第39話 静かな陽だまりに落ちる影
昼下がりの柔らかな陽光が、医務室の白い壁にふんわりと広がっていた。棚には薬瓶がきれいに並び、乾燥させた薬草の香りが空気をほんのりと満たしている。ここに流れる空気は、王城の中でも特に穏やかだ。
「これで大丈夫です。無理だけはしないでくださいね」
私は包帯の端を留め、手当てをしていた兵士ににこりと微笑んだ。兵士は照れくさそうに頭をかきながらも、深く礼をしてくれる。
「ありがとうございました、マリー様。本当に助かりました」
そう言って退出していく背中を見送りながら、私はそっと息を吐いた。
「……誰かの役に立てるって、やっぱり嬉しい」
胸の内が温かくなる。転生してからずっと、迷惑ばかりかけているようで不安だった。でも今は、少しずつ──ちゃんと“この世界で生きている”と実感できている。
だけどそんな穏やかな時間は、長くは続かなかった。
気配が、扉の外に立つ。
ふと顔を上げた瞬間──医務室の入り口に、紅茶色の外套を肩に掛けたモルト殿下が静かに立っていた。
日差しを背に受けて微笑む姿は、絵画の一枚のように整っているのに……胸が、ぎゅっと固まる。
「働き者だね、マリー」
優しい声。なのに、背筋がすうっと冷える。
「少しだけ、お時間をいただけるかな?」
(……来た。さすがに昨日のあれだけじゃ終わらなかったか……)
息を整え、私は丁寧に返す。
「……はい。何のご用件でしょうか?」
殿下は首を傾け、にこりと微笑んだ。
「ここでは何だ。少し、静かな場所に移動しよう」
その声音はいつも通り柔らかい。けれど、その言葉に潜む“意図”が分かるだけに、胸の奥がざわついた。
私はゆっくりと頷く。けれど、瞳の奥に宿る警戒までは隠しきれなかった。
◆
応接間は医務室から近い場所にあるものの、人目は少ない。昼の柔らかな光が高い窓から差し込み、淡い金色の線を床に描いていた。静けさは確かにある──だが、落ち着くどころか胸がざわめく。
モルト殿下はゆっくりと紅茶のカップを口元へ運び、優雅な所作のまま言った。
「君の知識と技術には驚かされるよ、マリー」
それは褒めているんだろうか。まるで悪人の“犯行手口”に呆れているかのような口ぶりですが。
「そんな君に──狼牙の毒だけを抜き、戦闘能力を引き出せる薬を作ってもらいたい」
私は貼りつけた笑みのまま、言葉を選ぶ。
「……随分、特殊な薬を望まれるのですね」
モルト殿下は紅茶を置き、静かな微笑を向けた。
「それをノエル兄上に飲ませたい。君から渡せば、きっと拒まないだろう?」
心臓がひとつ、跳ねた。
やっぱり──この人は、自分の目的のためにノエルを利用する気だ。
「薬は……誰かを助けるためのものです」
慎重に言葉を返すと、殿下の瞳がかすかに細くなった。
「もちろん。これは“守る”ための薬だよ。兄上がより強く、冷静でいられるようにね」
(……おかしい。この人は“強さ”の意味を履き違えてる)
ノエルは確かに強い。けれど、心を失ってまで得る強さなんて──ただの呪いだ。
殿下は続けた。
「貴族であるキミなら、分かってくれるよね? これは兄上のためでもあり、国のためでもある」
理屈と正義を並べ、情を添えて圧をかけてくる。「断りにくい理由」を巧みに積み上げるやり方だ。
私が沈黙した、その一瞬。
殿下はゆっくりと懐に手を入れ、一枚の紙を取り出した。
「ところで──これに見覚えは?」
軽く机に置かれたそれを見た瞬間、息が止まる。
スラムで違法調合をしていた少女の記録。荒い筆跡の似顔絵は、幼い頃の私に酷似していた。
手が震え、視線を落とす。
「素性に傷のある者が、王族の傍にいてよいのかな?」
殿下の声は優しいのに、突きつけられた内容は冷酷そのものだった。
拳を握る。震えは止まらない。
それでも──俯かない。
殿下の瞳が、愉しげに揺れた。
「まあ、キミがどんな選択をしようと構わないよ。ただし、僕以外がどう思うかは分からないけどね」
微笑は深まり、空気はさらに危うい色を帯びていく。





