中学二年生の仲春、不合理主義の愉悦 中
俊の現状を災難と表現してくれる加藤くんに、俊は、そこはかとなく通うものを覚えた。
「分かるの?」
「いや、分かった気になっただけだ」
「ならその『気』は正解だよ」
「なるほど」
加藤くんは柔らかく微笑した。
「加藤は、どうして来たの?」
聞きようによっては失礼な問いかけかもしれないが、そういう風には取られないであろうことが、俊には分かっていた。なぜ分かっていたのかは分からない。
加藤くんは、
「この頃運動してないから、運動のためだと思って来たんだ」
何でもないことのように言った。
俊は意外だった。
「加藤って、そういう割り切り方ができるんだ」
「割り切りというか諦めだな。諦めることには慣れてる」
「どうしても時間の無駄だと思っちゃうんだよね」
「それは多分当たりだけど、もしかしたら外れかもしれない」
「外れ?」
「そう」
「って言うと?」
「何が無駄で何が無駄じゃないか、やってみるまでは分からないとも言えるからな」
「……それ、ボクを慰めてる?」
「まさか。誰でもその瞬間を生きるのは初めてのことだろう?」
なるほど、こういう人だったのか、と俊は、加藤くんの見方を改めた。真実を告げながらも、その告げ方に温かさがある。その温度は、俊には真似ができないものだった。
加藤くんは着替えを終えたようである。
俊は、Yシャツのボタンを留めながら、そこまで一緒に帰らないか、と誘ってみた。
加藤くんは、少し考えたようである。
俊は、誰かと先に約束していたのだろうかと思って、そう訊いてみた。
「約束はしてない。ただ……」
「ただ?」
「……いや、何でもない。じゃあ、学校を出て、別れ道まで一緒に行こう」
そう言うと、加藤くんは、更衣室を出た。
俊がそれに続く。
バスケットボールの音が響く体育館から外に出ると、
「二人とも今から帰るの?」
声をかけてきた少女の影は、佐伯さんである。
練習が終わったにも関わらず、まさかまだ何か用があるんじゃないだろうな、と身構えた俊が、そうだよ、と答えると、
「そうなんだ」
と答えたきり、後ろからついてくる。後ろからついてこられても、校舎内から外に出るには出口は一カ所しかないのだから、彼らの先に行かないとしたらついてくるしかないわけで、文句も言えない。
生徒用玄関につくと、下駄箱わきにたたずむ姿があって、
――川名か……。
これも同じクラスメートの女の子である。
この子のことを、俊は、なかなか興味深い目で見ていた。川名環。艶やかな黒髪と理知的な瞳を持ち、慎ましやかな振る舞いをする上、学業成績がいい。一言でいえば、才色に性格の良さを兼ね備えた女の子であるが、それは外面のことであって、内面に妖しいものを隠している雰囲気がある。それが何かは分からない。とはいえ、それは彼女のことだけではなくて、女の子がそもそもそういう種族なのだと言えば、単にそういうことなのかもしれないけれど、ともかくも、近づかれるとそっと遠ざかりたいような気持ちに確かになるのだった。
――加藤は、川名と帰るつもりだったのか。
俊はピンと来た。
それならさっきの彼の逡巡の理由も分かる。
「わたしもご一緒していいですか?」
しかし、そういうことではなかったらしい。
川名さんが礼儀正しく尋ねてきた。
加藤くんは、俊を見た。
俊は、いいよ、とうなずいた。
もしかしたら、本当は約束をしていたのかもしれず、自分がいることに遠慮して、申し出た風を装ったのではないかと、そういう風に思ったからである。それに、もしも約束していなかったとしても、加藤くんはおそらく彼女が待っていることを知っていたのだろう。それならさっきの逡巡の意味も分かる。待っているのを知っていたとしたら、それは約束していたのと同じことである。
「あ、あの、わたしも!」
後ろのすぐの位置にいた佐伯さんも手を挙げた。
それに対しては、今度は加藤くんが承諾した。
二人で話したいと思っていた俊は、大いに当てが外れた格好になったけれども、落胆を胸にしまって、加藤くんの言葉に耳を澄ませることにした。
四人は、生徒用玄関を出た。
日はまだ高い位置にあって、夕暮れには十分な時間がある。
「バスケの方はどう? タマキ」
佐伯さんが、川名さんに話しかけた。
校門を出るまではよかったが、出たあとの歩道は四人で横になることができるような大路ではない。加藤くんは如才なく車道側になったので、俊も彼にならうことにした。自然、前に、加藤くんと川名さんが、後ろには俊と佐伯さんが並ぶことになった。
川名さんは歩きながら、可もなく不可もない答えを返した。
「バレーボールは今日がんばったよね?」
佐伯さんに話を振られた俊は、確かにがんばったなあ、と思って、そう答えたあと、下手なレシーブをしたばかりに痛めた手首をそっとさすった。
前と後ろに分かれながら、女子二人は器用に話した。加藤くんはその話に相槌を打ったりうなずくようにするだけで、積極的に発言しようとはしなかった。それはシャイであるということではなくて、話したい人に話させる度量があるのだと、俊は判断した。加藤くんが評価を改めるに足る人だということを確認して、俊は嬉しくなった。
「何ニヤニヤしてるの? 五十嵐くん」
隣から突っ込まれて、俊はハッとした。
「え? ニヤニヤなんかしてた、ボク?」
「してたしてた、思い出し笑い?」
「いや違うよ」
「じゃあ、アレだ。好きな女の子のことでも考えていたんだ」
すごい発想の飛躍である。
「ついていけないな、佐伯さんには」
正直に言うと、あからさまにショックを受けたような顔をされた。
「今のはどうかと思うよ、五十嵐くん」
川名さんの声が、柔らかい刺を含んでいる。なんだか加藤くんも微笑しながらうなずいており、俊は、三人から包囲網を敷かれたようである。三対一では勝ち目が無い。俊は、佐伯さんに、言い過ぎたみたいだ、ごめん、と謝ることにしたが、
「いいの。別に、五十嵐くんは悪くないから」
と当の本人から止められた。
やがて、別れ道にやってくると、ここまでの十分の道行きが惜しい気持ちになる。
俊は、加藤くんと川名さんと別れた。
佐伯さんは残っている。
「あれ、佐伯さんもこっちなの?」
「う、うん……いや、違うかな」
「え?」
話を聞いてみると、違うどころか、全然逆方向である。
「どうして、こっちから帰って来たの?」
そう言うと、佐伯さんは眼差しを下げた。
「五十嵐くんに嫌われてるかなと思って」
「なんで?」
「なんでって、ただそう思ったの。今日ちょっと強引だったかもと思って」
自分がしていることが強引だという意識が彼女にあったとは、驚きだった。意識があるのにそれを通したのだから、それはそれで天晴な振る舞いである。
「別に嫌ってなんかいないよ」
俊は正直に答えた。
すると、佐伯さんの顔が上がって、ホッとしたような色を見せた。
春の夕べはまだ暗くはならないけれど、俊は彼女を送っていくことにした。そんなことをしようとする自分が自分で不思議だった。特別、佐伯さんと話したいという気持ちがあるわけでもないのに、どうしたことだろう。
「え!? いいよ、いいよ、そんなの」
佐伯さんが、慌てたように手を振った。
「送ってくよ。ここから帰るんじゃ、暗くなるし。また三人でスクラムを組まれたら、たまらないからね」
俊は譲らない。
「ほ、本当に大丈夫だから!」
「うーん、じゃあ、嫌いになろうかな、佐伯さんのこと」
「ええっ!?」
佐伯さんは、心底からびっくりしたような顔をした。
「送らせてくれたら、嫌いにはならない」
「ううっ……五十嵐くんってそーいうの?」
「そう、そーいうのだよ」
俊は笑って言うと、道順を変えた。
二人きりになると、佐伯さんはピタリと話すのをやめてしまった。
どうしていきなり話をやめてしまったのか、俊は小首をひねったけれど、話してもらわなくても一向に構わないので、そのままにしておいた。
やがて、佐伯さんの家の近くまで来た時、
「こ、ここまででいいよ、ありがとう」
佐伯さんは、そう言ってペコリと頭を下げた。
「バレーボール、がんばろうね!」
そんなことを続けて、彼女はすぐに身をひるがえした。
参加したからには、加藤くんが言うところの「運動」とでも考えて、がんばるとまではいかなくても、それなりに真剣に取り組もうと俊は心を決めた。
俊は、それから教室でちょこちょこと加藤くんと話すようになった。
話すたびに、俊の胸に爽やかな風が吹くようである。
こんな人がいたのかと思えば、世の中の広さを知った気分である。
俊が加藤くんと話すようになると、佐伯さんからもよく話しかけられるようになった。
佐伯さんは、一方的に自分の話をして、帰って行く。
加藤くんとは真逆だった。
何だか早く話さないと損をするかのような勢いでしゃべるので、どうしてそんなに焦っているのだろうと、俊は首をひねるしかない。首をひねるのは自分に対しても同じで、そうやって自分のことばかりしゃべる人というのは好きではなかったハズなのに――というか、そんな人が好きな人がいたら見てみたいものだと俊は思う――佐伯さんがそうやってマシンガントークをしても気にならない。なぜだろうか、と思えば、
「佐伯が話すことには悪意が無いからだろう」
と加藤くんが簡単に答えてくれた。
なるほど確かにそれはその通りだった。佐伯さんが話すことは、明るい内容に終始しており、たとえば、親への文句とか、友達の悪口、学校の先生への愚痴のような暗い話はしない。
しかし、それはそれだけのことでもある。俊にとって、そういう暗い話はしないのが当たり前で、それをしないだけで、何かしら肯定的な価値があらわれるわけでもない。とすると、どうして、彼女のトークを受け入れる自分がいるのか、分からない話である。




