十六、特訓を終えて
十日間にわたる特訓の日々は、瞬く間に過ぎ去っていった。
日中は藜から簡単な体術を徹底的に教え込まれた。夜になると、どこからか現れる大量の妖を相手に、自らの力を制御する方法を体に叩きこむ。藜だけでなく、文やかまいたちも付き合ってくれたおかげで、一週間が過ぎるころには、雪は繊細な制御もできるようになっていた。
相手の攻撃を吹雪で受け流し、ときに豪雪で目をくらませ、殺さぬ程度に妖を氷漬けにして自由を奪う。
雪の力は、特に何かを守りたいという意思に強く反応しているらしく、攻撃向きではないものの守護には適しているようだった。
雪の生み出す吹雪や豪雪は匣に近い役割を持っている――それが、藜や文の見解だった。
雪は、捕えた妖との対話や身振り手振りでの交流も試みた。が、こちらはあまりうまくいかなかった。文とかまいたちも協力してくれたが、雪たちの友だちになってくれる妖はいなかった。
そもそも、妖だって人間が憎い。雪は半妖とはいえ、人間の姿かたちをしている。むしろそういう半端者こそ、もっとも気味が悪いと思われているようだった。敵意をむき出しにして命を奪おうと算段している妖は聞く耳を持たず、その場合には、さすがの雪も祓うしかなかった。
すべてがうまくいくだなんて最初から思っていなかったが、これには雪の胸も痛んだ。
何十と戦い、すべての妖が降参して逃げていくか、戦って祓うしかなくなるのだから、理解しあうなど夢のまた夢だと突きつけられる。
桐吾もこのような気持ちだったのだろうかと想像する雪に対し、二の舞にならないようにと藜は耳にタコができるほど言い聞かせた。雪も、それを自らに言い聞かせながら、妖と向き合い続けた。
妖も、人も、みながすぐに理解しあえるわけではない。
体の使いかたも、力の使いかたも、心の在りかたも。多くを学んだが、それ以上に、改めて、自らが立てた夢の難しさを痛感する日々だった。
「……でも、もう、それも終わりなのですね」
雪は着物をつめた風呂敷をきゅっと結んで立ち上がった。
廃寺の掃除も、倉庫への食料の補充も昨日のうちに完了し、いよいよこことはお別れなのかとかすかに寂しくなる。
帰れば、きっと九尾との対決が待っている。妖は雪たちの成長を待ってなどくれない。
ここ数日は、椿からの報告書が式神によって藜のもとへ届けられていた。おそらく、帝都の状況や、地方の状況が芳しくなかったのだろう。その証拠に、藜は今朝がた、雪をおいて寺を発った。
これはすなわち、雪が藜からの信頼を勝ち取ったということでもあった。半妖である雪と妖である文、かまいたちを、誰の見張りもつけずに本部の外で行動させる、そんな行為を藜が許可したのだから。
しかも、多すぎるほどの金を持たせたうえに、「今日は休暇だと思え」と謎の言葉を残して。
「まったく、最後まであやつのことはよくわからぬ」
帰り支度のない文は、雪より一足先に寺の門をくぐる。藜に対する文句の裏側に、喜びが透けて見えるようだったが、雪はそのことには気づかないふりをしてうなずく。藜を怖いとはもう思えないが、何を考えているのかわからないとは思う。
雪は藜からもらった金の入った巾着を胸元にしまい、まだ廃寺で楽しそうに駆けまわっているかまいたちに声をかけた。
「かまいたちさん、行きますよ」
「キュキュッ!」
かまいたちは風のように素早く雪の足元へやってくると、そのまま器用にすたすたと雪の体を登って、風呂敷の隙間に入り込んだ。事前にお願いしたとおり、体を風呂敷に隠し、顔だけをひょこりと覗かせる。こうしてみると、完全にイタチだ。
「それじゃあ」
雪は文に続いて門扉をくぐり、寺のほうを振り返る。
おどろおどろしいと感じていた廃寺も、この十日間ですっかり見慣れてしまった。懐かしいと思うのは、変だろうか。
「お世話になりました」
雪は寺に向かって頭を下げる。
次に顔を上げたときには、遠くに迎えの馬車が見えた。
同じく馬車を見つけたらしい文が、雪の着物の裾をきゅっと引っ張る。
「のう、雪や。今日は休みじゃろう?」
「ええ」
「ならば、我々が帰りに寄り道をしても、誰も咎めまいな?」
雪には文の言いたいことがわかった。文もまたいたずらな笑みを浮かべて、目をキラキラと輝かせる。
「「布顛!」」
雪と文の声が重なり、二人は自然と手を取り合った。かまいたちも、自分も食べたいと言わんばかりに「キュ!」と主張する。
そうと決まれば早速、喫茶店に寄ってもらうように伝えなくては。
雪たちの前で止まった馬車に、先に文とかまいたちを乗せ、雪は御者に頼む。藜からもらった金を少し渡せば、御者も快くうなずいた。
雪が馬車に乗ったのを合図に、馬のいななきと共に馬車は軽快に走りだす。
雪たちは十日間のできごとを胸に刻みつけるように、寺がどんどんと後方に、小さくなっていくのを見送った。




