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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
花の章

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36/43

三、総力戦

 (ゆき)は深く息を吸って、指先に集中する。


 体内を巡る冷気が血液と共に体内を循環する様子を想像しながら強く念じた。


(みんなを守る。絶対に)


 キッと天高く燃え盛る火柱を見据えた瞬間、指先からヒラリと六花が舞った。


「……嘘」


 稲穂(いなほ)の声が耳に届く。それが合図となったように、雪の手のひらから大量の冷気がうなりをあげて炎へ向かって走っていった。


 赤く染まっていた視界が一気に白くなり、その眩しさに雪自身も目を伏せたくなる。


「これは……、また、すごいですね」


 静かに驚嘆する椿(つばき)は猛吹雪に苦笑している。


「ぼうっとするな、行くぞ」


 唯一、見慣れている(あかざ)だけが軽やかに飛び出す。雪の中をもろともせずに駆けていく。


 椿と稲穂も本来の仕事を思い出したか、藜の背に続いた。


 吹雪のおかげか火も弱まっているように見える。


(ふみ)姫さま、かまいたちさん、今のうちに!」


 雪が言えば、かまいたちは風となって銀世界を駆け、文もまた翼を広げてかまいたちの作りだした風に乗った。


 雪も遅れをとらぬように、手のひらを頭上へ掲げ、暗雲に向かって豪雪を打ち込む。


 しばらくすると、黒く立ち込めていた雲から、自然のものか、それとも雪の作りだしたものかはわからぬ粉雪が舞い始めた。それも次第に大粒になり、あっという間に牡丹雪(ぼたんゆき)になる。


 晴れた視界で見えたのは、弱まった火柱の根本で戦う藜たちの姿だった。


 雪が駆け寄ると、藜たちの中心――炎の中に人影が見える。どうやら、人の姿をしているその(あやかし)こそが火事の原因を作った九尾らしい。


 藜の剣戟を華麗によけ、椿の放つ呪符を火の玉で燃やす。稲穂の体術を受け流し、文とかまいたちの妖術さえもまるで赤子をあやすように一捻りして潰してしまう。


 四人と一匹を相手にしているはずなのに、とてもそうは感じさせない身のこなし。火球の大きさや速度、命中率など、どれをとっても完璧に妖力を操っている。


 ――強い。


 雪も加勢しようと手をかざし、雪玉を人影に向かって何発か放つ。と、それに気づいた人影がチラと雪を見た。


 炎に照らされた横顔、それは見覚えのある男の顔だった。


「どこかで……」


 九尾の放った火の玉が雪玉を溶かし、そのまま雪に向かってくる。そのせいで、思考を中断せざるを得なかった。雪はなんとかそれを転がり避けて、手を地につける。ついた指先から地面に冷気を伝えれば、一気に地面が凍りついた。


 九尾の足元を這いあがるように氷が駆けていく。かまいたちを捕まえたときと同じ要領で力を込める。と、男の背後からぶわりと猛々しく起立した九つの尻尾が大きく震え、氷はいともたやすく砕かれた。


 反撃に備え、雪は素早く手を地面から離す。が、雪を助けるように藜と文が男にそれぞれの方向から襲いかかったおかげで反撃は免れた。


 続けて、椿の呪符が尻尾の一つを捉える。椿が何やら唱えると、呪符は(ツタ)のように形を変え、尻尾から九尾の体に向かってシュルシュルと伸びていく。違和感に九尾の男が足を止めたところで、その体に稲穂の蹴りが決まった。


「グゥッ!」


 男から初めて悲痛な声が漏れる。しかし、その怒りを糧にしたとでも言うようにすぐさま火柱が渦を巻いて稲穂たちに襲い掛かる。嫌でも距離をとらざるをえず、後退した皆の頭上に火の粉が振り注ぐ。多少の攻撃を受けても、それを凌駕する勢いで反撃されてはこちらも迂闊に手が出せない。


 やはり、相当手練れのようだ。こちらのほうが数は圧倒的に有利なはずなのに、まったく隙がない。


「雪っちの力も激ヤバだけど、あいつもまじやばじゃん」


「ほんまに。おかげで式神も呪符もすぐやられてまいますし。かないませんわ」


「雪っちを守るっていうのは撤回。後、女の子は危ないところに行かなくていいって言ったのも撤回! 雪っち、一緒に戦うよ」


「今回に関しては、わたくしも賛成しますよ」


 稲穂は強がりな笑みを浮かべ、頬を伝う汗を拭う。椿も肩でぐっと横頬の汗を拭きとっている。


「雪や、冷気をわらわに送ってくれたもう」


「キュキュキュ!」


 熱で体力も奪われるのか、文とかまいたちもヘロヘロと雪の腕に張りついた。雪は集中を男から逸らさないようにしつつ、冷気を周囲に放つ。たしかに、この暑さが続けば、そのうち倒れてしまうかもしれない。


 雪が周囲の空気ごと冷やすと、椿たちも休憩と言わんばかりに雪に近づいた。


「何? 雪っちってそういうこともできんの?」


「あ、ほんまや。雪さんの周りは涼しい気ぃしますわ」


 妖の力だというのに、目の前にもっと強大な妖がいるせいか、雪のことは怖くもなんともないらしい。


 と、唯一戦っていた藜が雪たちを見つけて


「おい! サボるな!」


 と苛立ち紛れに叫ぶ。


 少し涼んで気が楽になったのか、藜の怒号を受けてか、皆は再び臨戦態勢をとった。先ほどまでも真剣だったが、その顔はより険しい。


 椿は複数枚の式神を同時に繰り出し、稲穂は男に向かって全速力で突っ込んでいく。文は鳥から剣の姿に形を変え、かまいたちもさらに強い風となって男に向かう。


 雪もまた手に力を込めた。想像力を働かせ、より鮮明な光景を脳内に描く。男の動きを封じ込めるための檻、それを氷柱(つらら)で作る。


「行きます!」


 皆を巻き込まないようにと合図し、全員の攻撃が止んだところで天高くかざした手をめいっぱい振りかざす。


 雲間から氷柱が勢いよく落下する。脳内に描いていたとおり、男を取り囲むように地面に突き刺さった。


「よしっ!」


 稲穂の喜びもつかの間、身動きなどとれないはずの男自身からゴォッと炎が上がった。


 火は今までのどれよりも大きく、たちどころに空気が膨張して爆風が発生。雪たちは一気に後方へ吹き飛ばされる。


「キャアッ⁉」


 それは一瞬のことで、雪たちは散り散りに四方八方、地面や木々に打ち付けられる。


 痛みをこらえてなんとか目を開けると、濛々(もうもう)と巻き上がった煙の隙間に、爛々と赤い目を輝かせた九尾の男の影が見えた。


 男の先にいたのは、地面に転がっていた藜だった。吹き飛ばされた衝撃で持っていたはずの刀は遠くに落ちており、今や丸腰だ。


「藜さん!」


「隊長!」


 雪たちの声が響く。だが、藜は打ちどころが悪かったのか頭から血を流してピクリとも動かない。


 男は藜に近づいていく。


 やがて、藜の前で足を止め、男はぽっと小さな炎を指先に灯した。


 その炎は無情にも、藜に向かって軽々と投げつけられる。


 火が空を舞うその一瞬が、永遠のように思えた。


「藜さん‼」


 雪の叫び声と同時、炎がボッと藜を燃やした――かと思うと、炎は金色に光輝いて霧散し、そこから深紅の瞳をギラギラさせた藜が現れる。


 流れていたはずの血は止まっており、傷一つない端麗な顔が闘志だけをたたえて妖を見据えている。


 妖の力を封印していたはずの藜が、その力を解放したのだとわかった。


 男もまた藜の力に気づいたか、サッと距離をとる。


 男は炎を、藜は金色の光を纏った手を互いにかまえてにらみ合う。


 体外に漏れた妖力がぶつかりあい、陽炎(かげろう)のように二人の姿が揺らぐ。


 二人とも消えてしまうのではないか。


 そんな考えが脳裏をよぎって、同時、雪は確信する。


(相打ちにするつもりなんだわ!)


 強い力を持つもの同士がその力を遠慮なくぶつけ合ったらどうなるかなど、想像に容易い。


 凝縮された力の塊はとてつもない威力を放ち、爆発する。そうなっては、周囲にいる雪たちもタダではすまない。下手したら、全員が巻き添えを食らって死んでしまう。


 うまくいっても――どちらかだけが生き残るなんてことは、まずありえない。


 気づいた瞬間、雪は反射的に駆けだしていた。


 そんなことは望んでいない。


 誰一人、傷つけないと決めた。人だろうと、妖だろうと、守りぬくと決めた。


 雪が走りだすと同時、二人も覚悟を決めたようにその手を振りかざす。


「ダメエェェェエエエエッ!」


 絶対に、守ってみせる。


 決死の思いが雪の力を増幅させ、辺りはまばゆい光に包まれた。

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