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12.堕ちた言葉

 順調だった。


 何度かお姫様とお茶をして、その度に王子は顔を出した。恐らくは未だ信用出来ない私の見張り、もしくは牽制の為だったのだと思う。


 それでも流れる時間は彼等に親愛を抱かせて共感し受け入れる。時々、元の世界の『借りて来た言葉』を囁けば、彼等の自分を見る目が変わっていった。


 元の世界のくだらない正義漢だと笑った言葉すらこの世界の人間の心に強く響く。読書を趣味にしていた私の中には感銘を受けたものから、そうでもないものまで『名言』は、たくさんあった。それを応用してほんの少し変えれば、あっという間に、『あなただけの言葉』になる。


 素敵な言葉だったのに、くだらない、中身のない言葉にしてごめんなさい。

 眠る前に呟いた声は闇に消え、後に残ったのは拭いきれない後悔。




 お姫様と一緒に家庭教師を前に耳を傾ける。熱心な片眼鏡の教師はお姫様だけではなく私も生徒として同列に扱った。


 時々、王子の剣の鍛錬を見にいってただ見学する。何度か目が合って笑って見せれば小学生の男の子の様に視線を逸らされた。けれどまた探す様に動く視線に気付いて、思わず笑ってしまった。


 庭を散歩すれば軽く汗ばみ、冷たい果実を絞った飲み物を差し出される。

 日傘を差し出され、向こうほどの気温の差は無いが、地面に濃く映された傘の端に縫い付けられたレースの影に、夏が来たのだな、と思った矢先に、私はこの国の王様から呼び出しを受けた。


 緋の絨毯の先にある玉座に佇む王は、想像していたよりも年齢を重ねていた。隣には、いつか――宝石を持って来てくれた騎士が控えており、反対側のお妃様の席は空だった。産後あまり体調が芳しくないと聞いているので不思議ではないけれど、部屋にいるのはこの二人と自分のみ、私的な会談になるのかもしれない。


 最初に聞いた目上の人への礼儀として、スカートの裾を持ち、中腰のまま頭を下げる。普段使わない太腿の筋肉が小刻みに震えそうになって、長保ちしそうにないなぁ、なんて思っていると、すぐに王から顔を上げる様に声が掛かった。


「……仲良くしてるようだが」

「はい。王様にも許可を頂けたみたいで感謝しています」


 可愛がってるであろうお姫様の真似をして無邪気に笑って見せるけど、さすがに王は揺るがない。……王が私とお姫様を会わせているのは、お姫様の我が儘に押されて許可しただけではないのかもしれない、と感じた。


「神官長から連絡があった。儀式の舞の為に神殿へ向かって欲しい」


 微かに空けられた間を、動揺と感じるには、動かない表情からは難しかった。

 舞……確かに、体調が戻ったら、練習を始める話だった。少し今更だと感じるのは、随分前に体調は戻っていたからだろう。探りを入れて疑われ今更あの兄妹と完全に離されても困る。


「分かりました。明日か明後日には向かおうと思います」


 私物なんて何もないし、準備に手間なんて掛からない。

 素直に頷き、頑張ります、とだけ言い添えれば王は微かに頷いて騎士に退出を促された。時間にして十分に満たない会談だった。


 内容的には侍女を通しても良い話だった。恐らくは反抗せずに従っているか、自分の目で確かめたかった――と、いうところか。


 サダリさんに先導され、後ろに付き従う。庭へと伸びる影にふと視線を移せば、よく磨かれたブーツがそれを踏む手前で立ち止まった。熱の籠もった風がスカートを大きく靡かせる。季節が変わったのだな、と今更ながら思った。



「神殿に行くと聞いたが」


 情報が早い、と言うよりは、予め王から聞いていたのだろう。父王と全く同じ物言いに少し呆れて視線を上げる。


 顔を上げれば、緋色の髪が風に揺れていた。眉間に皺を寄せて不機嫌にも思えるが、微かに揺れる瞳は不安そうで、恐らくは自分を心配してくれているのだろう。


 不意に笑い出したくなって、俯いて奥歯を噛み締めた。


「頑張って覚えてきますね」


 言葉尻には顔を上げ、口の端を引き上げれば、王子は一瞬言葉に詰まった様な動きをして、私から視線を逸らし、後ろに控えていたサダリさんを見た。


「……少し外します」


 考える様な間の後、サダリさんはそう言ってサリーさんを促し離れていった。背中に感じるのはどっちの視線なのか確かめる事は出来ない。


 ふと影が重なってその部分が濃くなる。

 顔を戻せばすぐ近くに王子の顔があった。また身長が伸びたのかもしれない。顎を上げないとその表情を窺う事が出来ない。

 王子はなかなか口を開かず、ただじっと言葉を待つ。


 何度か口を開いて閉じ、こちらから何か問うべきかと考え始めた所で、ようやく王子が口を開いた。


「……会いに行っても良いか」


 囁く様な小さな声だった。

 思いきり顔を背けてはいるが、そのせいで目の前にある耳が赤いのがよく分かる。

 今度こそ、小さく吹き出してしまった私に、王子は微かに目元を赤く染めたまま睨む。笑いを収めた後、私は少し首を傾けて微笑んだ。


「ええ。勿論です」

「そうか」


 ほっとしたように肩が下がり、口元を隠す様に拳が上がった。

 また目が泳いでいたので、少し意地悪したい気持ちになった。


「姫様にもそうお伝え下さいね」


 そう付け足せば、王子は一瞬の間の後、またきゅっと眉間に皺を寄せて物言いた気に私を見る。それには気付かない振りをしてただ微笑んでいると、王子はゆっくりと溜め息をついた。


「終わればこちらに戻って来るのだな?」

「さぁ? 私には分からないんですけど、そうなんですか?」


 部屋も侍女も用意してもらっている。確認してはいないが、神殿預かりになるなら最初からそちらに身柄は移された筈だ。


 既に顔見知りの王子の侍従の声が遠くから聞こえて、同じタイミングでそちらに視線を向けてると、王子はらしくなく微かに舌打ちをして素早く私に向き直った。


「おそらくそうだとは思うが」


 また近い内に、と言い残して王子は踵を返して声の方へと駆けて行った。どうやら妹姫同様、わざわざ抜け出して来たらしい。王子の背中が見えなくなったと同時に、二つの影が伸びた。


「お話はお済みでしょうか」


 背中越しに問われた声に、「はい」と、頷いて身体を返せば、じっと私を見下ろすサダリさんの瞳とぶつかった。


「お待たせしてすみませんでした」

「……いえ、」


 何か物言いた気にも見える視線に首を傾げてみせると、サダリさんは緩く首を振ってまた先導する様に歩き出し、私は今度こそ自分の部屋へと戻った。





* * *





 かち、かち、と時計の針の音が響く。


 毎日聞くそれが不意に途切れて、何もなかった壁から大きな影が生まれた。


「よっ」


 相変わらずの神出鬼没振りに驚きよりも呆れが先にくる。


「神殿行くんだって?」


 最初に会った時から男は定期的にやってきた。挨拶を返さなくても男はいつも勝手に喋る。男の訪問は二日続く事もあるし、五日ほど空く事もある。


 この世界の綺麗な花だとか、美味しい料理だとか一方的に話すので、私はそれに質問したり答える時もあったし、何も言わず耳だけ傾けてそのまま眠ってしまう事もあった。


 そう、と肯定すれば、賢者は窓辺に寄りかかったまま珍しく眉を顰めて腕を組んだ。


「あそこちょっとなー」


 苦手なものでもある様に、無精髭の浮いた顎を撫でて、唸る。 


 飄々としている男に苦手なものもあったのか、と少し驚いて、でも納得する。厳かで静謐なイメージのある神殿に、賢者なんて嘯く男は不釣り合いだ。


 そんな事を思っていたら、賢者はひょい、と器用に片眉だけを吊り上げた。


「おっ淋しいのか」


 にやにやと笑った男に、鼻で笑うと「可愛くねー!」と、嫌そうな顔を向けられた。 


「まぁいいやこれ餞別な。お前寝れてねぇだろ」


 空間を切り裂かれて出てきたものに、心臓が跳ねる。

 柔らかな手触り。黄色のひよこのぬいぐるみの様なクッションは、あたしのベッドにあったもので幼い頃にお姉ちゃんに誕生日プレゼントとして貰ったものだ。


 抱き込んで頬に擦り寄せれば青林檎の爽やかな香り。間違いなくあたしのものだ。


「どこでこれ……!」

「それは企業秘密」


 得意そうに鼻を鳴らして笑った賢者に、あたしはぎゅうっとひよこを抱いたまま顔を見上げた。


「嬉しい……っありがとう」


「……ああ」


 少し驚いたように顎に手を当てたまま賢者は軽く目を瞬いて、あたしを見下ろす。なに、と首を傾げれば、賢者は乱暴な手付きであたしの髪をくしゃくしゃに撫でた。


「ちょ……!?」


 サリーさんがせっかく整えてくれた髪を鳥の巣の様にしてから、ようやく気が済んだらしい賢者は手を下ろした。


「……お前さぁ」

「なに!」


「『イチカ』の猿真似なんかしなくても、お前はお前のまんまでも良かったんじゃねえ?」


 賢者の言葉の意味が分からなくて、頭の中で反芻する。たっぷり数十秒経ってから賢者の言わんとしている意味に気付いて、笑った。


「そんな訳、ない」


 ――私は『イチカ』だから受け入れられて、愛される。

 だからこんなに順調でうまくいっているのに、どうして今更そんな事言うの。


「まぁいいけどな」


 黙り込んだ私に賢者は、肩をそびやかして独り言でも呟く様にそう漏らした。


「じゃあな?」

「……さようなら」


 どこかほっとして別れの言葉を口にすると、賢者は何も無い空間を切り裂き、その黒い隙間に身体を滑り込ませ、消えた。





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