後に羽織先生に呼び出された件。何だってこのタイミングで呼び出されるんだろう。あまりいい予感がしない。


 嫌な予感を覚えながら、クラス委員らしき女子生徒の号令で礼をし、校庭に止まったバスへ向かうクラスメイトをかき分け教卓前へ移動する。


「あー……悪いな。その……あれだよ。伊月の様子はどうだ?」


 教壇に上ったことで僕の目線と同じ高さになった分厚い銀縁の眼鏡の奥が、どろりと僕を捉える。相変わらず眠そうで気だるそうで、死にそうな目つきをしていらっしゃる。


「今日の今日謹慎からから戻ったばかりの僕に聞きますか。まあ順調にお嬢様です」

「そうか……その……あれだ。謹慎明けだからこそ喧嘩だけはよしてくれよ」

「それ僕だけじゃなくて柳井にも言えるんじゃないですか? ひいき、駄目、ゼッタイ」


 僕と喧嘩した柳井が言われないのは不公平だ。その思いが抜けずに、不服な声で言ってしまった。


「お前は……その……反省が足りていないのか。また……あの……あいつだ。松葉先生に引き渡すぞ」

「そりゃ反省してますとも、ええ」


 あんな極道みたいな顔つきの生活指導教師からまた指導を受けるなんて、そんなリスクは削除。僕は咄嗟に判断して、改まって反省した態度で答えた。てか羽織先生、よく松葉先生のことあいつだなんて言えるな。無意識なのだろうか。


「……まあいい。その……まあせっかく四人になるんだ。君たちが夜まで出かけてたほど仲がいいのは知っている。あれだな……今日は伊月をよろしく頼む」

「……それこそ柳井に言ったほうがいいです。あいつにはなんか秘策みたいなのがありそうな感じなんですけど、僕らは彼女の言う通りにするだけですから」


 少し自嘲気味になって答えてしまう。僕は運動のできない凡人で、柳井麗美という存在なしにはおそらく一度さえ伊月を仲間に取り込むこともなかっただろうし、こうして伊月他三人との関係性を望むこともなかっただろう。


「そうか……そうだな。ただ瀬野くんよ、君は唯一伊月のほうから仲良くなりたいと思われた人間なんだ。それを……そうだな。忘れるな、とでも言っておこうか」

「……覚えておきます」

「じゃあ……あれだ。移動するか」


 羽織先生の言っている真意は、相変わらず読み取れなかった。ただ、言われたことは覚えておこう。

 僕たちは校庭へ移動を始めた。



  ◇   ◇   ◇



「瀬野くんおそーい。おそーいから席は上村くんの隣ねえ」


 バスに入ると、前から三列目の左側に伊月と柳井、右側に誠が座っていた。柳井は僕に声をかけると反対側に座る誠の隣の空席を指さして示してくれて、伊月は窓側に座ってこっちに右手をフリフリしていた。誠はご丁寧に窓側を僕に譲ってくれた。僕すぐ車酔いしちゃうからね。この辺りの気遣いはさすがの一言だと思う。


「ふう……あれだな。点呼とるぞ」


 羽織先生が一番前の右側の座席に座ると、クラスメイト全員の名前を班の順に読み上げた。①班扱いの松尾の班は僕たちの前列に座っているようで、②班の僕たちが返事を返すとその声はどんどん奥のほうへ進んで言った。


 点呼が終わるとバスが発進。いよいよ近所の小高い山へとバスが向かい始める。


「カズよ、お前車酔いは相変わらずなのか?」


 動き出したとほぼ同じくらいのタイミングで、誠が僕に声をかける。


「……全く改善しないな」

「お前ほんと虚弱体質な」

「うるせ」


 僕が悪態をつくと、誠との間を一瞬の沈黙が流れる。前の列に座っている松尾や、無理して伊月と会話を盛り上げている柳井をはじめ、結構なクラスメイトがはしゃいでいて車内はうるさかったが、 僕たちの座席の間だけは沈黙が包み込んでいた。


「……俺さ、考えたんだが」

「ん?」


 数分黙り込んだ後にまた誠が僕に訊く。隣に座ってはいるのだが、特に目を合わせることなく、目の前の座席に視線を合わせたまま話す。


「もし……仮に、の話だけどよ。伊月がもし、元の自分に戻りたいと思っていたとする」

「あいつの真意は分からんがな」


「まあそうだけどよ。戻りたいのに戻れない事情があったとしてだよ。それでも俺たちは元の伊月と接するように無理してる。松尾たち……の松尾以外が無理してるのもバレバレだったし、お前も柳井もぎこちないのが分かる。たぶん俺も相当変な行動してるように見えてると思う」


「ああ、ちょっと笑いそうになるくらいな」

「お前もだよカズ」


 言いあってお互いくすりと笑う。


「まあお互いだよな。で、それは伊月から見るとだな。みんながみんな自分が元の、素の自分を出してくれることを待っているように映ると思わないか?」


 柳井から言わせれば、僕は人間関係に疎く不器用な男である。だが、ここまで説明されれば、少しも感じるものがないわけではない。


「……僕も含めてみんなが素を見たいのが伊月からはどうしても分かるってことは、みんなが自分を受け止めてくれる……あの伊月と班を組んだ時の望みが叶うのに、自分はその環境を受け入れてはいけないってことか」


 伊月凛のコンプレックスは、皆が一様に自分の事を装飾品やアクセサリーの一つのように、自分とうわべだけの付き合いしかせず、またうわべだけをお嬢様らしく塗り固めることで本当の自分をさらけ出して関わることができないこと、みたいなことを本人が言っていた。あの初めて伊月と話した日から、だ。


「そうだ。だからな……俺にはなんとなく柳井の狙いが分かる」

「……どう言うことだよ」

「つまり柳井は今日、伊月のほうから素の自分を出してくれることを期待しているんだよ。いや、言い方を間違えたな……改まった社長令嬢としての自分か、頭のぶっ壊れた本当の自分かを伊月に選ばせている、ってとこだな」


 なるほど。そう考えるとちょっと柳井が今日一日は普通に今まで通り伊月と仲良くすればいいと敢えて言っていた意味が分かる。そして柳井麗美という何かは、やはり女子高生という存在を超越した何かだと考えざるを得ない。


 誰も本当の自分を見てくれない。かつて伊月はそう言っていた。


 だから、みんなが本当の伊月を見たい。そう思っている雰囲気を醸し出す状況を作り出す。そのためには、普通に一日伊月と話していてはいけない。僕たちが伊月と仲良くしようとしている、本当の伊月を見ようとしている雰囲気を出さなければいけない。そのために、柳井はあえて僕たちに敢えて伊月と仲良くするように言ったのだろう。


 そうすれば、あとは伊月自身の問題だということになる。どんな伊月凛が現れようとも、周りが受け止めてくれるだろう環境は整ったのだ。あとはそこに乗っかるも、立ち去るも伊月が自分で決めることだということなのだろう。


「ま、柳井の考えることなんて俺たちが考えても無駄だけどな。本当はもっとすげえこと考えてるのかもしれねえし」


 ふと、伊月と柳井のほうを見やる。遊び疲れて眠ってしまっているようだ。その伊月の寝顔は、人形みたいに美しく、作り物のように繊細だった。


「……さすがに女子の寝顔覗くのは悪趣味だぞ、カズよ」

「そ、そんなんじゃねえ」


 指摘されて焦ってしまう僕。何か本当に下心ありありで見てたみたいになっちゃうじゃん。誠が相手だし正直に意見を言おう。


「そんなんじゃなくてよ……あいつ、何考えてんだろうって。なんか腹立ってるわけでもないし、イラついてるわけでもないんだが……なんか釈然としなくて」

「お、あの人間関係を嫌ってきたカズがそこにもどかしさを覚えるか。羽織先生も言ってたけどよ、お前本当に成長したんじゃねえか」

「うるせ。もう僕も寝る」


 最後に誠が言っていた成長の意味を考えながら、僕の意識は睡魔の森へと呑み込まれていった。


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