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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
花の章

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四、一人と独り

 目を開けると、一面の銀世界だった。


 力を使い過ぎたのか、立っているのも精一杯で体が重い。


 積雪を踏みしめてなんとか顔をあげるも、周囲には誰もいなかった。(あかざ)も、椿(つばき)も、稲穂(いなほ)も、(ふみ)たちも。


 (ゆき)だけの世界。


 頭上に立ち込めていた暗雲も消え去り、当然ながら、炎も煙もない。真白な世界。


「もしかして……」


 雪は重たい体を引きずって歩く。何歩か歩いたところで想像どおり壁にぶつかった。


 どこもかしこも真っ白で、距離感も方向感覚も失われてしまったが、どうやらここは(はこ)の中らしい。


 匣の中に匣を作るなんて聞いたこともないが、おそらく雪の力が働いてしまったのだ。


 雪自身も確証は持てないが、藜と九尾を引き離すために作りだしてしまった『かくり世』だろう。


 そこに藜がいないということは……。


「まさか、お嬢さんにこんな力があったとは」


 推測にぴったりの声が聞こえて振り返る。と、積雪に埋もれていたらしい男が体を起こした。


 先ほどは横顔でよくわからなかったが、真正面から向き合えばわかる。


 その顔につけられた眼帯は、狐火事件のときに劇場で遭遇した男と同じものだ。


「あなた、どうして……」


「あの時は、まだまだひよっ子だと思ってたんですがね。まったく。偵察の意味がなかったな」


「偵察?」


「ええ。わっちの使命は、討伐部隊そのものを壊滅させること。(あやかし)の時代を作ることですから」


「そんな……」


「せっかくおびき寄せたと思ったのに、まさかこうくるとは」


 九尾は残念そうに首を振る。


 飄々とした男の腹の内が読めず、雪は攻撃に備えて身構えた。


 ――が、火球が飛ばされることも、火柱が立つこともなかった。

 

代わりに、男は雪をじっと見据えて言い放った。


「殺すなら、早く殺してください」


「え?」


「わっちの匣を破るくらいですから、お嬢さんのほうが力量は上。戦っても勝てませんから。んだら、さっさと散ったほうが男らしいでしょう」


 どうやらこの男、雪が男を殺すために、このような空間を雪が作りだしたと勘違いしているらしい。


 妖は、自分よりも強いものとの(いさか)いを避ける。服従する気がないなら死ぬしかない。そんな生きものなのだ。


 だから、雪はそうではないと全力で首を横に振った。


「わたしは、あなたを殺そうだなんて思ってません!」


 だが、残念ながら妖と人の間に横たわっている溝は大きく、深い。長い歴史の中で幾度となく繰り返されてきた戦いにより、お互いが交わることのできない存在だと本能に刻み込まれている。


 男も例にもれず、信じられないと嘲笑した。


「そういうのはいりません。情けをかけられる覚えもない。そもそも、ここでわっちを殺さないと言うのなら、お嬢さんはなんのために匣を作ったんです?」


「藜さんと、あなたを、守るためです」


「は?」


 雪の答えに、男はポカンと口を開けたかと思うと、やがて尻尾を大きく震わせて笑った。


「ハハハ! 人と妖を守る? ハッ、そんな変な話がありますか。妖が人を守り、人が妖を守るなど」


「あるんです!」


「幻想ですよ、お嬢さん。そうですね、もしも仮にそうだとしても……、あなたは利用されているだけです。人に遣われる惨めな妖だなんてかわいそうに。反吐(へど)が出る」


「わたしはどう思われようとかまいません。だけど、わたしは少なくとも、人によくしていただきました。妖の友人にも助けられました。だから、どちらも守りたいんです」


 雪が食い下がると、諦めの悪さに辟易したのか、男は笑みを消す。


「そういう理想論はウンザリなんです」


 男の声音は、先ほどよりも硬くなっていた。鋭い狐目が雪を射抜く。


「妖というだけで人から追い立てられ、住処(すみか)を奪われました。人間は欲深い生きものですよ。自分たちの思いどおりにならないというだけで、神でさえも呪い殺す」


 今までの余裕に満ちた態度が一変し、九尾の紅い瞳に炎が宿る。まなざしは雪ではなく、過去を映している。恨みと憎しみの思い出が彼の尻尾をわななかせた。


 先ほど、男は殺せと言った。男らしい、情けはいらないとそんな理由で。


 だが、そんな単純なことではなかったのだ。


 きっと、彼は『この世』に未練など最初からなかった。生きようと死のうと関係ない。人間に復讐するためだけに生きながらえてきただけなのだ。それが達成できないとわかれば、生きている必要などない。


 人間に恩を返すために生きながらえている雪とは、真逆の妖。


 雪も、何かが違っていたらきっと彼のようになっていたに違いない。ただ、雪はよい偶然が重なっただけ。


 ならば、やはり。


(わかりあえる。わたしたちは、生まれが違っただけで、あとは同じだもの)


 雪は男に一歩近づいた。


 手を差し出すと、男はどこか安心したようにうなずいた。


「ようやくわっちを殺す気になりましたか」


「いいえ」


 雪は男の手を取り、ぎゅっと握る。


 友人になりたい、そう願いを込めながら。


「あなたの話を、もっと聞かせてください」


「は?」


「あなたのことが知りたいんです。名前や、生まれた場所や、好きなもの。話したくないことがあったら、話さなくてもいいんです。誰だって、話したくないことの一つや二つはあると、わたしも言ってもらったことがあるので」


 雪は自らの思いをあますところなく伝えたいと矢継ぎ早に続ける。


「それに、人を好きになれなんて言いません。無理に理解する必要だってないんです。ただ、わたしは、あなたにも、人にも傷ついてほしくないだけ。お互いに干渉しあわなければ済むのなら、それだっていいじゃないですか」


 わかりあえないものもいる。それは、妖でも人でも同じだ。でも、だからといって傷つけあっていては、いつまでたっても終わらない。お互いに悲しい思いを抱えて生きていくだけでは。


「ただ、わたしはあなたと友だちになりたい。だから、教えてほしいんです。あなたのことを、もっとたくさん」


 知れば、きっと、わかりあえることもあるから。


「……本当に、変わったお嬢さんですね」


 男がポツリと呟く。今までで一番やさしい声だった。


「わっちのことを、知りたいなんて……。そんな人……、いや、妖すら今までおりませんでした」


 彼は目を伏せる。思いを噛みしめるように。


 いつの時代も、どんな場所でも、妖は孤独だ。


 雪も半妖になって初めて気づいた。長屋で人として暮らしていたときは、多くの人が周りにいたのに、半妖とわかった途端、人から隔離され、疎まれ、存在を隠され、自由すら奪われた。


 文だって孤独だった。かまいたちも一匹だった。


 群れる妖もいるが、強くなればなるほど妖は孤立する。妖同士の交流はないし、上位種になるほど、快楽や復讐といった目的のために人の世界で生きることが多くなる。


 九尾もその一人なのだ。


「妖だからって、わたしはあなたを独りにはしない」


 雪は九尾から目を離さなかった。


 どれほどそうしていただろう。


 男は雪の粘りに負けたのか、


「降参です」


 と両手をあげ、静かに口を開いた。

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