050 後半
「修行が足りないわね」
「修行したらどうにかなるものなのか、それ……」
「そんな弱気でどうするの灰倉くん。それでは立派な警察犬になれないわよ」
「別に目指してないからその心配は無用だ!」
どうせなら、人としての職に就きたい。
自宅警備員とか。
……いや、よく考えたらそれは犬でも出来そうだった。
むしろ犬の方が番犬として適任な気がしてきた。
自分の卑屈さに自分で呆れていると、白川は言った。
「雨って、嫌いなのよね」
続けて言う。
「服は濡れるし、靴は汚れるし、湿気は不快だし、傘が荷物になって邪魔だし」
思ったより本格的に雨が憎いようだった。
「でもーーーーー雨が上がった後の空は、とても好き」
その一言に、俺は不覚にも動揺してしまった。
普段から何を考えているかわからない彼女が、自分の好きな物に対して言及した。
無表情で、感情を表に出さない彼女の口から零れた言葉。
それは紛れもなく、彼女自身の感情だった。
動揺を隠すように、俺は「ふうん」と興味なさげに返事をした。
「俺は別に雨は嫌いじゃないけどな」
「どうして?」
「マラソン大会とか体育祭が中止になる可能性があるからな」
「運動が苦手な小学生のような理由ね」
相変わらずの小学生扱い。
俺の知能が小学生レベルだと言いたいのだろうか、こいつは。
「いや、他にも理由はあるぞ!天気が悪いと家でゲームしてても親に何も言われないとか、朝学校行くときに雨だったらバスに乗るから親からバス代をちょっと多めに貰えるとか、あとは……」
「灰倉くんのクズっぷりがよくわかったわ」
「あ」
いくら動揺しているからとはいえ、赤裸々に語りすぎた。
「ま、まあ、とにかく、雨の日だって良いことがあるんだから、俺は雨のことを嫌いになんてならないぜ」
「そう。でも、きっと雨はあなたのことを嫌いでしょうけどね」
「お前は雨の親友か何かなのか!?」
雨を擬人化しやがった。
何この友達伝いで嫌いって言われる展開。
「なら訊くけど、これまでに一度でもマラソン大会や体育祭が中止になったことがあるのかしら?」
「……そういえば、一回も無かったな」
「そういうことよ」
「………」
論破された。
ぐうの根も出ない。
「一方的に好意を抱いても、なかなか振り向いてくれないということは、そういうことだと捉えられても仕方のないことよね」
白川の意味深長な発言に、瞬時に返答出来なかった。
桜並木を過ぎた先の交差点で、立ち止まる。
信号は赤。
「人間の感情をよく空模様に例えることがあるけど、あなたの場合、梅雨みたいにジメジメしているわね」
「お前は容赦なく吹き付けるブリザードみたいな奴だ」
「あら。嬉しいことを言ってくれるじゃない」
「褒めてねえよ!」
ブリザードって言われてなんで喜べるんだ。
俺の渾身の嫌味をもろともしないあたり、毒舌への耐性が半端じゃない。
「だいたい、梅雨みたいにって悪いように言うけど、梅雨がないと夏場は乗り切れないんだぞ?水不足だったり、野菜が不作だったり、色々な弊害が出てくるんだ。みんな梅雨を鬱陶しがっているけど、結果的にはみんなの役に立っていることもあるんだぞ?もう少し梅雨に感謝したらどうなんだ」
「それもそうね。私が悪かったわ」
「お?案外素直じゃん」
「梅雨はいいけど、灰倉くんのジメジメとした卑屈な考え方が不快だわ」
「結果的に俺への被害が拡大してる!」
梅雨のままオブラートに包んでおいたほうが俺の傷は浅かったかもしれない。
こいつの毒舌は俺の予想を遥かに凌ぐものだった。
「その卑屈さ故のーーーーーね」
白川の声は車のエンジン音に掻き消され、よく訊き取れなかった。
横断歩道の信号は、青になった。
「灰倉くん、一つ訊きたいのだけど」
「ん?なんだ?」
「どうして、あなたはいつもサボろうとしているの?」
「は?」
呆気にとられた俺は思わず白川の方を見た。
信号が変わったのにも関わらず、白川は動こうとしない。
無表情で、一見わかりづらいが、これはふざけて訊いた質問ではないことが理解出来た。
理解出来てしまった。
眼鏡の奥にある、彼女の猫のような目は、いつになく真剣な眼差しだった。
「いや、そりゃ面倒だから、だよ」
俺は顔を逸らし、答えた。
「何が面倒なの?」
「え?いや、何がって、色々あるだろ……、ていうか、質問は一つじゃなかったのかよ」
「いいから答えなさい」
「うっ……」
そんな風に凄まれると、下手な言い逃れは出来ない。
嘘をつくことは、『信用』に関わる。
観念したように、俺はため息を一つついた。
そして、口を開く。
「まあ、なんつーか、時々思うんだよ。ここにいても意味ないなーとか、俺がいなくても別に支障ないよなーとか、そんな風に思うんだよ。そんなことで悩むくらいなら、家に帰ってゲームでもした方が楽っていうか、自分のメンタル的にも健全というか、なんか……そんな感じだよ」
「ふうん。なるほどね」
白川は手を顎に当て、そう呟いた。
今ので何かわかったことでもあるのだろうか。
こんな取り留めもない高二男子の小さな悩みに、何かを見出すほど、重要な発言でもない気がするけど。
そんなことを考えていると、それは一瞬にして、俺の頭の中から吹き飛んだ。
さながら空一面を覆う雲を霧散させるように。
彼女の放つ鋭く尖った槍のような一言が、そのたった一撃が、状況を一変させた。
「灰倉くん」
「ん?」
「私と、青春をしましょう」
それは俺にとって、あまりにも眩しすぎた。




