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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
花の章

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42/43

九、朧月夜に開く花

 こうして、帝都の小火(ぼや)騒ぎおよび九尾による放火事件は無事に幕をおろした。


 幸いなことに、死人はおらず、けが人も数名で済んだという。さらには、公園が火元とあって、火事の被害も少なかった。公園のそばにあるいくつかの家の屋根が(すす)だらけになった程度で、それも掃除にはほとんど時間がかからなかった。


 公園の木々はいくつか燃えてしまったが、それは、九尾が責任を持って植林することで話がついた。


 最も懸念されたのは(ゆき)(あかざ)、そして(あやかし)たちの処遇についてだったが、これも椿(つばき)が第三者として正式な場を設けたことで、討伐部隊の面々に説明する機会が与えられた。しかも、討伐部隊の面々は、もはや今更だとして「訳あり同士、これからも仲よくしましょうや」と清々しいほどにすっぱりと割り切った。隊長についていくと決めたらついていく、それが部隊の掟なんだと熱弁するものもいれば、家族だろう、と雪たちを心配してくれるものまでいた。普段から妖に慣れているせいか、抵抗がないらしい。


 もちろん、すべてのものがそうではない。これを機に除隊を選ぶものもいたが、それはごくわずかであった。


 そんなわけで、帝都や討伐部隊にも平穏が戻って三日ほど経ったころ。


 雪は今までどおり、雑用係として洗濯を続けているのだが……。


「えっと、藜、さん?」


 洗ったばかりの軍服を干し、黙々としわを伸ばしている藜を見て、雪は困惑した。


「なんだ?」


「その……、椿さんも手伝ってくださっていますし、藜さんは大丈夫と言いますか」


 遠回しに、本来の仕事に戻ってくれ、と雪が伝えるも、藜は気にする素振りなど一切見せずにしれっとした顔を向ける。


「大勢でやったほうが早く片付くだろう」


「それは確かにそうですし、とってもありがたいのですが」


 だからといって、雪の仕事を奪わないでほしい。というか、隊長の仕事はどうしたのだろう。


 雪が戸惑っていると、空になった洗濯(せんたく)(かご)を持って椿がやってくる。


「雪さん、こっちは終わりましたよ」


「あ、椿さん! ありがとうございます!」


「って、なんで隊長がいはるんですか?」


「僕がいたら問題か?」


 椿の問いは自然なものだが、なぜか藜は不機嫌さを醸し出した。


 しかも、なぜか強引に雪と椿の間に割って入る。


「僕のほうも終わったが」


「はあ……」


 雪が曖昧にうなずくと、椿が「ふっ」と笑いをこらえる声が聞こえた。


「ゆ、雪さん? こ、ここはもうええですから。ふ、はは……、隊長と一緒に行ってください」


「え?」


「ほ、ほら、この後、九尾さんたちのところへ行く用事があったんとちゃいます?」


 プルプルと肩を震わせる椿に言われ、雪は「そうでした!」と藜の謎の言動の意味を理解する。


(そっか! 早く九尾さんの様子を見に行きたかったから、藜さんは急いでいたのですね!)


 なるほど、と雪は一人うなずいて


「それじゃあ、お言葉に甘えて」


 と藜と共に中庭を後にした。


「ええ、お気をつけて」


 椿の楽しそうな声に手を振り、雪は炊事場に向かう。


 公園で植林活動をしている九尾たちの様子を見に行くついでに、今朝作った差し入れの弁当を届けるのだ。


「それじゃあ、わたしはお弁当を取りに行ってきますので。藜さんはお出かけの準備をなさっていてください」


 玄関先で雪がそう言うと、藜はなぜか「いや、いい」と炊事場までついてくる。


 なぜ。


 急いでいるわけではなかったのだろうか。不思議に思って藜を観察するも、精鍛な顔立ちからは腹の内を読むことはできなかった。


 やはり、藜はよくわからない。


 炊事場で保管していた重箱を風呂敷に包んでいると、藜が何かを言いたげに口を開けたり、閉じたりしている。


「えっと……、藜さん?」


「あ、ああ、いや、その、弁当は、何人分なんだ」


 雪の持っている重箱の大きさに驚いていたらしい。


「え? これは、頑張っている九尾さんと稲穂(いなほ)さん、それから(ふみ)姫さまとかまいたちさんの分です。何人かお手伝いの方がいらっしゃってるかもしれないので、少し多めですが」


「そ、そうか……」


 なぜかその瞬間、藜の顔がしょんぼりとしたように見えた。


「え? あ、藜さんの分もありますよ! というか、多分余ると思いますから、一緒に食べましょう!」


 慌てて雪が付け加えると、藜はフンと鼻を鳴らしてどこか満足げに「ならいい、行くぞ」と歩き出す。


 雪も風呂敷に重箱を詰めて、藜の背を追う。


 それから互いに軍服用の外套(コート)を羽織り、どこかぎくしゃくした空気のままに九尾たちが植林を続けている公園へと向かった。


 公園では、九尾と稲穂、文、かまいたちに加え、何人かの町人たちも楽しげに木々を植えている。


 雪はその中に見知った男の姿を見つけて、一目散に駆け出した。


長治(ちょうじ)さん!」


 呼べば、九尾たちと共に長治が振り返る。


「おう! 雪、元気に……って、随分見ない間にこれまた髪が……」


「あ、ごめんなさい。こんな姿で」


「いや、いい。雪はもともと肌も白かったし、よく似合うんじゃないか。その、何というか……、幻想的、ってやつだ」


 長治はニカっと人好きのする笑みを浮かべたかと思うと、そのまま雪の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。


「わっ⁉ 長治さん! 雪はもう立派な大人なのですよ!」


「だ、そうだ。悪いが、手を離してくれ」


 いつの間にやら藜が長治の手を掴んでいた。長治が「ヒッ」と小さく悲鳴を漏らしたのが聞こえる。


「……わ、悪い悪い。いくつになっても、娘は可愛いもんだからな」


 長治は苦笑いを浮かべて、藜の鋭い視線から逃れるように顔を逸らした。


 そんな長治への助け舟か、はたまた偶然か、九尾たちも作業の手を止めてわらわらと近づいてくる。


「お嬢さん、来てくれたんですね」


「あ、雪っちに隊長! 見て、いい感じでしょ?」


「はい、とっても。皆さん、お疲れさまです、差し入れを持ってきました」


「わざわざ、ありがとうございます。わっち、ちょうどお腹が空いてて」


「おお! そちの料理はうまいからのう!」


「キュゥッ」


「よかったら、皆さまもどうぞ」


 長治をはじめ、周りにいた町人たちにも声をかけると、周囲は一気に賑やかになる。


 植林している木々の下で食べる人たちもいれば、元々あった桜の木の下で食べる人たちもいて、ちょっとした宴会のようだ。


 町人たちは植林活動を通して、すっかり九尾たちのことを受け入れてくれたらしい。もちろん、ほんのわずかな人だが、それでも妖は怖いだけの存在から少しずつ変化しているようだ。稲穂が率先して人を集めてくれているおかげもあるかもしれない。


 まだまだ人と妖が共存するには脆すぎる絆だが、それでも大きな一歩である。


 楽しそうなみんなの様子を遠巻きに雪が見つめていると、


「お前も食え」


 隣にいた藜が重箱の残りを手に、雪の手を引いた。


 まだ蕾もついていない桜の木の下に、雪と藜は並んで座る。


 おにぎりや根菜の煮物、川魚の塩焼きなど、雪の作った料理を口に運びながら、二人は楽しげに話している九尾や稲穂たちの様子を眺める。


 なんだか夢のようだ。いつかそんな日が来ればいいと、その時に役に立てればいいと思っていたが、まさかこんなに早く手に入るとは。


「こうしてると、一足早く春が来たみたいですね」


「ああ、そうかもな」


 春の香りの混じった風が二人の頬を撫でる。


「そういえば」


 雪はずっと気になっていたことを思い出した。


「なんだ?」


「藜さんって、座敷童との半妖なんですよね? 答えたくなければいいんですが、藜さんの妖の力って、結局どんなものなんですか?」


 九尾との戦いのときには、金色の光を操っているように見えたが、雪や九尾のように具体的な形を作りだしていたわけではなかった。


 雪の問いに、藜は少し考え込む。少しして、手にしていたおにぎりを口に放りこむと、藜はその手を手巾(ハンカチ)で綺麗に拭いた。


 それから、そっと桜の木に手を添える。


「……特別だ」


 藜はそう言うとゆっくり息を吐き出す。


 同時、雪の頭上にあった桜の木の枝から、ほろりと一枚、桜の花びらが降ってきた。


「え」


 驚いていると、二つ、三つと桜の花がほころび、ゆるやかに雪の頭へ落ちてくる。


 藜は桜から離れると、再び雪の隣に並んで腰を下ろした。


「僕は座敷童の力を引くもの。人間には幸運を呼び寄せるとも言われているが、実際、その力は万物に作用する」


 座敷童と言えば、憑いた人や家を幸せにすることで有名だが、その反面、座敷童が離れたところは破滅に向かうという。


 つまり、使いかたによっては、その力であらゆる幸運や不運を引き寄せられてしまうのだ。時空や運命をも歪ませる力は、雪の物理的なものなんかよりもっと汎用性があり、強い。制御さえできてしまえば、なんにでも作用させることができる。


 藜は「だから、すべてを破壊する前にその力を封印した」とつけ加えた。


「まさか、また使う日が来るとは」


 藜は手のひらを見つめてふっとやわらかな笑みを浮かべる。やはり、それは花がほころぶ様によく似ていた。


「これからは、すべてを守るために使えばよいのではないですか?」


「……ああ、そうだな。お前と……、雪と共にいると、なぜか僕もそう思える」


 藜はそっと雪へ手を伸ばした。


 と、雪の頭にのっていた桜をやさしく雪の耳にかける。


 それはまるで恋人のようで――。


 じわじわと顔が熱くなる。


 硬直する雪の反応で我に返ったのか、藜はすぐさま顔を逸らした。月色の髪の隙間から赤く染まった耳が見える。


 咳払いした藜は、澄み切った空を見つめて呟いた。


「春が来るな」



 ❀



 城下町の公園に桜が咲いたと雪が聞いたのは、それから二か月後のことだった。


 元々あった木々は火事のことなど忘れたように美しく咲き誇り、植林されたばかりの木々も、いくつか花を咲かせはじめたらしい。


 討伐部隊でも、宴会に乗じて妖が現れるかもしれないと、巡回を兼ねた花見大会が開催される運びとなった。


 雪は気合を入れて作ったおかずを重箱に詰め、風呂敷の口を縛る。


 すっかり着なれた外套を羽織り、準備万端、玄関を開けるとやわらかな月光が降り注いでいた。


「行くぞ」


 月に目を奪われていた雪に、藜がやわらかな笑みをたたえて手を差し出す。


 その後方では、椿や稲穂、九尾、文、かまいたち、そして討伐部隊の面々が待ちきれないとばかりに笑みを浮かべていた。


「はい!」


 雪はみなを待たせぬようにと駆けだす。


 春風が吹き、朧月夜(おぼろつきよ)にふわりと桜の花びらが舞う。


 雪の真白な髪と藜の白金の髪がさらわれ、美しく輝いた。

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