菫色アプローチ大作戦 ―5
その後は誰にもバレないように速やかに気絶したアドニスの身体を生徒会室へ運び込むと、備え付けのソファーの上に横たわらせ、安静にさせながら彼が意識を取り戻すのを待つことにした。
幸い、アドニスは頭を氷塊に打突された以外の怪我はなさそうであった。
その氷塊が当たったことにしても、精々デカいたんこぶが出来たくらいで済んだようだった。
それなら大丈夫だな、とサレナは密かに思う。人はたんこぶくらいでは死なない、サレナ自身がその証明である。まあ、前世の記憶とかを思い出すかもしれないが……。
今はとりあえずカトレアさまが冷水で湿らせたハンカチでそのたんこぶを冷やし、アネモネが横から自身の属性である風の魔術でアドニスの顔にそよ風を送っている。
二人とも、心の底から心配そうな表情である。
アドニスの看護はそんな二人に任せて、サレナは誰も入ってこないように出入り口を見張っておくことにした。
といっても、生徒会室に入ってきそうな人間は後はロッサくらいのものであったが。
しかし任せておけ、あいつが入ってこようとしたら久しぶりに全力の魔術でぶっ飛ばす。
サレナは凶暴な笑顔でそれに備えていたが、残念なことにそれよりもアドニスが意識を取り戻す方が先であった。
「……うっ……ここは……?」
うっすらと目を開けながら、アドニスが不思議そうにそう呟く。
「アドニス!」
「お兄様!」
それを確認したカトレアさまとアネモネが、一気に安堵の表情となった。
サレナも流石にこの時ばかりはホッとした。
「カトレア……アネモネ……それに、サレナさん……?」
アドニスはソファーに横たわったまま視線だけを動かして自分の周囲にいる人間を確認すると、何故自分がこの三人に囲まれているのかわからないらしく、不思議そうにその名前を呟く。
「どうして、君達が……いや、それよりもどうして僕は生徒会室に……?」
「……先輩、どこまで覚えておられますか?」
上半身を起こすと、やはりまだたんこぶが痛むのか顔をしかめつつそこを押さえるアドニスに、三人の中ではまだ比較的に冷静な方のサレナが代表して問いかける。
「…………すまない。どうも、生徒会室に戻るために廊下を歩いていたところまでしか思い出せないんだ……」
目をつぶって必死に思い出そうとしていたアドニスだったが、やがて力なく首を振るとそう言った。
どうやら氷塊の直撃で都合良く先ほどの短期的な記憶を失ってくれたらしい。
これには別の意味で三人ともまたもやホッと安堵の息を吐く。
「一体何があって、僕はここで君達に囲まれているんだい……?」
「アドニス先輩は、廊下で転びそうになったカトレアさまを咄嗟に助けようとして、自分も一緒に転んでしまったんです。その時に頭を打って、気絶してしまったんですね。それを通りがかった私達が生徒会室に一緒に運び込んで、介抱していたというわけです」
やはり自分の記憶がないというのは相当な違和感があるのだろうか。不安そうに三人へ尋ねかけてくるアドニスへ、サレナが淀みなくすらすらとそう説明する。まあ概ね嘘は言っていないからいいだろう。
「カトレアが……!? 転ぶ……!?」
常々完璧な女王といった振る舞いのカトレアさまにあまりにも似つかわしくないその単語と事態に過ぎたのか、愕然としながら自分が気絶したことよりも先に思わずそちらへの衝撃を呟くアドニス。その様子を見るに、どうやら本当にさっきの記憶は全くないらしい。
そして、そんな「信じられない」と言いたげなアドニスの呟きを聞いて、カトレアさまは先ほどの色々なことが改めて恥ずかしくなってきたのか、顔を真っ赤にして俯き、小さくなってしまっていた。
「……そうだったのか……カトレア、君の方は大丈夫なのかい……?」
「え……ええ、おかげさまで……あなたのおかげよ、ありがとう。そして、ごめんなさい……その、巻き込んで、気絶までさせてしまって……」
次にアドニスがすぐさまカトレアさまの方を向いて心配そうにそう問いかけてくるのに、カトレアさまは益々小さくなりながら本当に申し訳なさそうに謝る。
実際は自分が彼を下敷きにした挙げ句、スカートの中に頭を突っ込まれた姿勢になっていることに混乱して魔術で気絶させてしまったというのが真実となる。それを思えば、彼女にとっては謝っても謝り足りないくらいだろう。
「――いや、いいんだ。君に怪我がなくて、本当に良かったよ」
だが、アドニスは爽やかに微笑むと、まったく事も無げに、優しくそう言った。まさしく王子様の面目躍如といった感じの態度であった。
「…………!」
そして、それを向けられるカトレアさまは、今度は恥ずかしさからではない感情に頬を染めて、何も言えずに俯いてしまった。
そんなやりとりをぼんやり眺めていたサレナはそこでようやく気づく。
これは、あれだな。いわゆる、"いいムード"ってやつだな、多分。
想定していた形からは大分歪んでしまったが、辿り着けたなら結果オーライだろう。そういうことにしておこう。
サレナはそう思い、同じくそれに気づいたらしいアネモネと視線を合わせると頷き合って、黙ったままそっと生徒会室から二人で抜け出す。
廊下に出るとそこで待機し、「あとは頃合いを見てから戻るとしよう」と、そう思いながらも、
「…………」
サレナは同時に、そこで起こった先ほどの二人の転倒シーンを振り返りつつ、考える。
いや、いくらなんでもああはならんだろ……、と。
そして、一つの推測を立てる。
……どうも、カトレアさまは"エロコメ体質"らしい。
"そんなことあるのか"と、メチャクチャすぎる自分の仮説に自分でツッコミを入れつつも、念のため今度からああいうイベントをカトレアさまに仕掛けさせるのはやめておこうと心に誓うサレナであった。
……だって、世界のジャンルが変わってしまいかねないからね。




