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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
月の章

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十四、紙の匣から

 (ゆき)(ふみ)を隠そうと一歩前へ出るも遅く、(あかざ)の紅玉のような瞳が空中で氷漬けにされているかまいたちから雪の後ろに隠れた文へと移動する。


「これは……」


 雪はどこからどう伝えるべきか悩んで口をつぐむ。


 文の話と、かまいたちの話。簡単なのは、かまいたちのほうだ。だが、その報告で茶を濁すことは不可能だろう。


 正直に話すべきだとわかっていても、文を危険にさらすことには耐えられなかった。


「……この、(あやかし)はかまいたちと言って」


「わかっている。あらかた、そこから入ってきたのだろう?」


 藜は壊れた縁側の窓枠へチラと視線だけを投げて、すぐに雪へ向き直る。雪を逃がすまいと言外に語る。


「妖でも、傷つけたくなくて……、このような形に」


 無理だとわかっていても、我ながら無様にもがいてしまった。藜がしたい話は、かまいたちのことではない。理解はできるが、雪とてそう簡単に文を差し出すわけにはいかない。


 しかし、藜はしびれを切らしたように文へと鋭い刃のような目を向けた。


「どれだけお前が丁種(ていしゅ)の妖を手懐(てなず)けようが、僕には関係ない。だが、その子供は違うな」


「藜さん、違うんです。これには訳が……」


「訳? 乙種(おつしゅ)以上の妖がどんな存在がわからないのか?」


「そんな言いかた……っ! 文姫さまは、わたしの大切なお友だちです! 藜さんが考えているような妖ではありません!」


「ハッ、口では何とでも言える。乙種以上の妖は狡猾(こうかつ)だ。お前を(だま)して殺す可能性だってあるだろう」


「そんなこと」


「あるんだよ。少なくとも、僕にはあった」


 藜は忌々しげに吐き捨てる。


 妖に騙された過去のある藜に言われては、説得力が違う。


 あまりに悲痛な声音に雪が口をつぐむと、文が雪の影から姿を現した。


「黙って聞いておれば、先ほどから失礼な。わらわを下劣な妖と一緒にするでない」


「文姫さま!」


 雪が制止するも、文は「よいのじゃ」と雪の前に躍り出て、雪をかばうように藜と対峙する。


「まったく。桐吾(とうご)に拾ってもらった恩を忘れたか。半妖の子よ」


「……何?」


「それとも、妖力を封印し、半妖であることすらも忘れたか。人のふりをしよって、小賢しい」


「なぜ、それを……」


 藜が一瞬戸惑いを見せると、今度は文がフンと鼻を鳴らした。


「わらわを侮辱することは、桐吾と雪を侮辱するも同然ぞ? それとも、そちにその覚悟があるのかえ?」


 ゾクリと寒気がした。


 それは、文が妖力を解放した証でもある。


 障子や(ふすま)がガタガタと揺れ、まるで暴風に吹かれたかのように、紙が舞い上がる。視界はあっという間に白く染まり、紙があちらこちらから飛んでくる。その勢いに押され、雪は後ずさる。大きな壁紙が迫り、咄嗟にかまいたちを胸元に抱えて守るように頭を伏せた。顔のすぐそばで「キュィ」と怯えるようなかまいたちの鳴き声が聞こえる。顔をあげたときには、雪は紙に囲われて閉じ込められていた。


(はこ)だ……」


 匣の役割は、外界との遮断。結果的に中のものが守られるだけで、中からも外からも作用しない。


 どうしよう、と雪は紙の壁に耳を当てる。


 腹立たしげな藜の舌打ちと、刀を振るう音が同時に耳につき、やがて紙がこすれるような音と紙が切り裂かれるような音が連続的に続く。


「文姫さま! 藜さん! おやめください!」


 雪は、真っ白な視界の中で叫んだ。紙一枚隔てた向こう側で、藜と文が戦っている気配だけが感じられる。


 そんなことは、望んでいなかった。


 どちらにも、傷ついてなどほしくない。


 ならば、自分がやるべきことは。


 雪はかまいたちの氷を溶かし、そっと床に逃がす。


「かまいたちさん、何があってもここから出ちゃダメよ」


「キュ、キュ……」


「わたしは、あの二人を止めてくる。きっと、大丈夫だから」


 雪はなんとか笑みを取り繕って、外の世界へ向かってもう一度叫んだ。


「どうしてっ……、どうして、分かりあおうとしないのですか!」


 しかし、雪の声は届いていないのか、二人はまだ争っているようだった。空を切るような紙と刃の音はいまだ止まない。


「ここから出ないと……」


 戦いを止めることすらできない、と雪は紙の壁を見つめる。


 以前、匣から脱出できたのは妖を倒したからだ。だが、今回はその手が使えない。文は匣の外にいるし、そもそも文を倒すなんて論外だ。


 ならば、別の方法で匣から出なければならない。


「せめて、この匣が破壊できるくらい弱ければ……」


 匣の効力を弱めるにはどうすればよいのだろう。考えてみれば、同じような力を持つ結界は、藜が一時的に弱めることができる。ならば、匣も同じかもしれない。


 どうすれば弱めることができるのかはわからないが、何か条件があるはずである。


 触れる? 試しに雪は手をかざす。妖力が指先に集まっていく想像をすれば、先ほど力を使ったからか、今回はすんなりと指先から六花がこぼれた。そのまま匣に触れてみる。


 と、かすかに匣の中に指先が埋まるような感覚があって、雪は息を飲んだ。


「もしかして……」


 匣を作りだしている妖力を別の力で相殺すれば、あるいは上書きしてしまえば、匣を解除することができるのではないだろうか。


 雪は再び指先を強く匣に押し付ける。そのまま、指先から氷を紙面に行き渡らせるような想像を脳内で膨らませた。


 ずぶ、ずぶ、とわずかに指が入っていく。


 しかし、第一関節が埋まったあたりで、雪の体に激痛が走った。


「っ!」


 反射的に手を離すと、歪んでいた空間はすっかり消え、匣に開きかけていた穴も閉じてしまう。


 どうやら、一定まで力を注ぎこむと、もとの力が反発するようになっているらしい。


 痛みにさえ耐えられれば、なんとかなりそうな気がする。


 雪は苦痛に顔を歪めながらも、もう一度力を制御する。


「お願い……!」


 と、雪の足元にいたかまいたちが、突然雪の体を駆けあがった。とたたっと軽い足取りで雪の肩に足をかけたかと思うと、ぴょんっと飛び跳ねて体を一回転させる。


「かまいたちさん?」


 雪が瞬きする間もなく、風となったかまいたちが匣の紙を切りつけた。


 切られた紙の隙間からかすかに暗がりが見え、外からの空気が流れこむ。


「キュィ!」


 かまいたちが「行け」と言っているような気がした。


「ありがとうございます!」


 雪も、今しかない、と覚悟を決めて、妖力のこもった指先を狭間に入れ、手を突っ込む。紙の匣を無理やり外へと押し広げる。


 体をねじこむと、ビリビリと体中を電気が駆け巡るような痛みが走る。熱い。痛い。熱い。体が燃えているようだ。


 雪はそれでも必死に耐え、もがき、匣を潜り抜けた。


 顔を上げた先、文の紙で作られた刃と藜の刃が交わる。


「そこまでぇぇえええっ!」


 雪は二人の刃先めがけて吹雪を放つ。


 その場を凍りつかせるほどの雪塊が勢いよく文と藜の刃先に割って入ると、二人はピタリと動きを止めた。


「なぜ止める⁉」


「そうじゃ! 雪、止めるでない!」


「ダメです! お二人がなんと言おうと、今回ばかりは見過ごせません!」


 雪は二人の覇気に負けじと声を張りあげる。


「お二人とも、わたしの大事なおかたです! 傷つけあうことはわたしが許しません!」


 そんな二人を見たくもない。


 雪が肩を上下させながらも藜と文、それぞれをきつく睨むと、二人はいよいよ動きを止めた。


 先に折れたのは文で、妖力を抑えこみ、紙の刃や雪が無理に破った匣を消し去る。


 それを見た藜もまた、刀を(さや)に納めて息をついた。


 剣呑な空気は流れたままだが、それでも、ひとまず二人を止められたことに雪は安堵する。


 安堵すると同時、力を使い過ぎたのか、どっと疲労が押し寄せてきて――、


(ダメ……、まだ……)


「話し合って、ちゃんと、わかり、あい、ま、しょ……」


 雪の意識は、そこで途切れた。

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