第292話 指し手
「うむ……面白い囲いですね……これはなかなか……」
屋神は驚き、感心したような表情を浮かべた。
ファンからはポーカーフェイスで知られる屋神がこのように感情を見せるのは珍しいことだった。
逢妻邸の離れで、皇に扮した翔太は屋神による指導対局を受けていた。
翔太はさくら放送株に関連した報告と、そのお礼をしに逢妻邸を訪れていた。
事前にアポイントメントを取ったにもかかわらず、逢妻は屋神の指導対局を受けていた。
そして、「皇くんもプロの指導を受けてみるといい」と言われ、この状態に至っている。
翔太が指した囲いはこの時代には存在せず、後にコンピュータ将棋選手権で優勝した将棋ソフトが採用しているものだ。
対抗形における居飛車側の新たな囲い方として注目を集め、コンピュータソフトが初めて賞を受賞されたこともあり、大きな話題を呼んだ。
この前例のない戦型に屋神はうなりながら長考し、二人の対局を観戦していた逢妻は身を乗り出すほど興味を示した。
「皇くん、この囲いはいったい……?」
逢妻は初めて会った時のしおれきった表情など見る影もなく、宝の地図を見つけた子供のように目を輝かせていた。
「とある指し手が編み出した囲いです。それを真似しました」
「ほほぅ、屋神先生から見てどうなんだ? ありなのか?」
「奇手に見えますが、力戦、急戦で指せそうですね。簡素な囲いに見えますが、玉が広く、意外と耐久力がありそうです」
「プロの実践でも使えるほどか?」
「少なくとも、研究の価値は十分にあります……むむむっ」
屋神と逢妻は盤面に釘付けになっていた。
翔太にとってはプロの実戦例もある形で、淡々と指し続けているのだが、二人にとっては全く違う景色が見えているのだろう。
***
「女流棋士のドラマですか」
屋神がこの場にいることは翔太にとって僥倖で、仕事の相談を持ち出した。
この時代では未知の定跡を見せたことが奏功したのか、屋神は前向きに相談に乗ってくれるようだ。
「はい、当事務所所属の雫石が主演で、神代も共演します」
「それは素晴らしいですね。プロ棋士には神代さんのファンがたくさんいますし、奨励会には雫石さんのファンがいます。将棋界は間違いなく盛り上がりますね」
「モデルはいるのかね?」
逢妻も興味があるようだ。
「神代の役のモデルは見坂さんです」
「なんと……」
見坂は史上初の女流六冠を達成し、女流棋士の中では絶対的な王者だ。
「二人の役作りのため、二人は棋力を極限まで高めるつもりです。将棋連盟さんには是非お力を借りたいと思っております」
「それなら、お金を払ってでも協力を申し出る棋士はわんさかと出てきそうです」
「報酬はこちらがお支払いする側ですが……」
棋士も人の子だ。翔太は神代と雫石の人気を考えると、屋神の発言には十分な説得力があった。
「演技なら指す振りだけでいいのだろう? そこまでする必要があるのか?」
「あの二人は演技のためであれば、何でもやるんですよ」
翔太は映画『ユニコーン』での役作りの経緯を話した。
「そこまでか……」
かつてはメディア関係者であった逢妻も二人の気概には驚いたようだ。
「具体的にはどこまで目指すつもりですか?」
「うーん……奨励会の入会試験を受けられるくらいですかね」
「それはまた……高い目標ですね。お二人の棋力はどれくらいですか?」
「ルールを覚えたばかりで、私とは八枚落ちで対局しています」
「「……」」
二人は絶句していた。
翔太が掲げる目標は、泳げない学生を水泳の県大会に出場させるほどの難易度と言っていいだろう。
翔太は神代と雫石ならどんな高い目標でも決して妥協しないことを知っているが、目の前の二人には無謀と思われていることが想像できる。
(こっちの本気を示す必要がありそうだな……)
翔太は挑戦的に出てみることにした。
「もし、仮に生稲さんを上回る指し手がいるといったら、信じられますか?」




