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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
花の章

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六、命を賭す価値

 (ゆき)を見つめた(あかざ)は、


「……よく、無事に帰った」


 噛みしめるようにそう呟いた。


 その言葉だけで、藜が心の底から心配していてくれたことが伝わった。


 そのまま藜はするりと雪の髪をすくい、切なげに瞳を揺らす。


「随分、白くなったな」


 雪の髪はすっかり真っ白になっており、それは藜の白金によく似ていた。


「お揃い、ですね」


 雪が苦笑すると、藜はフンと鼻を鳴らして白髪から手を離す。


 藜はすぐさま渋い顔で


「だが……」


 チラと椿(つばき)たちと九尾の様子を窺った。


 一瞬、彼の視線が何かを思案するように泳ぐ。そして、藜は雪にだけわかるように、いつもの自信に満ち溢れた不敵な笑みをわずかに浮かべた。


 雪がその意味を理解するよりも早く、藜は笑みを消し、花国軍(かこくぐん)怪異討伐特務部隊隊長としての冷酷無慈悲な表情に戻した。


「そこをどけ。僕は九尾に用がある」


 藜は言うと、(さや)に手をかけて抜刀の姿勢をとった。


 だが、雪とて引くわけにはいかない。刀を抜かれても、突きつけられても。雪は、九尾を守ると決めたのだから。


 頑として動かない雪を藜はじっと見据えたままだ。


 冷淡なままに見えるが、藜の紅い目には不思議と憎悪も怒りもない。


 雪も藜を完璧に理解しているわけではないが、その行動と態度のちぐはぐさに、雪は違和感を覚えた。


(もしかして……)


 思い当たったのは一つの仮説だった。


 それはあくまでも仮説で、藜も同じことを考えている保証などない。ただの雪の願望かもしれない。藜は本気で雪を殺すかもしれない。


 けれど、雪はその仮説に命を賭けてもいいと思えた。


 雪は、藜にこれまで何度も助けられてきた。なんだかんだ、救われてきたのだ。藜になら、命を預けられる。


 雪は藜を見つめ返す。できるだけ、椿たちから雪が藜と対立しているように見えるよう、口元にきゅっと力を入れ、拒絶の表情を作った。


「二度はない。どけ」


「どきません」


「お前の首をはねることになるぞ」


 藜の言葉に息をのんだのは、雪以外の面々だった。しかも、雪が動かぬと見てか、雪と藜の間に割って入ってくる。


「ちょ、隊長! 何言ってんの! 雪っちは何もしてないじゃん! いや、そりゃ聞きたいことは色々あるよ⁉ ありすぎるくらいだけど! やりすぎだってば!」


「わたくしもそう思います。少し落ち着かれたほうがええんとちゃいますか?」


「雪に手を出すというのなら、わらわもそちを呪うと思え!」


「キュ! キュキュキュ! キュゥ!」


 さらには、九尾までが雪を押しのけるようにして、藜を睨みつけた。


「お嬢さんは関係ありません。あなたがその気なら、わっちと先ほどの続きをしましょう」


 九尾が前に出たことで、雪と藜の間に割って入った椿たちがまた騒ぎ始める。


「もう! 九尾は黙ってて! 君のせいで雪っちが殺されそうになってるんだから!」


稲穂(いなほ)さんも少し静かに! 隊長、考え直してください! たしかに、雪さんは(あやかし)の力を隠してはったけど、それもわたくしどもを助けるために使ってくださったこと。それに、九尾からも殺気は感じません。どうか温情を」


「いや、このお嬢さんを巻き込んだのはわっちですから。ここはわっちが落とし前を」


「おい、九尾! おぬしはちと黙っておれ! ええい、だから、わらわは藜が嫌いなのじゃ!」


「キュキュ! キュキュウ!」


「まったく、そのとおりです。九尾は雪さんのためにも、生きることを考えてくれな困りますわ」


「そうだよ! 雪っちのためにもいったん生きてて! んで、雪っちも簡単に死のうとしちゃだめ!」


「そうじゃぞ! 全員生きるのじゃ! 憎いのは藜ただ一人じゃ」


「キュキュ! キュゥ!」


「それも言いすぎですよ、お願いですから冷静に話し合いましょう! ここにいるのはわたくしたちだけ。他に言わなければ、この件がバレることもないんですから」


「そうだよ! それで解決しようよ! 妖とか人とか、もういいから。わかりあえたんなら、それで円満じゃん、ね? 隊長、そうでしょ?」


 雪と藜を置いて、四人と一匹の罵詈雑言が激化していく。


 人も妖も関係なく、今はみなが一つになっていた。妖を討伐してきた人たちと、人を襲い続けてきた妖が、わかりあえることを認めて。


 その様子に雪は思わずじんとする。それだけで、自身の命を賭した価値があるように思えた。


 藜はきっと、こうなることを予測し、この場面を作りだしたかったのだ。


 本当にすごい人である。まさにそのとおりになるなんて。


 雪が尊敬のまなざしを向けると、ふいに藜の目元がさがった。彼の顔が次第にやわらかくほころぶ。


「っ、ふ、はは」


 藜の自然な笑い声は、熱くなった空気を冷やした。


 呆然とする四人と一匹が一斉に藜へ顔を向ける。全員の顔に「理解できない」と書かれている。


 唯一藜の狙いを理解している雪だけが、藜の麗しい笑みにただ惚けていた。


 やがて、ひとしきり笑って落ち着いたらしい藜が四人と一匹に向かって口を開く。


「お前たちの言葉、花国軍怪異討伐特務部隊隊長として、たしかに受け取った。みなで生き、話し合いで解決をする。人も妖も関係なく、わかりあうとな」


 それは、春の訪れを告げるような朗らかな声だった。

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