第309話 将棋連盟の会長
「屋神に勝ったという棋士は来ていないのか?」
長麦は自らの興味を隠そうともせずに尋ねた。
将棋会館の貸室で、皇の格好をした柊は、石動とともに将棋連盟会長の長麦と対峙していた。
もともとは石動がある提案をする場であったが、長麦はどうしても確認したいらしい。
長麦が言った、『棋士』という表現には重みがある。
将棋界において、奨励会の最上位クラスに位置する三段リーグを突破した者が棋士を名乗れる。
三段リーグを突破できるのは、わずか二名という狭き関門だ。
年齢制限や勝ち越さなければ退会となる厳しいルールの中で、勝ち残った者のみがプロ棋士となれる。
「それは――」
翔太は回答する前に逡巡した。
屋神が見知らぬ相手と対局して敗れたことを知っているのであれば、長麦の性格上、将棋連盟に所属している棋士と女流棋士に確認しているはずだ。
それほど長麦は組織を掌握しており、人望も厚い。
連載より休載が圧倒的に多いマンガに出てくる、協会の会長並みと言っていいだろう。
つまり、長麦は屋神と対局した相手が将棋連盟に所属している棋士ではないことを知ったうえで問うているのだ。
(食えないじいさんだな……)
長麦は朗らかに笑みを浮かべており、石動は毒気を抜かれている様子だが、翔太は長麦が生半可な人物ではないことを知っている。
「申し訳ありません、その指し手は表に出られないため、ご挨拶にお伺いすることはできません」
翔太はギリギリ嘘にならない範囲で回答した。
「ほう、屋神が言うには、その相手には一度も勝てたことがないとのことだったが」
(シマッタ……新田にもう少し手加減させておくべきだった)
プロ棋士の中でも十人しかいないA級の棋士が一度も勝てない人物となると、長麦の中では一人しか思い浮かばないだろう。
もちろん、その人物は一切関わっていないし、それは長麦が一番よく知っているはずだ。
(困ったな……スマホのソフトが囲碁マンガの幽霊みたいな存在になってしまったぞ……)
長麦は屋神を倒した指し手に興味津々のようだが、その相手に会えることは未来永劫かなわない。
「屋神先生には当事務所の神代と雫石が大変お世話になっております」
翔太はさらっと話題を変えることにした。
「おう、綺麗どころをそろえてくれたおかげで、将棋界が盛り上がりつつある。棋士連中もお二人が来るのを今か今かと待ち構えておるぞい」
どうやら神代と雫石が指導対局に訪れることが、思っている以上に話題になっており、期待が高まっているようだ。
「そのことなのですが……今後は先生方にご足労をお願いしたいのですが……」
翔太は恐縮しながら言った。
「ほう、それはなぜに?」
長麦の疑問はもっともだ。これまで指導対局を将棋連盟で受けていた理由は二人の役作りも兼ねていたためだ。
「会長もご存知とは思いますが、あの二人は驚くほど棋力が伸びておりまして」
「屋神から聞いている。とても入門者とは思えないと」
「その情報が前潟さんに伝わらないようにしたいのです」
翔太は余計な駆け引きはやめて、ぶっちゃけることにした。
「前潟……光琳製菓杯か!」
「はい、ご存じのとおりあの二人も参加します」
雑誌の取材が行われていることは長麦の耳にも届いているはずだ。これで伝わるだろう。
「こりゃ驚いた……あの子たちに勝つつもりなのか。前潟のチームメンバーは奨励会の元同期だぞ」
「げぇっ!」
長麦の発言に石動が悲鳴を上げた。
少なくとも味方側の棋力は、誰一人として前潟のチームに及ばないことが確定した。




