「戦いのルール」
その日俺は、セラたち料理担当と一緒にハーブ園に向かっていた。
収穫時期を間近に控えた広大な小麦畑を横目にぞろぞろと歩きながら、あれやこれやと話す。
もっぱらの話題は、もちろんだが間近に控えたマシューとの決闘についてだ。
料理の腕を競う。
審査員の舌を魅了し、我が物とする。
それ自体は簡単だ。
かつて戦った公爵家の料理番であるエマさんに比べれば、ぬるゲーにもほどがある。
だが今回は、それじゃあ意味がないのだそうだ。
グランドシスターに話を聞いたところ、マシューに料理番を任せるのは彼に一定の権限があるからなのだとか。
マシュー・テル・ミュウ三十歳。
ミュウ男爵家の長男にして、神学院の研究施設のドン。
家からの出資はもちろん研究者としても着実な成果を上げており、おいそれと切るわけにはいかないのだとか。
ザント修道院的に言うならば、フレデリカとの強化版といったところか。
「決闘するのはいいんだが、ただ勝つだけじゃダメなんだ。『宗教的な正しさ』が必要になるんだと」
「ふう~ん、そうなんだ?」
俺の言葉に、セラは小首を傾げた。
そんなの初めて聞いた、といった風だが……。
「いやいや、元々この話はおまえが持って来たんだろうが。そのおまえがルールを知らんというのはどういうわけだ」
「えへへへへ……。嬉しさのあまり実はちゃんと聞いてなくて……」
俺がツッコむと、セラはえへへと照れ笑いをした。
「ふん……ま、いいけどよ。おまえらが頑張ってくれたのはたしかだし」
俺がふて腐れている間、グランドシスターを動かしたのは大人たちではない。
セラやティアを始めとした子供たちによる署名運動によるものだ。
だったら俺は、小さな彼女らに対する感謝を示さなければならないだろう。
「ありがとな、セラ、ティア」
「は、はい! いえ、わたしはそれほど……主に隊長が頑張っていたので……っ」
俺がガシガシと頭を撫でると、ティアは「ほわああ…っ」とばかりに頬をピンク色にして照れた。
「うん! セラはがんばったからね! もっと褒めて!」
一方セラはなんの遠慮も無く褒めて褒めてを連呼し、ぐいぐいと頭を差し出してくる。
いつもだったらおまえだけでしゃばるんじゃないとデコピンの一発もくれてやるところだが、こいつが頑張ったのはたしかだ。
セラは俺の解雇が決まったその日から、もじもじするティアを従え署名運動を始めた。
俺たちのクラスはもちろん他のクラスのすべての子供たちにも話を持ち掛け、その勢いとかいがいしさでもってほとんどすべての署名を集めて帰って来た。
十歳と十一歳のふたりにそこまで頑張られては、神学院としても動かないわけにいかなかったのだろう。
グランドシスターはどこか嬉しそうに決闘の承諾をしたのだという。
「でもよかったね、これで料理番に戻れるね。みんながまた、ジローの料理を食べられるね」
これまでの苦労も疲労もなんのその。
にぱーっと太陽みたいに笑いながら、俺の腰にしがみつくセラ。
俺が負ける可能性なんて微塵も考えていないその無邪気な笑顔を眺めながら、俺はどこかくすぐったさを感じていた。
「ま、問題はその『宗教的な正しさ』の部分なんだけどな……」
ぐいぐいぐぐいと押し込んでくるセラの頭をわしゃわしゃとかき回しながら歩を進めていると――
「おいジロー、夫婦でイチャイチャするのはその辺にしておけ」
やがて、先頭を歩いていたオスカーがうんざりとした表情でこちらを振り返った。
「誰が誰とイチャイチャしてるだと? おい、いますぐ訂正しろ」
「え、ホントに気づいていないのか……?」
なぜか慄然としたような表情をした後、オスカーは気を取り直すかのように首を左右に振った。
「ふん、まあいい。ともかく着いたぞ。ほら、あれに見えるのがハーブ園だろう?」
「おー、着いた。これだこれ。……いや、相変わらずすげえな」
神学院創設当時(うん百年前)からあるというハーブ園は、少し特殊な形状をしている。
小高い丘の中腹に段々の畑を配置し、上層部に湧いている湧き水を水路で各所に流している。
高低差を生かした設計はおそらく現代的な水道の無かった時代の苦心の産物で、十二世紀から今に至るまでイタリアに実在する『ミネルヴァ庭園』を思わせる。
「……なんて、感心してる場合じゃねえか」
歴史的遺物に対する尊崇の念をいったん排除しながら、俺はハーブ園へと足を踏み入れた。
「とりあえずは勝つための算段を立てねえとな」
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