024.私はこれから班のみんなと話すから
それから五分後くらいに、伊月は僕らの予定通りに教室にやってきた。上品に教室のドアを開け、華麗に自席へ歩く姿は、その身にまとっているえんじ色のジャージさえも端正なトレーニングウェアにすら見せさせるほどの佇まいだ。
「凛ちゃんが学校に来たら、まずはオレの出番だもんな」
伊月を見つけた瞬間にスキップで伊月の席へ駆け寄る松尾。木天蓼を見つけた猫のように、ほかのものとか今の状況とか、そう言うのを忘れてしまったかのように吸い付けられるようにそちらへ歩き出していた。
「……変に頼もしいな。俺はあそこまで徹底できない」
「僕にも無理だわ。てかあいつの場合、本当にバカなだけだろ」
「……何かボクまで恥ずかしいよ」
男性陣は三者三様に感想を述べているからまだいいものの、女性陣に至っては完全に引いている。松尾班の野外活動は朝っぱらから最悪の出だしと言ってもいい。僕だったらこの時点で家に帰る。そんなこと言っちゃ駄目か。反省してますとも。
「凛ちゃんおはよーう」
「あら、松尾くん。ごきげんよう」
言葉より先に手が出るような雑な対応ではなく、完璧なお嬢様としての対応。クラスメイトの模範というにはできすぎな対応が松尾を襲う。
「体操服姿の凛ちゃんも、また魅力的だよ」
それ、言う人に言えばセクハラだからな。なんてツッコミは置いておいて、
「いつもありがとう。じゃあ、私はこれから班のみんなと話すから」
「え、そうなの?」
松尾がきょとんとして言葉を返す。このままわけのわからないと言った表情で、僕たちのほうへ歩いてきた伊月の後を追うようにして松尾も帰ってきた。
「松尾くーん、つまんなーい」
「え、だっていつも通りだ……だろ?」
「ほんとつまんない、おばかさんだね」
松尾を見て言い放った柳井の低音が怖かったが、表情自体はどす黒くよからぬことを考えている悪い笑みではなかったのでそこは安心した。
「みなさんごきげんよう。ちょっと、上村くんの班のみんなに用なんだけれど」
「伊月さん久しぶりーだーよー」
「柳井お前反省してんのか」
「してるーよー」
そして伊月に言われたとたんに切り替えて例の変なテンションとイントネーションで返した柳井。そんないきなり表情とかテンションを切り替えられるもんかね、相変わらず柳井のキャラの変遷は忙しいし、今日もその最新型計算機のような脳みそは絶好調でキレキレのようだ。で、謹慎明けからふざけた態度の柳井に冗談っぽく誠がツッコむ。僕は黙ってそれを見ている。
僕も無理をしていたし、柳井も誠もそうだと思う。けど、僕たちはとにかくいつも通りの僕たちであろうとしていた。
「……じゃあ、私たちは私たちで今日の計画の振り返りなんかしてようか」
「うん、そうだね!」
「ボクたちもそろそろ話し合わなきゃ」
「いや伊月さんと話したい。てか瀬野ちゃん班変わって」
川村さんの招集に応じた加藤さんと細川に引きずられるようにして松尾もいったんこの場から離れる。てかいまだに班変更とか言ってくるのか松尾。先週班が決まってから何回言われたか分からないけど、当日まで言ってくるか。何たる執念。
この状況で何も考えずに普段通りでいられることをうらやましくさえ思う。なぜなら、明らかに加藤さんや川村さん、細川の去り方はぎこちなかった。普段通りを演じているのが見え見えだ。たぶん僕たちも松尾班から見たらぎこちなく見えてるのだろう。
でも、それでいいはずだ。柳井麗美という存在がそうしていいと言うのだから、僕たち凡人はそうすればいい。彼女という存在は、何よりも正解を導く確率が高いのだ。
ふと、伊月が視界に入る。その表情は、どことなく悲しげで。何か言いたいことがあるのを、こらえているような表情にも見えた。それに気づくと、何か胸が締め付けられるような、とても後味の悪い感覚が胸に残る。この心のしこりは、いったい何なのだろうか。
「……みんな魚は持ってきたか? 僕は鮭を」
そのまま口を開くと、思ったように言葉か出ず、何か片言のような変な日本語をしゃべったような感覚に襲われる。
結局、魚は個々人が好きなものを買って各々持ってくる方針に変えた。そのほうが荷物も分担するし、公平だということで伊月が決めたものだった。
「ええ、もってきたわ。大丈夫よ」
「抜かりはないな」
「だーいじょーおぶー」
柳井がまたおかしなアクセントでしゃべっているのと、伊月がお嬢様状態であること以外は、僕たちの班の準備は万端だった。いつも通り過ごせと言っている本人がおかしなテンションになってしまっているのは何故だろうね。
「ところで瀬野くんの山登り、大丈夫かしら?」
「確かにな。カズ、お前がギブアップしても俺たちは歩くのをやめないぞ」
「いいねえ、瀬野くん置いてけぼりにするほうが面白そう」
「僕の運動能力の扱いがひどい点について」
冗談のつもりで言ったは言ったのだが、確かに持久走も短距離走も投擲種目も跳躍種目も陸上十種競技全てで学年最下位をただき出すのは間違いなく僕だと思う。でもさ、それにしてもみんなの扱いひどくね?
なんて余計なことを考えながらまた伊月の表情を確認する。楽しそうに笑っているが、そんなに心から楽しんでいるような笑顔ではない。笑顔が引きつっているというか、完全に愛想笑いなのが見て取れる。
柳井は僕のことを不器用だというが、みんなそうじゃないか。上村班の中でだって、みんなお互いに無理してるのが僕が見ても分かるくらいだ。釈然としない笑い声の後、
「大丈夫よ。辛かったら私に言いなさい? しっかり助けられると思うから」
おお、お嬢様状態になっても垣間見えるおかん属性。何か今回の目的忘れて甘えちゃいそうになっちゃうだろ。
「だめだ甘やかすなよ伊月。こいつにはちょっと根性が足りねえんだよ。すぐリスクリスク言い出すしよ」
「……誠よ、お前さっきから楽しんで言ってるだろ」
「何がだよ?」
そんなぎこちない僕らを尻目に、ホームルームの時間はやってくる。必要な時、時間は非常に短く感じられる。サッカーのひいきチームが負けてる時の、後半戦の短さを想像すれば分かりやすいかもしれない。
「えーと……どれだ……そうだ。あれだな、今日は野外活動だ、いっぺんみんな席につけ」
おばさんくさいえんじ色のジャージがミラクルフィットした羽織先生が、クラスに号令をかけていた。似合いすぎて笑っちゃってるクラスメイトが数名いるが、僕は敢えてツッコまない。羽織先生からダメな生徒としてマークされるようなリスクは削除。
いよいよ、僕たちの野外活動が始まる。伊月凛という偶像を丸裸にして、元のぶっ壊れた伊月に戻す。その為の一日が今、始まろうとしていた。




