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018

「何で呼ばれたか、わかっているな」

「……は、はい」


 床に正座させられている俺。

 目の前には腕を組んで貫禄たっぷりに仁王立ちする担任、赤崎響香。


 ご存じ校舎の最果て、特別棟四階、英語準備室。

 見慣れた、というかもう見飽きたくらいお馴染みの光景。


「昨日、なぜ午後の授業をサボった?」

「そ、それは、体調が優れなくて……」

「そんな風には見えなかったが?」

「いや、実はああ見えて結構我慢してたんですよ。心配かけるのも悪いですし」

「そうか。その割に、弁当をたいらげて、早々に教室を出ていったという情報が私に届いているが、本当に体調が悪かったのか?ん?」


 じわじわと、理詰めにして逃げ場を塞ぎ、俺を追い込んでいく。

 先生は穏やかに微笑んでいるが、目が全然笑ってない。

 怖い、ただただ怖い。


 それにしても、一体誰なんだ、先生に情報をリークしたのは。

 クラスに内通者がいるとでも言うのか……。


「いや、その……、あの後も色々あってですね、ちょっと疲れちゃったのでつい……」

「つい、なんだ?続きを言ってみろ」


 先生は右手で握りこぶしを作り、今にも真っ赤に燃えて勝利を掴めと轟き叫びそうな勢いでこちらへと詰め寄る。


「ごめんなさい!サボっちゃいました!だから殴らないで!」

「はあ」


 溜息と同時に、先生の燃え盛る握りこぶしは解消された。

 助かった……。

 思い切って謝ってみるものだな。

 誠意を見せれば案外許してもらえるものらしい。


 よわい16にして、俺は土下座の真髄しんずいに触れた。

 そんな俺を見て、先生は呆れたように続ける。


「白川と接するようになって少しは変わったかと思えば、どうしてお前はすぐにサボるんだ。そんなに学校がつまらないのか?」

「…ま、まあ、面白くはないですね。それに、白川は別に関係ないでしょう」


 白川の名前が出た途端、またしてもやり場のない気持ちにさいなまれる。

 その鬱陶しさを払うように、膝の汚れをはたきながら立ち上がる。


「関係あるだろう。あいつへの借りはどうしたんだ?もう返したとでも言うのか?」

「それは返したというか、チャラになったというか……」


 どうにもうまく言えない。


 その答えは簡単だった。


 俺がそれを認めていないからだ。

 結局、そのもやもやを振りきれないまま、今に至っている。


 今朝の白川はというと、いつも通りというか、これまで通り、耳より下の位置で緩くまとめたおさげ髪に、眼鏡をかけた、物静かな優等生風な姿に戻っていた。


 何事も無かったように。

 この二日間の出来事が、まるで嘘だったかのように。


 平然と、無表情のまま、教室の隅で本を読んでいるのだった。


「なんだ、はっきりしないな」 

「とにかく、もう借りだとかそういうのはいいんですよ。あいつとはもう関係ないですから」

「ふうん……。さてはお前、また関わるな、とかなんとか言われたんじゃないだろうな?」

「うっ……、何でわかるんですか」


 エスパーなのか、この人は。


「はあ、やっぱりか」


 再び、呆れたように先生は言う。


「あいつは昔からそうなんだ。何でも一人でどうにかしようとする傾向がある。私が世話を焼こうとするといつも邪険に扱われたものだ。一人でやれることなんて限られていると言うのに」


 まるで、一人で解決しようとすることが悪いことのように先生は言う。

 確かに、それも間違いではない。

 だが。


「いや、そうは言っても、自分の問題は自分でなんとかするのは当たり前じゃないですか。白川自身もそう言ってましたし、あいつが自分で決めたことに他人が首を突っ込むことでもないでしょう」


 先生は目を伏せ、俺の言葉に同意することもなく、さっきまでの口調よりも重く言い放った。


「そう言って、白川は何年素顔を隠してきたと思っている?」

「え?中学のある時期って言ってましたけど、詳しい時期までは……」

「中学2年の夏からだから、そろそろ3年目ってところだな」

「3年目……」


 口にして、初めてその時間の経過を実感する。


「そこまでの時間をかけて、ようやく昨日、素顔のまま登校してきたというのに、まだダメだって言ったんだ、あいつは。それほどまでに、白川の中で過去のトラウマが強烈に残っているということだ。もはやそれは、一人でどうにかなるようなことではない」


 3年という長い時間、周囲を遠ざけ制限された生活。


 強烈な、トラウマ。


「トラウマって、一体何が……」

「お前に話したところでどうにもできんことだ。そもそも、白川とはもう関係ないのだろう?」


 その言葉に押し黙る。


 ―――――沈黙。


 窓からは潮の香りを含んだ風が吹き抜け、カーテンを揺らす。

 放課後の喧騒は程遠く、部屋にはピンと張りつめた静寂が流れていた。


 『過去』。

 過ぎてしまった時。現在よりも前。


 俺の知らない、白川の『過去』。


 ―――――本当に、鬱陶しい。


 いつもなら、俺には関係ないからと諦めてしまうところなのに。

 面倒事は避けて、波風を立てないようにするのが俺の信条なのに。


 それなのに。


 先生の一言に、動揺している。

 どうして。

 何故。


 こんなにも落ち着かない気持ちになるのだろう。


 解けない固結びのようなもどかしさ。


 イライラする。

 それは先生に対してではなく、はっきりしない自分に対して、だ。


 面倒なことは嫌い。

 非効率なことも嫌い。

 グダグダと悩んでいるこの時間すら、無駄に思えて余計にイライラする。


 こんなエネルギーの浪費は、俺の主義に反する。


 安定して落ち着いた、平穏な日常。

 それこそ、俺が求めている日々なのだ。


 なら俺は―――――その安定した日々を、平穏な日常を取り戻すために、動かねばならない。


 別に白川が困っているから、というわけではない。

 全ては自分が楽になりたいが為の行動だ。

 借りを返して、静かな日常に戻りたいだけだ。

 それが、俺の望みなんだ。

 

 ―――――自分が楽になる為なら、その努力もいとわない。


 それが俺の行動理念で、ポリシーだ。


 ここまでくれば、もう考える必要はない。

 おのずと答えは出ている。


 ―――――全く。

 自分で自分を納得させるのに、えらい遠回りをした気分だ。

 つくづく、面倒な性格をしている。


 これまでの鬱憤うっぷんを晴らすように、現状をぶち壊す言葉を、先生に放つ。


「俺が何とかします。白川のこと、教えてください」

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