表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/56

後日談2⑫


 出発を明後日に控えた休日。


 孤児院の子供達と先生、それからここで過ごした二年の間に仲良くなった神官達が誕生日のお祝いを兼ねた送別会を催してくれた。

 場所は孤児院の一番広い遊戯室。


 神殿の客室を借りるという話もあったらしいけれど、目が離せない赤ちゃんや小さな子供達もいるので、結局こちらに落ち着いたらしい。

 いつも通りに賑やかに走り回る子供達に「これでは、いつもと変わりせんねぇ」と申し訳なさそうに溜息をついた院長に、あたしは首を振った。


 むしろ毎日の様に過ごしたこの場所で良かったと思う。

 さすがに出発前日は忙しいから、ここに来るのも今日が最後になる。だからこそ改めて子供達全員の顔を見てお別れを言える事が嬉しかった。

 子供と言うのは素直だ。寂しい、とちゃんと口にして感情を露に――涙混じりにここにいて欲しい、と願ってくれる。いつかは出て行くからずっと一緒にはいられない、とは話してあったけれど、それでも別れを惜しんでくれるのが辛くて、そして幸せだと思う。

 でも「後悔しないようにきちんとお別れをしなさい」という院長の言葉に、最後にはそれぞれ色んな表情を浮かべて旅立ちを祝い送り出す言葉をくれた。


「二階に行っていたのですか?」


 眠っている赤ちゃんと面倒を見ている先生にも別れの挨拶をして居間に戻ってくると、開け放たれたままだった扉の近くにグラスを持った神官長様がいた。


「あ、……もう眠っちゃっていましたけど、小さい子達にもお別れを言いたくて」

 そう答えて首を傾げる。もしかして探してくれていたのだろうか。


 あたしの言葉に神官長は微笑んで「そうですか」と頷いた。

 そう、今日の集まりに多忙な神官長様まで顔を出してくれたのだ。子供達も大喜びで、別れの挨拶にしんみりしてしまった部屋の雰囲気も神官長様が来てくれたおかげで、すっかり明るくなった。二階に上がる前も子供達に捕まって色々せがまれていたけれど、どうやら解放されたらしい。


「ナナカ。誕生日おめでとうございます」

 神官長様は、手にしていたグラスをあたしに渡して、自分も同じグラスを持ち上げた。中身は神官という職業柄果実のジュースだ。あたしも同じものを持ってそれに応える。


「有難うございます。あの、さっきは落ち着いてお礼も言えなくてすみませんでした」


 ここに来てすぐに、神官長様から餞別を兼ねた贈り物を貰った。けれど久しぶりの神官長様の訪問に興奮した子供達にあっという間に囲まれてしまい、お礼すら言えなかったのだ。


 贈り物は、小さな鉢植え。

 料理のスパイスとして使えて、葉を乾かせて置いておけば虫除けにもなるらしい。植木鉢も大きいものにすれば根を広げると同時に幹も太く大きくなると綺麗な字で書かれたメモがついていた。こんなに小さなものでは無かったけれど、葉の形も匂いも向こうでお姉ちゃんが育てていたハーブに似ているし、確か用途も同じだったはずだ。


 それに何となく緑――植物を贈ってくれた事が神官長様らしいなぁ、と若草色の瞳を見て少し笑ってしまった。


 そして子供達は、なんとパッチワークのベッドカバーを贈ってくれた。

 ここ暫く女の子を中心にこっそりと何かしていると思ったけれど、まさかこんな手間のかかる大物を作ってくれているなんて思わなかった。


 それぞれ好きなハギレを選んで作ったのだろう縫い目が揃わないパッチワークは、教えて貰わなくても誰がそれを作ったのか分るほど個性的だった。賑やかなそれは、ここでの思い出をぎゅうっと凝縮したようにカラフルで可愛い。きっと見知らぬ土地でも楽しい夢を見ることが出来るだろう。

 すごく嬉しくて言葉にならなくて一つずつ見ていると、その間に何度も名前を呼ばれていたらしい。はっとして顔を上げると、子供達がじぃっとあたしを見つめていた。慌ててお礼を言えば、子供達は「感動しすぎ!」と、吹き出しこちらを窺ってたらしい神官達や先生達にまで笑われてしまった。


 そしてサリーさんにも同じものが贈られ、「お揃いなんて仲の良い姉妹みたいですわねぇ」と、言われて笑顔で同意した。



 ほぼ同時にグラスに口を付けて、よく冷えた果実の甘さと程よい酸味に頬が緩む。

 どうやらあたしの好きな果物で作ってくれたらしい。まさにいたれりつくせりだ。

 プレゼントは勿論だけど料理や飲み物の準備も結構大変だったんじゃないかなぁ……。


 賑やかに飾り付けられた部屋を見渡して、改めて感心する。

 料理もあたしやサリーさんの好きなものが多く、一緒に過ごした日常の中、誰かが覚えていてくれた事も幸せだと思う。


 あちこちで弾ける笑い声に、生まれてきて一番賑やかな誕生日かもしれない、と今更ながら気付いた。向こうにいた時はお国柄ホームパーティなんて珍しくはなかったけれど、もっぱら呼ばれる専門で、自分の誕生日位は静かに過ごしたいとゴネて、お姉ちゃんと二人で祝う事が多かった。もちろん人気者のお姉ちゃんを独り占め出来るそんな時間も楽しかったけれど、あたしは結局『食わず嫌い』をしていたのかもしれない。


 ……だって今こんなに楽しいから。元の世界にいたままじゃ大勢の大事な人達にお祝いされる感動なんて体験する事もなかっただろう。


「そう言えばサダリは遅いですね」


 勧められるまま小さく一口大に切り分けられたタルトをつまみながら、神官長様の言葉に時計を見上げる。布で飾られた窓の向こうに視線を向けるけれど、そこに人影らしきものは一つも無い。


「……何かあったんでしょうか」

 もうすっかり日も落ちて、院長が始まりの挨拶をしてから一時間は経っている。

 明後日には出発だし、今は身辺整理で特に仕事をしている訳じゃないと聞いていたから、確かにおかしい。

 中途半端にタルトを手に持ったまま、窓に視線を向けて動かないあたしに気付いたのだろう。


「まぁ、きっともうすぐ来るでしょう。王城で何かあったのなら私の方にも連絡が来るはずですし、心配するような事はありませんよ」

 軽い口調でそう言って、これも美味しいですよ、と次のデザートを勧めてくれた。


「……そうですね」


 今日の集まりは、あたしのお祝いも兼ねているけれどあくまでメインは送別会だ。だからあたしだけじゃなく、サリーさんやサダリさんも主賓で、それぞれの友人も招待していた。

 サダリさんの友人としてやって来たのは、サダリさんと同室だという騎士さんで、リースさんと言うらしい。その彼が一足早くやってきてサダリさんが遅れるという事を伝えてくれたのだ。少し驚いたけれど、その時はこれほど遅れるとは思わなかったし、それより初めて会ったリースさんの方が気になった。何しろサダリさんが呼んだのは彼ただ一人。きっと仲の良い大事な人なのだろう。


 知り合いがいないなら、この場に居辛いのではないか。そう思ってしばらく様子を窺ってみれば、予想に反して彼はすぐにこの場に馴染んだ。顔見知りがいないにも関わらず、陽気な笑顔で初対面の神官さん達に声を掛け、あっというまに人だかりの中心になっていた。……羨ましいくらいの物怖じの無さと社交性である。

 子供達ともすぐに打ち解け遊んでとせがまれて、豪快に高く持ち上げたり肩に乗せたり、今もわざわざ庭に出て鬼ごっこと身体を使って遊んでくれている。ああ、だから、神官長様はこちらに来る事が出来たのかもしれない。


 本当に、サダリさんとは正反対なタイプだ。

 いやむしろここまで人好きのする男の人に、この世界で初めて会ったかもしれない。

 前の世界では、こういう人の方が多かったのになぁ……

 世界が変わると人も変わるのか。それとも向こうの世界はある程度、社会的でなければ支障が出るからだろうか。確かに引っ込み思案で本ばかり読むあたしは大袈裟な言葉で言えば異端児だったのだと思う。


 ああ、でも。

 そういえば、最近はこうして向こうの世界と『ここ』を比べる事は随分減ったと思う。

 これも馴染んだという事なのだろうけど、こんな時は嬉しいような寂しいような相反する感情に未だ惑う。


 ぼんやりとそんな事を思っていたらうっかり凝視してしまったらしい。庭にいたリースさんとばちっと目が合うと、気を悪くした様子もなく、満面の笑みを浮かべて大きく手を振ってくれた――その拍子に子供達がリースさんの首にぶら下がり潰れてしまう。一瞬慌てたものの、わざとだったらしく、勢いよく起き上がって子供達を抱えると地面へと転がした。


 さすが騎士さん。あたしや先生ではあんな豪快な遊び方は出来ない。悲鳴まじりのだけど楽しそうな笑い声は部屋の中にまで届いて、みんなの関心がそちらに集まる。子守の助っ人がてら参加しようとする神官や先生達が庭へと下りていき、後は温かく見守っていた。


 釣られるように笑って、正反対すぎて案外サダリさんといいコンビなのかもしれない、と、思い直した。


「神官長様、今日は来てくれて本当に有難うございます。最近お忙しそうでしたけど体調は大丈夫ですか」


 彼はここ暫く王城に詰めており、たまに神殿に戻ってきても執務室に篭っていた。以前は定期的に訪れていた孤児院にも今月は一度も顔を見せなかったので、今日の子供達のはしゃぎようはそのせいでもある。今は初めて見る騎士のお兄ちゃんに夢中になっているけれど、子供達は本当に神官長様が大好きだ。特に前の院長の不正を正してくれた事を知っているある程度年齢が上の子供は特に彼を信頼している。



「今年は視察を多めに入れましたから、こちらでの仕事が溜まってしまいましてね。けれどそれも少し前に終らせましたから大丈夫ですよ」


 穏やかに微笑むその表情が読めない、と穿ったのはもう三年も前になるのか。

 けれど今は心から彼の微笑を、優しさを、信じている。


 あたしは一歩後ろに引いて、庭で遊ぶ子供達に視線を向け誰もこちらを見てない事を確かめて、一度小さく深呼吸してから口を開いた。


「神官長様。今までお世話になりました」


 改めて深く頭を下げれば、神官長様が驚いたように身じろいたのが気配で分かった。

 肩に手がかかり、「顔を上げてください」と周囲に気付かれないように控え目な声が掛かる。


 困らせたい訳ではない。すぐに顔を上げると、神官長様は戸惑うような表情を浮かべていた。それから少しだけ口角を上げて苦笑に近い笑い方をするとゆっくりと口を開いた。 


「本当はもう少しお世話をしたかったのです……ああでも」

 そこまで言って言葉を途切らせる。

 なかなか続かない言葉に先を促すと、神官長様はにっこり笑ってようやく続けた。


「最後に頼って下さって嬉しかったです」



「……え、……あ、すみません」

 その言葉に、心当たりが無い訳がない。


 咄嗟に謝ってしまったけれども、神官長は一度だけ首を振り、苦笑する。

 そして「嬉しかったと言ったのですよ」と繰り返した。


 ……嬉しかった?

 最後の方は各方面にたくさん迷惑を掛けてしまって、神官長様には就職先までお世話して貰ったのだ。これまでの生活もなんだかんだと神殿にいる以上、あたしの窓口は神官長である。面倒を掛けている自覚はあってずっと申し訳ないと思っていた。


 ……もう少し周囲に頼れば良かったの、かな。


 確かに神官長も、賢者も、移住の事やサリーさんの事を相談した時、少しも嫌な顔なんてしなかった。誰かの為に何かしたい、という気持ちは分かる。普段子供達を相手にしているなら特に。だから何となく、あの時、賢者に花畑で言われたあの言葉の意味をぼんやりと理解する事が出来た。


『頼られる事で生きていける難儀な人間もいるんだよ』

 その言葉の意味を。


「……そんな事無いです。『元神子』っていう肩書なのに何もしないあたしを神官長様がずっと守って下さったのを知っています。……むしろ……」


 だからこそ最後まで頼りたくなかったのだけれど。


「頼られるのは年長者として嬉しいものですよ。信頼されているという事ですから」


 そっと頭に手を置いて撫でてくれる。

 もう頭を撫でられるような年齢では無いけど、今はそれが嬉しい。

 じっと見詰めた神官長の新緑色の目に、もう巣食うような暗い影は見えない。勿論あたしの前だからかもしれないけれど、彼も彼なりに時間を掛けてあたしとの関わり方を模索してくれたのだと信じている。


「そう言えば賢者を最近見ていませんが、ナナカの元には来ていますか?」

 少ししんみりした空気を変えるべく神官長は話題を変え尋ねてきた。


「……いえ。あたしの方にもさっぱりです」

 首を振りそう答える。  神官長と同様、あたしもここしばらく彼の顔を見ていない。

 昔から神出鬼没だったし、毎日顔を見せる時もあれば三ヶ月以上来ない時もある。今回はきっとその長い方。だけど保護者と監督役を自負する彼だし、もうそろそろ現れてもいい頃だ。


 そしてあたしは彼に一つだけ聞きたい、……いや言いたい事があった。


 そう、この前サダリさんとの会話で明らかになった事実について――だ。

 はっきりと言ってしまえばサダリさんとの事に口を出すのを止めて欲しい。保護者といえども最低限のプライバシーは尊重されるべきだと、改めて決意を固めているとまさに噂に影。


「よぉ、俺の事呼んだか?」

 背後からよく通る明るい声が掛かった。


「賢者!」

 部屋の中心から子供達を掻き分けて出てきた彼は、小皿に取り分けた料理を手にしていた。一体いつの間に来ていたのか。


 驚いて神官長様と同じタイミングで思わず名前を呼んでしまう。

 ちなみに本名も知っているけど、彼は『賢者』と呼ばれる方が都合が良いとの事で、他人の前でもそう呼んでいたら、そのまま定着してしまっていた。本人も便宜上つけたものの、案外気に入っているらしく賢者でいいと言われてしまえば、慣れている事もあってついつい『賢者』と呼んでしまう。


 まぁそんな賢者だけど、今日はトレードマークともいえる黒いマントを羽織らずに、神官が身に着ける白いローブを着ていた。得体の知れなさはいつも通りだというのに神官の多いこの空間には妙に馴染んでいる。

「来ていたのなら声を掛けて下さい」


 あたし達がいる扉の反対側は裏庭である。部屋の中で大人しく出来ない子供達用に解放してあるので、そちらから入って来たのだろう。さすがに聊か常識に欠ける賢者と言えどもあたし達の前で見せる『移動方法』をこれ程多くの人の前で使う事は憚れるらしい。


 突然の登場に驚いていたあたしは神官長に同意して、はっと我に返った。


 違う! 

 駆け寄ろうとして揺れた手の中のグラスに気付き、中身を零してしまいそうだったので無作法だと思いつつも一気に飲み干す。口元を軽く拭うと、その勢いに苦笑している神官長様が空っぽのグラスを引き受けてくれた。


「賢者! サダリさんに余計な事言ったでしょう!」

「あーあれなぁ……俺のせいじゃねぇよ。文句は嫁命の旦那に言え。……っていうか、お前はやっぱり『サダリのお前への接触禁止』を余計なお世話だと思うんだな」


 にやりと意地悪く笑った賢者の言葉。

 接触禁止……。

 反芻して理解した途端、かっと顔が熱くなった。


「……違……っ、そういうんじゃなくて!」

 勢いよく詰め寄れば賢者はひょいっと逃げ出し、ぴっと長い人差し指をあたしの顔の真ん中に向けた。


「赤くなってんのー! ナナカちゃん可愛いねェ」

 明らかにからかう口調に、ますます頭に血が昇る。

 本当に賢者のこういう所が嫌過ぎる!


 黙らせるべく追いかけようと、前のめりになった身体がバランスを崩して倒れかける。が、するりと腰に回った腕が身体を支えてくれた。


「賢者殿、ナナカ様に何か御用ですか」

「サダリさん!」


 頭のすぐ上で聞こえた馴染みのある声。

 首を回せば至近距離にサダリさんがいた。

 賢者を見つめていた視線がすっとあたしへと落ちる。微かに目元が和らいで「遅れて申し訳ありません」と薄い唇が謝罪の言葉を発した。


 来てくれたんだ……。

 ほっとしてから、何かあったの、と聞くよりも先に、このいわゆる抱き込まれているような体勢に注がれる周囲の目が気になった。今のこの状況だとますます賢者にからかわれる気がする。恐る恐る顔を戻せば、案の定、賢者の目がにんまりと猫のような三日月を描いていた。


 慌てて離れるけれど、賢者はにやにやと笑ったままだ。また何か言われるかと身構えたけれど、予想外にも何も言わず大きく取られた袖の中に手を突っ込んであたしからサダリさんへと視線を向けた。


「ちょうどいいとこに来たなサダリ。これ俺からの餞別っつぅかご褒美? 説得するのすんげー苦労したんだから感謝しろよ。いやむしろ褒めて崇めて奉れ」


 ほらよ、無造作にあたしの頭の上で受け渡されたのは書状らしきもの。

 二人とも身長が高いので、残念ながら手が届かない。

 だけどあたしを挟んでやる事でも無いだろうに。賢者の嫌がらせに違いないけど、サダリさんは素っぽいから怒るに怒れないのだ。


 受け取ったサダリさんはさっと書状に視線を落とす。

 が、すぐに賢者に胡乱気に問い返した。


「これを、……私に、ですか?」

「やぁ~ここ数年ひたすら耐えてきたサダリ君のいじらしさがようやく小姑に伝わったって事だよ。喜べ」

「しかしこれは……どちらかというとナナカ様のものでしょう」


 複雑な表情をしながら、サダリさんはあたしを見つめてそれから手の中の書状を渡してくれる。少し厚い紙で随分立派な修飾で飾られている。その内容は。


「婚姻証明書……」


 ぽつり、と一番上の文字を呟く。

 そして最後の欄に記された、見慣れた文字に目が釘付けになった。

 右上がりの丸い女の子らしい文字。律儀に元の世界の住所まで記されている。

 こんなのが書けるのは一人しかいない。

 一体、どうして。


「……お姉ちゃん」


「おう、婚姻証明書の証人欄ってとこだな。大抵、親の名前を書くモンだけど、お前にはそっちの方が良いだろう」

「頼んでくれたの……?」

「ああ」


 ……だから、最近姿を見せなかったのだろうか。

 これを書いてくれたという事は、お姉ちゃんがあたしとサダリさんの事を認めてくれたという事で、元の世界からあたしの事を猫可愛がりしていたお姉ちゃんを説得するのは随分骨を折っただろう。それに、お姉ちゃんがサダリさんの事を気に入っていない、と言うのは賢者とサダリさんとのやりとりで何となく分っていたし、サダリさんも敢えて 口には出さないけれど、気にしてはいただろう。

 

 そして何より大事な事は、賢者はこれをサダリさんに渡したという事で。

 ちらりとサダリさんの顔を窺って、どうしようかと迷う。

 むしろあたしに渡されても困る、というのは我侭だろうか。


 だって、この前確かめた気持ちが本当なら、今日で十八歳になるあたしはこの世界では適齢期真っ只中、むしろ遅いくらいで、同じ家で暮らすというのは護衛とその主人という公に出来ない関係である以上。いわゆるただの同棲である。

 どうせならきちんとけじめをつけたい、そう思うのはあたしの先走りすぎだろうか。もしくは、重い、かもしれない。


「……えっと、サダリさんが持ってるのは駄目ですか?」


 遠まわしな言葉は通じたのかそうではなかったのか。

 あたしの言葉に少し難しい顔をして押し黙ったサダリさんの考えが掴めない。

 それでも我慢強く待てば、サダリさんは一つ一つ自分の言葉を噛み締めるように呟いた。


「正直に言えばそうした方が安心は出来ます。しかし後二年は出せないのですから、姉の直筆なら思い入れもあるでしょうし、あなたが持っていた方がいいのでは無いですか」

 サダリさんの言葉に首を傾げる。


「二年後に何かあるんですか?」

「あなたの国の成人年齢でしょう」


 ……そうですね、と頷く。そんな話をした事はなかったはずだけれど、何故サダリさんが知っているのだろうか。ちなみにこの世界の成人は十六歳で、それより若くても職についていれば一人前と認められている。

 何だかしっくり来ないやりとりに、賢者があたし達に近寄って少しバツが悪そうな顔をした。


「あーそうだよな、そうなるよな。ナナカお前から言ってやれよ。お前の国っていくつから結婚出来るんだっけ?」

「お前の国……ってどっち? 国籍で言うなら日本だけど、……十六だったよね?」


 日本には十年以上戻っていない。元日本人らしい賢者に確認すると、賢者はこっくりと頷いて「合ってる」と、人差し指と親指でマルを作った。

 良かった、とサダリさんを振り返るとサダリさんは、証明書を手にしたままあたしの顔を凝視していた。力が入っているのか丈夫な紙だと言うのに少し皺が寄っている。


「サ、サダリさん……?」


 慌てて取り上げて皺を伸ばす。

 破れでもしたらさすがに自他共にシスコンだと認めていたお姉ちゃんの事。素直に二枚目を書いてくれるとは思えない。


「……本当ですか」

 あたしが取り上げた手の形のまま固まっていたサダリさんが、いつも以上に抑揚の無い声で呟いた。問うよりも独り言のような口調だったので、不思議に思って改めてサダリさんに向き直る。


「サダリさん、どうしたん……」

「結婚出来るのは十六歳なのですか」


 意外な確認に、戸惑いつつも素直に頷く。


「え? はい、あ、あの男の人は十八ですけど」

「ナナカ様、正直に答えて下さい。あなたの国では成人は二十歳なんですよね? しかし結婚は十六で許されるのですか」


 改めて尋ねられて、そういえばおかしな話だよなぁと思う。


「そういえばおかしいですね。でもそうですよ」


 まぁ実際にそんな年齢で結婚する人はごく少数だけれど、こっちの世界ではそれくらいかもう少し上が普通である。だからこれほどサダリさんが驚く理由が分らない。

 どうしたんですか、と、首を傾げると、伸ばした手を逆に掴まれた。いつもの壊れ物に触れるようなものではなくて純粋に痛くて驚くと慌てて外されて謝罪された。だけど、様子がおかしすぎる。そして。


「結婚して頂けませんか」

「え……は!?」


 突然の告白に、一瞬固まってそれから狼狽する。


 しん、とあれだけ騒がしかった居間が静まり返って、ようやくここがどこだったか思い出した。そばにいる神官長は苦笑しているし、賢者なんて面白い出し物でも見るように軽い拍手をしながら笑っている。その他の人は――確かめる勇気が無い。


 とりあえず言いたい事は一つ。どうしてこんな衆人環視の前でそういう事を言うのか、という事だ。

 いっそ逃げ出したい、と扉に視線を向けた所で、あたしとサダリさんの間に割って入った人がいた。


「サダリ様……!! こんな大勢の前で何を仰ってるんですか!」


 顔を引き攣らせて両手を突っ張りあたしとサダリさんをすごい力で遠ざけたのは、サリーさんだった。真っ赤な顔に釣りあがった眉はかなり怒っているのが分る。しかしサダリさんはそんなサリーさんに一瞥すらせず、ただじっとあたしを見つめ、再び腕を掴んだ。


「返事を下さい」

「サダリ様!」


 サリーさんがまたあたしからサダリさんを引き離さそうと腕を掴むけど、今度はぴくりとも動かない。


 けれど怖いくらい真面目な顔に押されるように頷くと、サダリさんはその厳しい顔を隠すように俯いて右手で顔を覆った。けれど身長差のせいで、表情が柔らかく崩れていくのが分る。不安が晴れてほっとしたような――泣きそうな優しい表情。


 その途端、きゃあああっと子供達の歓声が上がり、神官達も一斉に拍手を始めた。


「よかったねー騎士さん!」

「おめでとー!」

「ナナカ先生も王女様みたいに花嫁さんになるのね!」


 今まで空気を読んだのか年上の子供達に抑えられたのか、小さい子供達が無邪気にそんな事を口々に叫んであたし達を囲む。

 そしてその上から、サダリさんの首に腕を掛けたリースさんが叫んだ。


「良かったなぁサダリ! 俺もさすがにそろそろキレんじゃないかと思ってた!!」


 すぐに振り解かれたものの、にやにや笑いながらサダリさんの背中をばんばん叩く。かなり痛そうな感じだけれどその遠慮の無さが二人の仲の良さを現していた。


「止めろ。酔っているのか」

「ほんと今まで我慢してきて良かったなぁ!」


 サダリさんの冷たい一言にリースさんは怯む様子は無い。サダリさんの仏頂面とリースさんの満面の笑顔の対比に周囲から笑いが起こる。


 それからみんなから口々に「おめでとう」と声を掛けられて、恥ずかしくて俯いてしまった。

 だって今のリースさんの言葉から察するに、……我慢、させてしまっていた、らしい。

 その言葉の意味がすぐに分るのは、自分の中にも少なからずそんな気持ちがあったからだろう。

 ……だけどそんな事を子供達の前で言わないで欲しい。


 恐らく意味が分っていないだろう幼い子供達まで、院長に促されて拍手してくれているのはさすがに居た堪れない。もう限界、と部屋から出ようとした所で「お黙りなさい」と冷え冷えとしたサリーさんの言葉が響いた。


 しん、と静まりかえった部屋の中、サリーさんはいつもより少し華やかなスカートの裾を綺麗に捌いて、すっと目を眇めた。

 その視線を向けられたのはサダリさんである。


「こんな衆人観衆の中で求婚なんて、雰囲気もクソもありません。場所を改めてやり直しを要求します!」

「サ、サリーさん……」

 

 確かに恥ずかしくてサダリさんを責めたい気持ちはあるけれど、あまりの迫力に思わず制しの声を上げる。しかも上品なサリーさんの口から聞いた事の無いようなスラングが聞こえたような。


「侍女殿、ご本人が了承されたのですから」

 サダリさんに纏わりついていたリースさんが、明るくとりなそうとしたけれど、サリーさんは眇めたままの視線を彼に向けて笑みさえ浮かべて静かに口を開いた。


「部外者は黙っていて下さい」


「はい黙ります……!」

 サリーさんの迫力に飛び上がり瞬時にそう返事をしたリースさんは、ものすごい速さでサダリさんの背中に隠れた。

 いやそれを言うとサリーだって、と子供達と一緒にいたテトが口を挟むけれど、それもサリーさんの一睨みで口を引き結ぶ事となった。普段温厚なせいかサリーさんが怒るとかなり怖い事は子供達の方が良く知っている。


「……申し訳ありません。また場所を改めます」


 原因を作ったサダリさんが素直にあたしに向かって謝ると、サリーさんにも頭を下げた。その従順な態度にようやく納得したらしい、サリーさんは鷹揚に頷いて見せあたし達から一歩下がった。


「いえ、そんな、わざわざ」

 もしかしなくてもこんな恥ずかしい事をもう一度繰り返すのだろうか。

 聊かそれは勘弁して貰いたい、と思って首を振ろうとする前にサリーさんがとうとうあたしへと顔を向けた。


「良い心掛けですわ。ナナカ様もそれで宜しいですわね?」

 疑問系なのに、既に決定事項でもあるような言い方に、あたしの希望は呆気なくサリーさんによって却下された。


 そしてサリーさんが落ち着いて、周囲もさっきまでと同じ賑やかさを取り戻した頃、サダリさんはそっとあたしの肩に触れた。どうしたんですか、と問う前に耳朶にかさついた唇が触れて心臓が跳ねる。


「実は王子がこちらに来ていらっしゃいます」


 けれどその後すぐ小さな声で囁かれた言葉に、一瞬耳を疑った。




2013.11.08


ひたすら耐えるヒーローが好きです…

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ