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14.白い穢れ

 一足早く部屋を整えるというサリーさんと入り口で別れて、出迎えに来てくれた神官長の後に続けば奥へ進む程、神官の姿はいなくなり全ての音が遠ざかっていった。


 この先にはこの国の信仰の象徴である、アルジフリーフという神様の像が安置された部屋があるらしい。


 胸に溜まった空気を静かに吐き出し、機械的に足を動かしながらさり気なく周囲を見渡す。


 柱も壁も天井も、――何もかも白い。


 無機質でどこか息の詰まる様な空間。

 一際立派な扉の前、出迎えに並んだ神官達の服すらまっ白で、呑み込まれる様な感覚に自然と足が止まった。


「……神子様?」


 どうかなさいましたか、と気配を察した神官長が振り向く。身長差がある故に少し腰をかがめて私の顔を覗き込みさらり、と癖の無い髪が視界の端で流れた。その銀色の淡い、『色』の存在に、はっと我に返る。


「お顔の色が優れない様ですが、一旦部屋でご休憩なさいますか」


 気遣う様な声音に、軽く首を振る。


「いえ……緊張してるみたいで」


 震えた声はそれらしく聞こえた様で、そうですか、と小さな声で頷いた神官長様は、柔らかく微笑んで私の手を取った。大きな少し、温かい手、と思うのは自分の手が酷く冷たいせいだろう。


「大丈夫ですよ。行きましょう」


 手を取ったまま、励ます様にそう言った神官長はゆっくりと歩き出す。両端の神官達によって開かれた扉をくぐってそっと視線を伏せた。揺れる神官長のローブの白さに既視感を感じて、ようやく分かった。


 ――病院、だ。

 

 清潔で、無機質な、白い空間。

 生と死と、最も清らかで穢れた、悲哀と歓喜と雑多な感情を孕んで存在する場所。



 ――『奈菜香、今日は早かったわね』



「――は」 


 どくん、と心臓が大きく跳ねる。終わりの見えない白い壁。元の世界の『最後』の、あの日の記憶が頭の中に蘇る。


 逃げない。目は背けない。

 小さな欠片だって拾い集めてまた深く心に刻みつける。忘れない為に、許さない為に。


 サリーさんが言う厳かな雰囲気なんて感じられなかった。あるのは静謐、そして得体の知れない不気味さ。



「こちらの像が、この世界をお作りになられたアルジフリーフ様でございます。神子、祈りを」


 噴水の真ん中に、等身大……だろうか、男の人の像。どこか中性的なその姿は側に立つ神官長と重なる。『これ』を慰める為に私は死ぬんだ、と思えば、笑いが込み上げた。ゆっくりと奥歯で噛み殺す為に深く俯く。


「さぁ」


 促されるまま、膝をついて両手を組む。祈り方は簡単。女性は両膝、男性は片膝を地につけ、手を組み頭を垂れる。王族も貴族も平民も関係なくただそれだけ。



 下に流れた髪が表情を隠してくれる。衝動のままにきつく食いしばれば口の中に錆びた鉄の味が広がった。無情な神に捧げる祈りなんてない。ただ数を数えて、私は酷く長く感じるその時間をやり過ごした。





 多忙なのだろう「また後で部屋に伺います」と祈りの間から先に退出した神官長に代わり、部屋まで案内してくれたのは、無口な年配の神官だった。


 通された部屋は城で与えられていた部屋とほぼ変わらない広さの部屋で、中にサリーさんが控えていた。神官は食事の用意をしてきます、とサリーさんと一言二言言葉をかわして出ていく。


 既に寝台の上に用意されていた服は、靴、小物に至るまで全てが白かった。舞を習う傍らこの神殿で過ごす事が潔斎に繋がるらしい。それ故か、出迎えてくれた神官とほぼ同じ。ただ腰元には太い金のベルトがあり、それが唯一の装飾品と言えた。


「随分簡素ですわね」


 それに異を唱えたのはサリーさんだった。入り口で別れた彼女は既に従者用の白い衣装を身に付けており、自分とさほど変わらない装飾に憤っているらしい。


「そうかな」


 何も悪いだけでも無い。綺麗にたたまれ皺一つ無い服を広げて身体に合わせる。

 シンプルだが身体の線が出ないだけあって、コルセットの類は必要無いだろう。


 程なくして食事が運ばれ、聖職者らしい野菜中心の食事は、少し物足りないものの品数が多くお腹は膨れた。食後にハーブティーを入れて貰い、独特の苦みに顔を顰めていると、扉を叩く音が部屋に響いた。


 出迎えた時とは違う長いローブを引きずって入って来たのは神官長だった。ソファから立ち上がろうとした私を制して「そのままで構いませんよ」と、微笑んだ。


「いえ、じゃあ……神官長様もお座り下さい」


「ありがとうございます。では失礼して」


 神官長さんが腰を下ろすと、サリーさんがすぐにお茶の用意をすべく隣の部屋に向かおうとした背中に「結構です」と穏やかに声を掛けた。説明が終わればすぐに退室するらしい。


「早速ですが、これからの予定をお伝えしたいと思います」


 膝元に手を置いて笑みを称えたまま、言葉を続ける。


「今日明日はごゆるりと過ごして頂きたいと思います。明後日からは午前中に先程の間で祈りを捧げて頂き、それが終わりましたら後は私と儀式の打ち合わせです。午後からは慣れない場所でお疲れかと思いますので、お好きに寛ぎ下さい」


 随分とのんびりとしたスケジュールである。午前中以外は自由と言う事だ。神官長に予定があれば丸一日何もせずにぼうっとして終わるもしれない。


 まだお城にいた方が、お姫様とのお茶や勉強で時間を潰せたのに。

 神官長は思っていた以上に多忙である。手習いの時間以外顔を合わせる事は無いかもしれない。


「――あの、神殿の中は歩いても構いませんか」


 部屋に籠ってばかりでは、さすがに退屈だろう。


「ええ、勿論です。ただ礼拝者が混乱する恐れもあるので教徒の祈りの間に行く時は誰か神官に声を掛けて下さい」

「分かりました」


 しかし、これだけの事を伝えるだけならわざわざ多忙な神官長が来なくても良いのでは無いだろうか。


 一通りこの神殿の内部の説明を聞き、一息ついた所で、神官長は何かに気付いた様に顔を上げて、部屋を見渡した。


「部屋はどうですか。何せ若い女性を迎えるのは久しく無かった事なので何か至らない所がありましたら遠慮なく仰って下さい。ああ、南向きの部屋もご用意出来ますが……」


「いえ、見晴らしもいいですし」


 振り返って窓から外を仰ぐ。

 もともと神殿自体高台にあるので二階でも街を一望出来、隔てる様に馬車で超えてきた深い緑に囲まれていた。ふとその緑に埋もれた赤い屋根とその手前に青い屋根を見付けて首を傾げた。


「あの建物は何ですか」


 振り向いたまま指で示せば、神官長の視線が指先を辿り、ああ、と頷いた。


「赤い方が救護院で青い方が孤児院です」


 孤児院は分かる。

 救護院は、……確か病院の様なものではなかっただろうか。


「それなら、お手伝い出来るかもしれません」


 身体を元に戻して神官長にそう言えば、彼は微かに目を眇めた。少し困った様なその表情に、何かあるらしいと察する。


「……出過ぎた真似でしたか」


 少し間を置いてそう尋ねてみる。


「いえ、神子様は本当にお優しい方ですね。しかしお気持ちだけで十分です。それに色々な病の者がいますので神子様のお身体に影響を及ぼす事になる可能性もありますから」

「分かりました」


 重篤な病を移されでもすれば、儀式に影響するかもしれないとの危惧なのだろう。

 分かりました、と頷くと神官長の後ろに控えていた侍従の様な神官が屈んで何か耳打ちした。


「では神子様。明後日の手習いはお迎えに上がります」

「はい、宜しくお願いします」


 今度は立ち上がって扉まで見送った。



 慣れない馬車での移動に身体が疲れていたらしく、いつもより少し固めの寝台でも、すぐに眠りに落ちた。







 ――白い世界に一人で立っていた。


 太陽も無いのに足元に落ちた自分の影だけが、深い闇の様な黒い色を持つ。


 ゆっくりと白を侵食する様に、影が広がって滑りを帯び、足首を掴んで、黒い、果てのないぬかるみの中に沈んでいく。


 全てが埋もれる最後の瞬間、胸から光が飛び出し、それが小さくなった身体を包み込んでその温かさに息苦しさを忘れて、何もないその場所で幸せに微睡んだ。




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