「チョコにだって致死量はある」
厳寒期が去ると、すぐに春が訪れた。
ほっとひと息つく間もなく、俺たちは様々な作業を開始した。
冬ごもりで消耗した燃料と食料の調達、壊れた建物の修復。
麓の村との交流、王都本院への報告と連絡、物流の再接続。
各種作物の植え付け、サトウカエデの樹液の採取と精製に販売体制の確立と……。
目まぐるしい日々の中で、喜ばしいこともあった。
セラがひとつ歳をとって11歳になったこと。
冬ごもりに際しての様々の活躍を認められ、正シスターに昇格する運びとなったこと。
「へっへーん、やっぱりねー、見てる人は見てるんだよねーっ。セラはすごいんだからー、えらいんだからーっ」
俺が厨房で忙しく立ち働いている後ろで、腕組みしながら鼻高らかにのたまうセラ氏。
まあ嬉しいんだろうな、今までさんざん落とされて、能無し呼ばわりされてきたわけだから。
「ジローももっとセラをほめてくれてもいいんだよー? もっと甘やかして、色々美味しいもの食べさせてくれてもいいんだよー?」
などど言いながら、チラチラ、チラチラ。
|д゜)こんな顔して俺の周りをチョロチョロしているのが面倒なので……。
「へいへい、おめでとさん。ほんじゃこいつはお祝いだ……そらよ」
アホみたいに開いた口に、俺はひょいとそいつを放り込んでやった。
「わぅっ? むが……んぐ……んむむむむうぅ~……!?」
驚きのあまり目を白黒させていたセラの瞳の中で、ぱあああっと星が瞬いた。
「うんんんんまあああああ~いっ!? あんんんんまあああああ~いっ!? なにこれ!? なに今の甘いの!? ねえねえジロー、なんだったの!?」
頬を染めたセラが、俺の腰にぎゅっと抱き着きながら見上げて来る。
「ああ、チョコだよチョコ。チョコレート」
「チョコ!? チョコレート!? ほあああああああーっ!?」
「ちなみに見た目はこんなの」
「おおおおおおおー!? 茶色い!? なんか茶色くてベトベトしてる!?」
ボウルの中のチョコを見せてやると、セラはさらに驚きの声を上げた。
「ちなみにここまで来るのに死ぬほど努力したんだからな? 夕食後のデザート用にと思って作ったんだから、あんまりつまみ食いとかは……すんなって言ってんだろうがー!」
「あんまあああああああああーいっ! うんまああああああああーいっ!」
まだだ、もっとくれ。
とばかりに指ですくって舐め取ろうとするセラを、俺は力ずくで引き離した。
「ったく、この食いしん坊め」
「うう……もっと……もっとたべたいぃ……」
ふらふらと左右に体を揺らし、ヤバい薬をキメた人みたいになっているセラからボウルを隠す俺。
「待て待てステイッ! いいか、よく聞けよ? チョコにはある種の中毒性があるんだ! あんまり食べると体に毒になるんだからな?」
「どく……どく……毒……毒っ!?」
危険な単語を耳にしたことでようやく我に返ったのだろう、セラはハッとしたような表情になった。
「チョコには毒があるの?」
「そうだ。テオブロミンというアルカロイドが含まれていて、人体の各種臓器に強い興奮作用をもたらすんだ。そいつには中毒性があって、食べても食べてもやめられず、やがては内臓が処理しきれなくなって死に至るんだ」
「し……死ぬっ? セラは死ぬのっ?」
ガガーン、とばかりに頬に手を当てるセラ。
「待て落ち着け。大丈夫だ、大丈夫だから涙目になるな、鼻をぐずらせるな。致死量になるまで食わなけりゃいいだけの話だ。おまえの体重だったら短時間で5キロも食わなきゃ死にはしねえよ」
「5キロ? ほううー……それなら……」
ほっとしたのだろうセラは、目尻に浮いた涙を拭うと。
「よかったあー。セラ、ジローのお嫁さんになる前に死ぬとこだったね」
「いや、そんな未来はないんだがな?」
「ふんふんふふーん♪」
泣いたカラスがもう笑った、じゃないけれど、セラはすぐに笑顔になって鼻歌など歌い始めた。
またぞろチョコをつまみ喰いしようとするので……。
「あ、ちなみにテオブロミン接種の致死量は生き物ごとに違ってな。狼の致死量が犬のそれと同じだとするなら、このボウル一杯分食べたらおまえは死ぬからな」
「わおーん!!!!!?」
常日頃狼キャラで売っている(?)セラは、明らかに動揺した。
顔から大量の汗を流しながら、そろそろとボウルから遠ざかり始めた。
「せ、セラはいい狼だから、つまみ喰いとかしないの。夕食後のデザートもフレデリカに半分あげるから大丈夫なの」
「……ちょっと恐怖症になってるじゃねえか」
セラの誤解はあとで解くとして、当面の危機(チョコ全滅)は避けられたか。
「あ、そういえばさ、ジロー」
「ん? なんだ、どうした?」
セラがふと、思い出したように言った。
「あのねあのね? おかーさんが言ってたの。『こっちにもバレンタインデーがあったらおとーさんにチョコあげるんだけどね。まあそもそもチョコがないんだけど。あははははー』って。ねえねえ、バレンタインデーってなに?」
「おまえのおかーさんってさあ……」
やっぱり異世界転生者だよなとか、もしかしたら日本人なんじゃないか、とかいう疑惑はさておき。
「バレンタインデーってのはな、俺のいた世界の聖人バレンチヌスの死を悼んで行われる……まあ簡単に言うと、好きな人にチョコを贈る風習のことだ」
「好きな人って、セラにとってのジローとか?」
「んー……まあ昔はそうだったらしいんだが、最近ではそうでもなくてな。モテない同僚や同級生に贈る義理チョコとか、同性の……女友達同士で贈り合う友チョコってのもあるらしい」
ちなみにフランスにおけるそれは日本のとは違って『女性から男性への告白的』な意味はなく、『恋人や夫婦などのカップルが共に過ごす日』であったりもする。
だからホワイトデーはないし、子供のいるカップルであっても子供抜きで行うとかいう洒落た催しになっている、これマメな。
「……ふうーん、なかなか面白そうな話をしてるじゃない」
俺たちがバレンタインデーの話をしているところへ現れたのは、フレデリカ、マリオン、ルイーズの3人衆だ。
「お、なんだおまえら。いつの間に……?」
「そのバレンタインデーとやら、わたしたちも参加させてもらうわ」
なぜかドヤ顔をしてフレデリカ。
「はあ? 参加する? なんでだよ。おまえら別に好きな人とかいないだろ」
「い、いなくたっていいじゃないっ。作って贈り合うだけでもいいんでしょっ? ほら、と、友チョコっていうのもあるんでしょ?」
なぜか顔を真っ赤にして動揺し、早口でまくし立てるようにフレデリカ。
「マリオンやルイーズにあげたり、それこそセラにあげてもいいわけでしょ?」
「いやあセラは……最近チョコを控えてるので……」
「あんたいったいどんだけ食ったのよ!?」
まださっきの致死量の話が尾を引いているセラと、ツッコむフレデリカと。
生温かい目でフレデリカを見つめるマリオンとルイーズ。
「いいんじゃないですか。ええと、バレンタインデーでしたっけ?」
さらにそこへ、カーラさんまで加わった。
「厳寒期が終わって、みんな肉体的にも精神的にも疲労していますからね。ここらで一度、お祭りみたいなのをするのもいいかと思っていたところです。ちょうどいいのでみんなで作って贈り合いましょう」
「シスター長まで……」
ランペール商隊から届けられた補給物資の中にあったカカオ豆は、たしかに相当量あるのだが……。
「言っておきますが、生半可な作業じゃないですからね? それだけは覚悟しておいてくださいよ?」
俺は盛り上がるみんなに釘を刺したのだが……。




