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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
月の章

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八、大雪の予感

 長治(ちょうじ)との再会から一週間が経ったころ、相変わらず勉強に励んでいた(ゆき)(ふみ)の呟きに手を止めた。


「なにやら、大雪になりそうじゃの」


 しかし、窓から見えるのは冬らしい澄んだ夜空だけだ。


 たしかに、日増しに寒さは厳しくなっている。雪女か雪男かわからぬ血が混ざっているからか寒さに強い雪でも、近頃は毛布を膝にかけて勉強しているくらいだ。


「文姫さまは、お天気もおわかりになるのですか?」


「いや、わらわにそのような力はない。これはただの勘じゃ。あたるとも限らぬ」


 文は紙のように軽やかに舞うと、窓辺から文机の上に移動して雪の手元を覗き込む。


 雪が今読んでいる資料は、これまでの数々の報告書だ。(あやかし)の基礎的な知識は履修できたので、討伐部隊で実際にこれまで実施してきた調査や、処理してきた事件を学んでいるところである。


 近頃、狐火討伐以来、鳴りを潜めていた小火(ぼや)騒ぎが、またも帝都を騒がしている。そのため、なにか手がかりはないかと雪なりに考えた結果でもあった。


 文は報告書を面白くなさそうに一瞥する。


「そちも、妖を憎く思うかえ?」


 子供らしい幼い声は、雪の心を直接なでるように響く。


 雪も、ずっと自問し続けている。


 長治とともに襲ってきた妖は怖かった。結果的に助かったからよかったものの、あのまま長治を食われていたら、きっと雪は妖を憎んでいただろう。


 だが、文のことは友だちだと思っているし、仮に(あかざ)が半妖だったとしても憎む気持ちにはならない。そもそも、雪自身が半妖なのだから、同じ半妖を憎むというのも違う気がする。


「……妖だから憎く思う、なんてことはありませんよ」


 雪は自らの思いを口にして、自分自身で納得した。


 相手が誰であろうと、自分が大切にしているものを奪ったり、傷つけたりするものを憎く感じるのだ。


 人間にだって、悪人はいる。雪は幸い、人からの悪意にさらされたことがない。だが、もしも長治が誰かに殺されたなら、殺した人のことは憎く思うに決まっている。


 雪の本心を探るように、文は藤のような紫のまなこに雪を映す。


「じゃが、このところ、報告書を熱心に読んでおるじゃろう。討伐任務もくだっておらぬというのに。勉強熱心というよりも……、その、わらわには、そちが妖を討伐したがっているように見えるのじゃ」


「まさか! そんなつもりはまったく」


「ならば、どういうつもりなのじゃ? 人間に手を貸し、妖を()つのじゃろう?」


「それは……」


「知識や力におぼれれば、飲み込まれる。そうでなくても、続けているうちに麻痺してくるぞ」


 文の忠告に、雪はハッとした。


 妖を討伐するために、雪は力を制御したいわけではなかったはずだ。


 なんのために勉強しているのか、その理由を思い出す。


「……文姫さま、ありがとうございます」


「目が覚めたかの?」


「はい。でも、この勉強をやめることはできません」


「なぜじゃ?」


「わたしは、自分の力で大切なものを守りたいんです。そのために、知識や力をつけなくてはいけませんから」


 また長治が襲われたときに助けられるように。藜に降りかかった火の粉を払えるように。


 討伐部隊も、隊員たちも、そして、文も。みなを守りたい。


「文姫さまを不安な気持ちにさせてしまったことは謝ります。それは、わたしの配慮が足りませんでしたから。ごめんなさい。でも、文姫さまのことをお守りするためにも……、それだけじゃなくて、争わない世を作るためにも、今は多くのことを学ぶ必要があるのです」


 それは、人でも妖でもなく、人でも妖でもあるという矛盾を抱える半妖の雪だからこそ(こいねが)う夢。


 雪は文の手を強く握る。


「もしもわたしの夢が叶ったら、文姫さま、ぜひ一緒に喫茶店へ行きましょう」


「喫茶店?」


「ええ。おいしいお茶と、おいしい布顛(プリン)がある場所です。布顛は、甘い卵みたいなもので、口に入れるとやわらかくてとろけるようなんですよ」


「……しかし、そんなのは今までも……、桐吾(とうご)だって、できなくて……」


「ずっと続けていれば、いつかきっと、なんとかなります」


 戦うためでなく、守るために力を。そのためにも今は。


 雪が笑ってみせると、文も渋々ながら納得したのか雪の手を握り返した。


「必ずじゃぞ。約束したからな。その布顛とやらを一緒に食べようぞ」


「ええ、必ず」


 互いに小指を絡めあい、指切りげんまん、と歌うように唱える。


 二人を照らす月の光は穏やかで、これからそんな未来が必ず来ると告げているようだった。


 ――のだが。


 文が言った『大雪』は、突然にやってきた。


 翌日、隊長室に呼び出された雪は藜の苦虫を嚙み潰したような顔を見て察知した。


「お前に、討伐の任をくだす」


 よぎったのは、小火騒ぎのこと。あの日の狐火がまぶたの裏にちらつく。


 雪が覚悟していると、藜は苦々しい顔をさらにしかめる。藜にしては珍しく、雪ではなく自らの手元を睨みつけていた。


 重々しく口が開かれたのは、数秒後で。


「……今回は僕だけじゃなく、椿(つばき)稲穂(いなほ)も一緒だ」


「え?」


 予想だにしていなかった条件に、雪は目を見開く。


 雪が半妖と知らない椿と稲穂もともに任務に赴くとなれば、雪は力が使えない。いや、それとも、二人の前で使えと言っているのだろうか。


 だとすれば、雪が半妖であることはバレてしまう。それとも、その場で雪も討伐される?


 まとまらない思考で、次に雪の脳裏をかすめたのは、以前椿から教わったことだった。


 丙種(へいしゅ)を倒すのに討伐隊一人、乙種(おつしゅ)なら三人、甲種(こうしゅ)は……考えたくもない。


 つまり、隊長である藜を筆頭に、その補佐役の椿と、同じく隊の中でも実力派と名高い稲穂が揃って任務にあたる。しかも、丙種以上の力を持つとされる雪をも連れて。


 それが何を意味するのかは、すぐにわかった。


「乙種以上の妖と、戦うのですね」


 雪が問えば、藜は堪忍したように息をついた。


「そうだ」


 藜の紅い瞳がゆらりと炎を宿す。


 その怪しげな光は、死を予感させるようなほの暗さを孕んでいた。

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