63 キーラの葛藤(ロランside)
タウンハウスのキッチン。
シャワーを浴びて、キーラの様子を見に来たら、なんだか思い詰めていたので、声を掛けた。
「忘れてあげるから、全部吐いちゃいなよ」
「うん……あのね、もう結論をヨナさんに伝えなくちゃなの」
「そうだね」
帰り支度をすると、伝えられている。
試合が終わったら……本格的な帰国準備に入るだろう。
「私……レナートと離れたくなくて……」
「うん。話してみた?」
「ううん……まだ……勇気がなくて」
とキーラは俯く。
「言うだけ言ってみたら良いんじゃないの?」
――すると、長い沈黙になった。
でも僕は、辛抱強く待ってみた。
そうしたら、ものすごく躊躇った後で、ポツポツと言葉が出てきた。
「……今日、ね。レナートが……まるで、知らない人みたいで……」
「ああ。戦うところなんて、見る機会ないもんね。怖い? 嫌いになった?」
「ううん」
「じゃあ、レナートの知らない一面に戸惑ってるって感じかな」
「! きっと、そう」
「その人の全部を、いきなり把握するのなんて不可能だよ。僕だってキーラに見せてない所いっぱいあるし。キーラもでしょ?」
キーラが、何度も瞬きをする。
「好きな人って『特別』な存在だからさ。なんとなくキーラの気持ちは分かるけどね」
「好きな人……特別……そっか。私、私の知らないレナートが、嫌だったんだ……!」
ぱあ、と視界が開けたような顔になった。
「なら、これからまた知っていけば良いんじゃない? 好きな人のことを深く知るって、楽しいことだよ」
「深く知るって、楽しい……うん、うん、そうだね!」
キーラの手を引き寄せると、手先が冷たかった。
「あの堅物の本心を、この際ちゃんと聞いた方が良いよ」
「でも、レナートに、幸せでいてほしいの。悩ませたくないの」
――すごいなあ。
キーラは騎士として戦うレナートが眩しくて、邪魔したくない気持ちが勝って、何も言えなくなっちゃったんだって。
ただ欲しいと言ってしまえば良いのに、決してそうしない。
むしろ我慢する癖が付いたのは、貧しい漁師の老夫婦に拾い育てられたからか、と思い至り、唇を噛み締めすぎて、じんわりと鉄の味が口腔内に広がる。
人のことばっかり考えて、我慢して、遠慮して。そんなことしてたら、将来君自身が壊れちゃうよ。
だって、世界は暗くて黒くてドロドロで、欲しがりだらけなんだからね。
「もう一生会えなくなるかもしれない。それでも良い? 後悔しない? どうせ最後になるのなら、嫌われてもなんでも、全部ぶつけてみれば?」
キーラが目を見開く。
『最後』という言葉は、余程衝撃だったようで、それから「そっか、最後……会えなくなる……」と、泣き始めた。
キーラ、泣かせてごめんね。でも僕はレナートにも幸せになってもらいたいんだよ。僕はずるい大人で、レナートは僕の――大事な恩人だからね。
「ひっく、ひっく、ごわいけど、後悔しだぐない」
「うん。大丈夫だよ、見守っているから」
――初恋なんだもんね。悩んで、迷うよね。……羨ましいな。
「ありがと、ロラン」
「えっへん。なんたって、お兄ちゃんだからね」
「んふふ!」
「特別だよ、僕のお姫様」
ぎゅって抱っこして、そのまま横抱きで寝室へ連れて行ってあげた。
キーラは、お姫様ってすごいね! なんてキラキラした顔をしていたよ。ほんと可愛いなあ。今度はレナートにしてもらいなね。
泣き疲れたキーラを寝かせて、水でも飲もうかとキッチンに下りたら、ちょうどレナートが帰ってきた。
「すまん、遅くなった――キーラは?」
「思ったよりだいぶ早かったね。今ちょうど寝たところ」
「……そうか」
「あとでベッドに潜り込んだら? キーラの部屋だけど」
「うぐ」
お? あまり酔ってない?
「はあ。途中から水にすり替えたんだが、なかなか離してもらえなくてな」
まさか、添い寝するために、飲まずに抜け出してきたの? 相当な溺愛だなあ!
「ロラン、少し話しても良いか」
「いーよ。でも汗臭い」
「……シャワー浴びてくる」
お茶は淹れられないから、お湯でいっか。
――やれやれ。大好きな二人の橋渡しも、結構疲れるよね! レナートから相談料、ぼったくってやろうかなー。この堅物め!




