019
先生は言った。
「白川は、男性恐怖症だ」
そんなこと、言われるまで解らなかった。
気付きもしなかった。
言われてみれば、いつだって遠くを見つめ、目を合わせることなど無かった。
最初の、寝起きの瞬間を除いて。
自転車に乗せたときだって、どこに掴まるでもなく、器用にバランスをとっていた。
我慢をしていた?
無理をしていた?
いずれにせよ、男が近くにいると言うだけで、精神的にも負担があっただろう。
「主にその引き金となったのは、中学のクラスメイトからの強姦未遂事件」
強姦未遂。
想像もつかないほど、壮絶な彼女の過去に言葉を失った。
異様なほどの拒絶。
貞操観念。
冗談などではなく、真実。
辻褄が、合っていく。
「幼い頃には不審者による誘拐未遂もあったのだが、思えばその時から男性に対して苦手意識があったのかもしれん」
ちなみに、その誘拐犯は白川の前でボコボコにしてやったから安心しろ、と先生は身の毛もよだつようなことをさらっと付け加えた。
そりゃトラウマだわな。
色んな意味で。
なんとなく、白川が先生に対して強く言えない理由がわかった気がする。
「そんな過去を、男のお前に相談できるわけないだろう。もしかしたら、他に理由があるのかも知れんが、異性に対して苦手意識があるというのは確かだ。こればかりは白川自身が気持ちを整理しないと、どうしようもない問題だからな。他人がどうこういっても、解決には至らないだろう」
そう言って、先生は嘆息をつく。
「まあ、だからと言って、それをただ黙って見ているほど、私の気も長くはない。これまでだって、あいつが克服できるようにと、あれこれ試してきたんだ」
きっと、赤崎先生は長い間、白川のことを気にかけていたのだろう。
何もしてやれないもどかしさや葛藤が、先生にもあったのかも知れない。
教師という職業柄か、はたまた元来の世話好きか、いずれにしろ、赤崎先生は困っている奴を放ってはおけない、お人好しのようだ。
「どうにか男性のイメージを変えようと、私が持っている恋愛漫画や小説を貸したり、恋愛映画のDVDを見せたりしたんだが、あまり効果が無いようでな。うまくいかないものだよ」
「………」
ただのお節介だった。
その発想は斜め上過ぎる。
いや、斜め上どころか、違う意味で、別次元の解決法だった。
全然ついていけない。
白川が邪険に扱うのも無理はなかった。
「そんな時だ。放課後、お前たちが一緒にいるのを見て、何か良いきっかけになればと思ったんだ。まあ、私も少し強引だったと反省しているが、結果として、白川は素顔のまま学校に来た。それがたった一日だったとはいえ、私は嬉しくなったよ」
付き合いの浅い俺にはわからない白川の変化を、先生は喜んでいた。
それはまるで、我が子の成長を語る母親のように。
独身だけど。
「女の私では克服するのにも限界があるからな。やはり年の近い異性と接するのが一番効果があるのだろう。色々苦労することもあるだろうが、理解してやってくれ」
理解―――――か。
人を理解した気になるのは、傲慢だ。
だが。
人を理解しようとしないのも、また傲慢なのだろう―――――。
解らないことを解らないままにしても、きっと、何も解決しない。
ならば、解くしかない。
何かしらの答えを、その成果を。
先生に、そして、白川に、示さなければならない。
それが。
―――――正解であろうと。
―――――不正解であろうと。
ここで、先生が話をまとめるように、パンッと両手を打った。
「ふむ。そういうことだから灰倉、白川を頼んだぞ。勝手に話してしまった私は後で白川にどやされそうだが、その分、何らかの成果があることを期待しているよ。あわよくば、そのまま青春ラブコメに突入しても構わん」
「いや、突入しませんから。あくまで俺は白川に力を貸すだけであって、青春しようなんて思ってないですから」
「全く、可愛くない奴だな」
そう言って、赤崎先生は穏やかに微笑む。
「じゃあ、これで失礼します」
扉へと踵を返す。
珍しく、やる気になっている自分がいた。
らしくない。
今でもそう思う。
けど―――――悪くない感覚だ。
頑張りが報われない。
我慢が報われない。
そんなハードモードの人生に、抗ってやる。
今度は、うまくやる。
容赦は、しない。
「そうだ、灰倉」
「なんですか?」
「言い忘れていたが、次サボったらお前に夏休みは無いと思え」
笑う鬼、再臨。
何このものすごい既視感。
本当に、容赦がない。
俺の人生、ハード過ぎて泣けてくる。




