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024

 海と山しかない田舎町。

 夜になれば、周囲は途端に暗くなる。

 家々の明かりはまばらで、海沿いの道には等間隔に並んだ街灯がその存在感を際立たせる。


 それよりも先は、ただの暗闇。


 海と空の境界も曖昧なほど、黒よりも黒い漆黒がそこにあるのだ。


 中学に入り、バスケを続けるにあたって必要だろうと、母親がコンタクトレンズを勧めてくれた。

 最初は抵抗があったが、慣れればなんてことはない。

 今までぼやけていた視界が一気に鮮明になった。


 見えなかった黒板の文字、クラスメイトの表情、バスケのゴールリング。


 その中でも一番驚いたのは、空に輝く無数の星々だ。


 幼い頃から視力が悪かった俺は、夜、空を見上げてもそこには暗闇しかなかった。

 まるで、目を開いたまま瞼を閉じているかのような黒。

 水平線を見ようものなら、ブラックホールがすぐそこまできていて、光すら通さない空間がそこにあるような気さえしていた。


 だが、それは違った。


 星の海とはよくいったもので、その暗闇に敷き詰められた無数の光に、俺は心を奪われた。


 都会の人はよく『田舎は星が綺麗だ』と言うが、田舎者である俺もその時初めてその言葉を理解することが出来た。

 そりゃ、見えないものを見ようとしてしまうのも、わからないでもない。


 だからと言って、望遠鏡を担いでこんな丘の上にまで連れてこられるとは思ってもなかった。


「よし、それではこれから天体観測の準備を始める」


 赤崎先生の誇らしげな一言を聞いて、俺は思わず嘆息をついた。


 事の発端は数時間前、毎度お馴染み英語準備室で説教をうけていた時だった。


「課題を出すまで今日は帰さないからな」

「……はい」


 まるで、給食を残さず全部食べないと昼休みにさせてくれない小学生のような心境で課題に向かっていると、部屋にノックの音が響いた。


「失礼しまーす」


 間延びした声とともに入ってきたのは、髪を団子状にまとめ、実に女の子らしいゆるゆるふわふわな雰囲気をまとった小柄な女子生徒だった。


「先生、この前言ってた文化祭の展示のことなんですけど」


 と、そこまで言って、女子生徒は言葉を止め、こちらを一瞥いちべつする。


 うんうん。言いたいことはよくわかる。

 でもね、そこはスルーしていいんですよ。

 むしろ、こっちに注目されるとより一層惨めになるからやめて。もう見ないで。


「ああ、これのことは気にしないでくれ」


 人のことを『これ』呼ばわりですか。


「で、文化祭の展示は決まったのか?」

「え、あっ、はい。今年も天体観測の展示でいいかなって」

「そうか。まあ、それが妥当なところか。今年の天文部はお前一人だしな。観測はまた屋上か?」

「あっ、いや、そのー、今年は屋上じゃなくて地学室からにしようかなー、なんて……あはは」

「ん?地学室からだと観測しにくいだろう。屋上の使用許可なら取ってやる。遠慮するな」

「えっと、そうじゃなくてですね、実は……」


 話を聞けば、望遠鏡などの機材が重いため、女子にとって屋上までの道のりはあまりに過酷であることから、活動拠点である地学室でそのまま済ましてしまおうということだった。

 地学室は英語準備室と同じ特別棟の2階にあるが、そこの窓から見えるのは中庭兼駐輪場とそびえ立つ教室棟くらいだ。

 そんな悪条件の中で観測したものなど、素人目に見ても残念な結果に終わるのは目に見えている。

 それを見かねた赤崎先生は俺に向かってこう言い放った。


「灰倉、手を貸せ」


 こうして、有無を言わせず、なぜか俺も天文部の手伝いをさせられることになったのだ。


 そこからの赤崎先生と言ったら、突っ走る暴走機関車の如く、もはや誰にも止められないほど場を仕切り始めた。


「屋上に機材を持って上がるのは大変だな。どうせなら外の開けた場所でやろう。私がいい場所を知っている。灰倉、私の車まで機材を運ぶから手伝え」

「え、車で行くんですか」

「なに、すぐ近くの丘の上公園だ。あそこなら星が良く見える」


 そう言って、先生はまるで、遠足を楽しみにしている子供のように笑った。


「それと櫻井、お前はこれで適当に飲み物を買ってきてくれ。4本な。種類はお前に任せる」

「は、はあ。え?4本……ですか?」

「そうだ。頼んだぞ」


 言われるがまま、櫻井さんなる女子生徒は頭に?(はてな)を浮かべながら買い出しに出かけていった。


 この時、すぐに気付くべきだったと今になって思う。

 てっきり赤崎先生が2本分飲むものだと勘違いしていたが、冷静に考えれば、そんなことあるはずないのだ。


 機材を積み込み、櫻井さんも買い出しから戻ってきたのだが、先生は一向に出発しようとしない。


「出発しないんですか?」


 シビレを切らし、先生に尋ねる。


「まあ、もう少し待ってくれ」


 嫌な予感。


 焦らされれば焦らされるほど、その予感は確信に近づいていく。

 数分後、赤く燃えるような夕陽を背に、誰かがこちらへ向かってくる。


「おお、悪かったな。急に呼び出して」


 もはや驚きも何もない。

 そこに立っていたのは、苦悩の毒舌女、白川綾音だった。


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