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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
月の章

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32/43

十五、手をとる人たち

 モフモフとしたやわらかな感触に目を覚ますと、かまいたちの尻尾が目の前を覆っていた。


「……、あっ!」


 ガバリと身を起こせば、両脇には(あかざ)(ふみ)が座っている。


 状況を理解する前に、文が(ゆき)に飛びつく。


「無事かえ? 痛いところなどないか? そちが急に倒れてしまうから、わらわは、わらわは……っ」


 文の震える声に、雪もそっと文の背に手を回す。トントンと背中をさすると、文の肩がヒクッと上下した。肩口に文の涙を感じて、雪はきゅっと背中に回した手に力を込める。


「文姫さま、ご心配をおかけしてごめんなさい。わたしも、文姫さまが心配で。怪我はしておりませんか?」


「ああ、わらわは大丈夫じゃ。こんなひょろっこい男に負けるわけがない」


「まあまあ。藜さんのことをそんな風に言えるのは、文姫さまだけですね」


 雪が笑うと、藜が気まずそうな目を雪に向けつつ、ムッと口角を下げた。


「失礼なことを言うな」


「藜さんも、お怪我はありませんか?」


「ない」


「フン、素直じゃない男よの。雪が倒れて心配の一言も言えぬか」


「……うるさいぞ、(あやかし)


「キュィ」


 かまいたちの声が割って入り、文と藜はフンと互いに顔を背けあった。


 雪は、文の背に回していた手を片方あけて、甘えるように体をこすりつけるかまいたちの頭を撫でる。


 なんだか、不思議な気分だ。


 あの藜が妖に囲まれているというのも、妖と人が座って会話をしているというのも。


「二人が仲直りできたことも、かまいたちさんが一緒にいてくれたことも、嬉しいです」


 雪が笑うと、二人と一匹は声をそろえた。


「してない」「しておらぬ!」「キュィ!」


 すっかり仲よしである。


 どうやら、雪が倒れてしまったことで、藜と文は停戦協定を結んだらしい。藜は、妖を認めたわけではないが、文のことは少し受け入れられたようだ。文も相変わらず藜を毛嫌いしているが、討伐されずに済んだらしい。かまいたちも、すっかり大人しくなっている。


「よかった」


 雪がホッと胸をなでおろすと、藜は疲れたと言うように肩を下げ、文はようやく笑みを浮かべた。


「わらわも、そちの意識が戻って安心したぞ。妖力を使うことにまだ慣れておらぬのだろう。無理は禁物じゃ」


「はい、ありがとうございます。明日から、もっともっと特訓しなければなりませんね」


「禁物と言うておろうに……」


「馬鹿には何を言っても無駄だ」


「雪は馬鹿ではない! 馬鹿はそちのほうじゃろう!」


「なっ! 僕は違う!」


「もう! いい加減にしてください!」


 子供じみた喧嘩を仲裁すると、二人は再び黙りこむ。いがみ合ってきた二人だから、突然仲よくしろと言われても、どう接してよいのかわからないのは無理もないが。なんだか、その様子がおかしくて雪はやっぱり笑ってしまった。


「ふふ、とにかく、今日はお騒がせしてごめんなさい。でも、ようやく力の使いかたがわかってきました。それに、やっぱり、妖ともわかりあえることも」


 雪がかまいたちの頭を撫でると、かまいたちは心地よさそうに「キュゥ」と鳴いた。


 文によると、かまいたちはじゃれていただけ。寂しくしていたところに人が来て、遊びたかったようだ。


 もちろん、悪意をもって人をいたぶる妖もいるのだろう。だが、そうでないものもいる。それがわかっただけで充分だ。


「今日はもう、夜も遅いですし、お二人もお休みになってください」


 雪が言うと、文は躊躇(ちゅうちょ)せず雪の隣に横になった。


「そうじゃな。まったく、こやつのせいでとんだ夜になったわ」


 文はかまいたちの鼻先をこつん、と軽くつついて目を閉じる。どうやら、文も久しぶりに妖力を発揮して疲れたらしい。しばらくすると、すぐに寝息が聞こえてきた。眠っていると本当にただの子供のようで愛らしい。


 ふと視線を動かせば、藜もその場に座りこんだまま、複雑な顔で文を見つめていた。


「藜さん?」


「ああ。いや……」


 藜はごまかすように壊れてしまった窓のほうへ視線をやり、ついで、雪の隣ですぅすぅと眠っている文とかまいたちを見比べる。


「妖と、手を取ることになるとはな」


 自嘲気味に細められた目は、しかし、やわらかな(あか)をたたえていた。


「この妖から、桐吾(とうご)隊長のことを聞いた」


「そうでしたか。わたしも、桐吾さんは妖にも分け隔てなく接した人だった、と文姫さまから聞きました。藜さんは、桐吾さんに拾っていただいたんですよね」


「ああ。僕は隊長を尊敬していたし……、同時に憎くも思っていた」


「憎い?」


「妖のことも助けるような人が討伐部隊の隊長だなんて相応しくない、と。隊長が妖に食い殺されたとき、僕は、やっぱり、と思った」


「食い、殺された……」


乙種(おつしゅ)だった。妖を傷つけたくないと、お前みたいなことを言って、妖に負けた」


「そんな」


「妖を殺せぬ人間が、妖と戦えるわけがない。だから、僕は妖をさらに憎んだ。隊長として相応しい人間になろうと努めた。なのに……」


 雪を見つめた藜の顔は迷子のようだった。


「……お前を、助けてしまった。僕に、隊長に、お前が似ていたから……」


 絞り出すような声から相反する感情が滲む。悔しさ、喜び、寂寞、懐古……。そのどれもが正しく、藜の胸中を表しているのだろう。雪の胸をも締めつけるような、そんな声だった。


「今も、こうして妖を見逃して。憎いはずなのに、なぜ」


 藜は震える拳を振りあげ、しかし、畳にぐっと押しつけた。寝ている文たちを起こさないよう配慮して、心のまま叩きつけないあたりに彼の性根が透けて見える。


「僕は、隊長失格だ」


 掠れた声は、心が追いついていない証拠だと思う。


 本当に、不器用な人だ。


 雪は力を入れすぎて白くなっている拳をそっと包む。


「いいえ。絶対に失格なんかじゃありません。藜さんから見て、桐吾さんは立派な隊長だったのでしょう?」


「それは、そうだが……」


「ならば、藜さんも同じです。半妖のわたしたちだからこそ、できることがあるかもしれませんし。桐吾さんが成し得なかったことを、引き継ぐことだってできます」


「しかし……」


 藜は反論しようとして、言葉が見つからなかったのか、すぐに閉口した。


 考えこんでから、文とかまいたちを見つめる。やがて、その紅は雪を映した。


「……本当に、お前は変わったやつだ」


 どこか眩しそうに見つめられ、くすぐったくなる。


 藜はそのまま足を崩して天井を仰ぎ見た。緊張や力みがとれ、横顔にはやわらかさがある。


「まったく。お前のせいで、僕までおかしくなってしまった」


 嫌味さを感じさせない言葉に、雪は藜の手を握る力を強める。


 もう、藜を怖いだなんて思えなかった。


 むしろ――、この人のこんな笑顔をずっと隣で見ていたい、雪はそう思う。

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