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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
花の章

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七、責を負うもの

 (あかざ)の一言の意味を理解するのに、時間はかからなかった。


 椿(つばき)稲穂(いなほ)はハッと顔を見合わせ、(ふみ)とかまいたちは笑みを浮かべている。九尾もまた驚きに目を見張り、(ゆき)と藜を交互に見比べていた。


 最初に口火を切ったのは椿で、呆れたような苦笑いを浮かべている。


「全部、隊長と雪さんの手のひらの上やった、っちゅうことですか」


「ほんと信じらんないんだけど! ずるじゃん! てか、二人だけ楽しそうにしちゃってさあ! オレ、まだ頭追いついてないからね!」


 稲穂の主張も本当に混乱していることを証明するような支離滅裂さだ。


「稲穂、何か文句が?」


「文句っていうか、何にもわかんないんだけど!」


「わかっておらぬのは、そちだけじゃ」


「キュキュ!」


「ちょ、そこ、うるさいよ!」


 からかう文とかまいたちを睨み、稲穂は「ああ、もう!」と地団駄を踏む。


「ちゃんと説明して!」


「わ、わっちも……、何が、なんだか……」


 稲穂の願いに便乗するように、九尾も小さく挙手をした。


 九尾こそ、最も困惑している人だろう。人間など信用できないと思ってきたのに、雪が盾となったことが呼び水のようになって、いつの間にか、人と妖が理解しあうところまで話が進み……、挙句の果てには、ほんの少し前までいがみ合っていた討伐部隊の隊長が、お互いを理解することを認めたのだから。夢だと思ってもおかしくはない。


 稲穂と九尾からの要請に、藜は渋々「わかった」と呟く。


 藜はたっぷりと息を吸って吐くと、珍しく緊張気味に切り出した。


「だが、まずは……、お前たちに話しておかなければならないことがある」


 みんなの視線が自然と藜に吸い寄せられる。


 月光を受けて輝く藜の赤色の眼は凪いでいた。


「僕は、半妖だ」


 誰かがゴクリと唾を飲み、誰かがハッと息をのんだ。だが、誰一人として口を挟もうとはしなかった。


 その反応を見て、藜は続ける。


 以前、廃寺で雪に語ってくれた過去のことを。それから、雪と出会ってからのことを。


 藜は自然に雪の手を取り、引いて、雪を隣に立たせる。


「お前らもわかったと思うが、こいつも……、雪も半妖だ」


 思わず雪が目を伏せようとすると、藜がそれを遮る。


「顔をあげろ」


「……っ」


 雪は恐るおそる椿たちを見る。


 彼らは複雑な表情を浮かべていたが、決して侮蔑や憎悪、恐怖の感情はなかった。


「僕は、雪と出会ったとき、真っ先に彼女を自分に重ねた。だから、(あやかし)が人と暮らしていくことなどできないと考え、軍部へ連れ帰った」


 殺すこともできず、そのまま長治(ちょうじ)に引き渡すこともためらわれた。


 あの瞬間、藜が雪を守るためにはそうするしかなかったのだ。


 自分が前隊長である桐吾(とうご)にそうしてもらったように、生きていくための環境を与え、仕事を与えた。勉強できる場を与え、妖の力を制御できるよう討伐任務を与えた。


「僕のようになれば、妖討伐の人手が増える。隊員たちの負担を軽減できるだろうと考えていたし、最初は正直、雪のことを駒のように考えてもいた」


 たしかに、体のいい駒だっただろう。雪は半妖で、家族も長治だけ。軍部の仕事で命を落としたとて、半妖ならば悪評もたちにくい。罪悪感も少ない。冷酷で残忍だが、一国を守る軍部の隊長として、それは正しい判断のようにも思える。


「だが、雪は僕と違った。毎日、誰よりも遅くまで勉学に励み、仕事をこなし、討伐の任では僕をかばった。いや、初めて出会ったときから、雪は誰かのために戦っていた」


 藜の指がそっと雪の小指に絡みつく。その手は冷たく、静かに震えていた。


「そんな彼女を見ているうち、僕は、自分のことが馬鹿らしく思えた。妖と人をつなぐと、そう雪が言ったとき、僕も、そうありたかったんだと気づいた」


 藜の独白が冬の空気に溶けていく。


 まるで告白のような、尊い響きに雪は心打たれていた。


 が、


「しかし」


 藜は現実を突きつけるように硬い口調で続ける。


「今更、虫のいいことを言うつもりはない。お前たちが僕のことを許せないと思うのは当然だ。だから」


 藜の声には決意が滲んでいた。


「文句があるなら、僕を斬れ。隊長として、僕がすべての責任を負う。その代わり、雪と妖たちには手を出すな。見逃してくれ」


 藜は言うと、絡めていた指先をほどき、雪から離れてその場にひざまずいた。刀を抜き、まるで切腹を望む武士のように自らの前に刀を置く。


 赤い瞳は、椿と稲穂を映していた。


「え」


 絶句したのは稲穂だった。椿は押し黙り、藜と刀を見比べる。


 雪が声を発するよりも少し早く、椿が刀を手にする。


「ちょ、つばきち! やめようよ! めっちゃいい話だったじゃん! 責めるようなことなんて何も!」


「止めんとってください」


 稲穂がそんな椿を止めようとするが、椿は制止を振り切って刀を構える。


「つばきちってば!」


「椿さん!」


「おぬしら! やめんか!」


「キュキュキュッ⁉」


「ちょ、待って、待ってくださいよ! わっちだってこの人に借りを作ったままなんて嫌ですよ!」


 みなが口々に椿を止めようとするも、椿は濃紺の瞳に今まで見たことのないほど冷徹でおぞましい闇をたたえた。


「……なるほど、これが隊長補佐の役目なんですね」


 地を這うように低く響いた声が、その場を支配する。


 普段は術師として務めを果たしている椿だが、どうやら剣の腕にも覚えがあるらしい。


 藜とは違う、静かで繊細な刀さばきで軽く宙を斬り、その切れ味を確かめると


「隊長、恨まんとってくださいね。妖になられたら、かないませんから」


 一歩、藜のほうへと歩み出た。


 藜を守ろうと雪が手をかざすも、先ほどまでの九尾との戦いで力を消耗してしまったのか、指先から六花一つ出すことができない。


「椿さん……!」


 雪たちの声が聞こえないのか、椿はすっかり藜だけを見つめていた。


 藜と椿が見つめ合う。


 その間は長くなかった。


 誰一人の制止も役には立たず、やがて、刀が振り下ろされる。


 空を切る鈍い鉄色が月光に無情なほど残酷にきらめいた。雪たちが目を背ける。


 ヒュンッ――鋭い音が辺りに響いたのは一瞬だった。

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