中学二年生の仲秋、怜の修学旅行 その2
「修学旅行前にボクたちの親睦を深める必要があるんじゃないかな」
そう言い出したのは、五十嵐俊だった。
修学旅行の班が決まった次の「総合」の時間のことである。
この日はそれぞれの班で、判別行動のスケジュールを決めることになっていた。
「どういうことだ、シュン」
「それだよ、怜」
「ん?」
「ボクとキミは、名前で呼び合う仲だ。でも、この場にいる6人全員がそういうわけじゃない。もちろん、みんながみんな名前で呼び合う必要は無いよ。それ自体は好きにすればいい。でも、名前で呼び合えるようなそんな仲の良さを今のうちから作り上げておくべきじゃないかな。二泊三日行動を共にするわけだから」
「具体的にはどうするんだよ?」
「ボクの家でゲームをしたりバーベキューをしたりして、その日が始まる頃には微妙だったボクらは、楽しく過ごしているうちに、その日が終わるころには、6人全員が親友同士になっているっていう寸法だよ」
パーティメンバーには、それほど癖がありそうな子はいないようであるので、別にそんなことをしなくてもよさそうではあるけれど、まあ、して悪いということも無いだろう。
「ていうのは、まあ、口実で、実はさ、ボクがあまりにも家に友達を呼ばないから親が心配しているんだ。特に母がね。『シュンには本当にお友達がいるのかしら。いつもお友達の話をしているけれど、あれは、鏡の中に住む想像のお友達じゃないのかしら。お友達がいないなんて、わたしの育て方が何か間違っていたのかしら。ああ、心配だわ』ってな具合でさ、そこで、現実の友達が少なくともここに5人いるってことを証明して、安心させてやりたいんだ」
「一つ聞きたいことがあるんだけど、シュン」
「なんなりと」
「お母さんは、本当に『かしら』なんていう語尾を使うのか?」
「ごめん、使わない。本当は、最後に『ござる』ってつける」
「それを聞いて安心した」
「と言うと?」
「『かしら』なんていう語尾を付ける家に行くには、正装していかなきゃいけない」
「ラフな格好でいいよ」
「本当だろうな? オレにだけそう言って、他のみんなを正装させて、オレ一人に恥ずかしい思いをさせるつもりじゃないのか?」
「どうしてそんなことをするんだよ。キミはヒロインじゃない」
「だから悲劇なんだ」
俊の提案は賛同を得られた。
総合の時間の後、掃除を済ませた怜は今日もこの前と同様に部活動を自主的に休んで帰ろうとしたところで、同じ班の賢に声をかけられた。
「途中まで一緒に帰らないか」
「喜んで」
そう言いながら、怜は周囲を見回した。
賢がいるところには、ほとんど必ず彼の幼なじみもいるはずだった。
「どうかしたのか、レイ?」
「いや、どうもしない」
「誰かに追われてるとか?」
「そんな重要人物じゃない」
「自分の価値は自分ではよく分からないからな」
「世の中、いや、オレの周囲にケンのような人ばかりだったら、よっぽど楽しいだろうな」
「ここから別れ道まではそうなるさ、行こう」
怜は念のため訊いておくことにした。
「倉木は?」
「日向がどうかしたか?」
「いや、いつも一緒に帰っているじゃないか」
「いつもじゃない」
「ほとんどいつも」
「それは当たり」
「今日は?」
「ヒナタは部活があるんだけど、オレはたまたま休みだから」
「終わるまで待っていなくていいのか?」
「オレとヒナタってどう見えてるんだろう」
「大丈夫。家来と主人のようには見えてない」
「それを聞いて安心したよ。とにかくヒナタはいない。帰ろう、レイ」
怜は、別れ道までの10分ほどの道行きを楽しんだ。賢は、学校の友人の中で、ほとんど気を使わなくてもいいわずかな人の一人だった。俊と同じく2年生になってから付き合い始めた知り合いで、善良な人である。同年代の友人で、最も善良な人かもしれなかった。そうして、彼がこの世にいるということでもって、この世界が正しいところであるかもしれないという思いを抱かせるに足る人でもあった。
「楽しみだな、修学旅行」
賢が言った。
「その前にもお遊びがある」
「結局、何をやるんだろう」
「その辺は、シュンが考えるだろ」
「レイと知り合えてよかったよ」
「いきなりどうした?」
「いきなりじゃない。友情の握手をしたときからそう思っている」
「ありがとう。オレも全く同じ気持ちだよ」
「こういうことは言えるときに言っておかないとと思ってさ」
「どこかに引っ越すとか?」
「いや、そんな予定はないよ」
「体調が悪いとか」
「早寝早起きしているせいか、風邪一つ引いたことない」
「悩み事がある?」
「幼なじみをうるさく感じることはある」
「それはウソだな」
「ウソ?」
「ああ。お前は、そんなことは気にしない。倉木のことは、自分の運命だと思って引き受けているハズだ」
「どうして、そんなことが分かるんだよ」
「どうしても」
「レイは何でも知っている」
「見ていれば誰にでも分かることだ」
「誰からもそんな風に見えてるって?」
「おそらく」
「やれやれ……まあ仕方ないか。にきびだって自分の顔の一部なんだからなあ、むやみと嫌がったってしょうがない」
「危険な発言だぞ、ケン」
「だから、レイの前でしかしないことにしているんだ」
もしも、こうして彼と一緒に帰ることが毎日できるとしたら、日々は輝かしい相貌を見せるに違いないと怜は思った。しかし、賢は賢の幼なじみのものなので、そういうわけにはいかないだろう。いい人には常に相手がいる。それがこの世の真実である。自分に相手がいないのはどういうことか。その件については、怜は考えないことにしていた。
「そう言えば、修学旅行中に、三崎が川名に告白するとかなんとか聞いたなあ」
賢はふと思い出したように言った。
「三崎?」
「一組の男子なんだけどさ、うちのクラスに三崎と仲いいのがいて、話してた」
「なんでまた修学旅行中に告白なんてするんだ?」
「成功の確率を上げるためか、それとも、自分に勢いをつけるためじゃないかな」
「される方のことを考えてない。旅行は三日ある」
「せめて二泊目の夜だといいけど」
「夜限定なのか? 昼間だったら色々スポットがあるだろ。清水の舞台の上だったり、金閣寺の前だったり」
「それはあんまりドラマチックじゃないな」
「ドラマを求めた結果が、修学旅行の夜ってことか? ドラマって、そんなに大事か?」
「どうかなあ。少なくともオレはこの日常で十分だよ。幼馴染に余命何年なんてことになってほしいとは思わない」
怜もそれには全く同意だった。
そもそもドラマを求める皆が日常だと思って、普通のものだと思いみなしているこれは、全く普通でも何でもない出来事なのである。
「レイは誰かに告白されたことある?」
「無いよ。そうして、これからそういうことがあるのかどうか考えると暗い気持ちになるけど、とはいっても、実は大して告白されたいとも思ってない」
「レイなら、いずれされるさ」
「どうかな」
「誰にもされなかったら、オレがしたって構わない」
「ありがたいけど、そのためには、関係各所に許可を得る必要があるだろうな」
「でも、今時、男同士なんて珍しくないんじゃないか」
「珍しくはないけど、まだまだそこまで大っぴらになっているわけじゃない。少なくともこの町では」
気楽な掛け合いをしていると、別れ道まで来てしまった。
「名残惜しいけど、ここで別れないといけない」
賢が言った。
「本当に。でも、明日もまた会えるからな。それに、もしも会えなくても――」
「今日こうして歩いたことが無かったことになるわけじゃない?」
「それだ」
「でも、また明日も会えると嬉しい。レイに明日も会えれば、オレの人生における幸運な日々がもう一日増えることになって、新記録を更新することになるから」
怜は、こんなに美しい言葉を聞いたことが無かった。そうして、美しい言葉というのは、美しい人から発せられなければ嘘だということになって、賢は当然に美しいのだった。
賢と別れて、家に戻ると、美しさのかけらもない妹と再会した。
一学年下の彼女は、
「お兄ちゃん、今日友達来るから」
と切り口上で言った。
含意としては、友達が来るから部屋から出てくるな、ということである。
怜としても、別に彼女の友達と仲良くなりたいとは思わない、もしも、挨拶できたら、迷惑かけていて申し訳ないくらいのことは言ってやりたいけれど、妹と友達になるくらいだから、類は友を呼ぶ、そのレベルも推して知るべしといった具合なので、関りをもたないに越したことはないだろう。
小用を足してから、言われた通りに部屋にこもっていると、やがて妹の友人たちがやってきたようだった。隣の部屋がにぎやかになるのを聞いていると、スマホが着信を告げた。かけてきたのは、川名環である。
「修学旅行について考えたことがあるんだけど、聞いてもらっていい?」
「何なりと」
「わたしたち二人、修学旅行に行かないっていうのはどうかな?」
「何だって?」
「だって、ヒナちゃんには西村くんが、スミちゃんには五十嵐くんがいるでしょう。そんなところにまざって、三日間、平気でいられるかなって思って」
「佐伯とシュンはそうでも、もう一組はそうじゃないかもしれない」
「本当にそう思っていますか?」
「少なくともケンはそう思っているだろうから、友人としては彼の肩を持ちたい」
「わたしはヒナちゃんの友達だからなあ」
怜は、その時、環に告白するという噂の彼のことを思い出した。
他人の色恋に口を出すようなお節介は持ち合わせていない怜だったが、その彼にしても、事が中学生の一大イベント時におけるものであり、かつ、付き合いのある少女に関するものであるのだから、口を出さずにはいられなかった。
そうして、もしも、環が三崎くんによるサプライズ告白を心待ちにしていたような雰囲気を見せた場合は、素直に謝ろうと素早く腹を決めた。
ちなみに、怜は、三崎くんに対しては特に悪いという気持ちを抱かなかった。
「話しておきたいことがある」
「どうぞ」
「ビデオ通話にしてもらえないか」
「えっ、どうして?」
「重要な話なんだ」
「お化粧直して来てもいい?」
「どうぞ」
「一回切るね」
怜は、数分待たされた。
ビデオ通話にしてもらったのは、環の顔色を見るためである。
そろそろ電話しようかと思ったところで、彼女からビデオ通話が来た。
「かけ直すよ」
「大丈夫だから、そのままどうぞ」
怜は画面越しに環の顔を見た。
いつも通り微笑んでいる。
怜は三崎くんの件について話した。
環は目をしばたたかせた。
「それが本当なら不思議。あんまり話したことないから」
「国語の成績3のオレでも、『余計なお世話』っていう言葉くらいは知っているから、言ってもらってもいい」
「ありがとう」
「いや」
「話はそれで終わり?」
「ああ」
「じゃあ、ちょっと別のお話してもいいかな、このまま」
「かけ直すか?」
「ううん、大丈夫」
それから、環は、授業のことや部活のこと、今読んでいる本や見ているドラマのことなど、とりとめのないことを話した。そうして、
「あっ、ごめんね、もうこんな時間。迷惑じゃなかった?」
気がつくと、1時間以上経っていた。
「時間なら売るほど持っているよ」
怜が言うと、環は微笑みを深くした。
そうして、ビデオ通話が終わったわけだが、その顔を見ていても、彼女の感情の所在はついに分からなかった。




