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 美しい紫の瞳が私を覗き込んでいる。その目には隠しきれない熱があり、それに気づいた私は真っ赤になった。


「好きだよ、スピカ。私は君と婚約を解消なんてしたくない」

「っ……」

「私の妻になる人は君だってずっと思い続けてきたんだ。今更、離してあげられるわけないじゃないか」


 告げられる言葉には力が籠もっており、彼が本気で言ってくれているのが伝わってくる。

 そしてそれを嬉しいと思っている自分がいることにも気がついていた。


 ――アステール様が私を望んで下さっている。


 嫌われたかもしれないと思っていただけにその喜びは大きかった。きゅっと彼の服を握る。私の反応を見たアステール様が頬を緩めた。


「おや、ずいぶんと可愛いことをしてくれているね」

「だ、だって、私も嫌われたと思っていたので……」


 勘違いだと分かって嬉しかったのだ。小声ではあるがそう言うと、アステール様は優しく私の髪を撫でた。


「私たちはお互い相手に嫌われたと思っていたんだね。ねえ、スピカ。教えて欲しいんだけど、最初、どうして君は私から逃げ出したのかな?」


 私たちがすれ違うことになった最初の要因。私が逃げた理由を尋ねられ、私はアステール様から目を逸らした。できれば言いたくなかったのだ。だが、アステール様は許してくれない。


「教えてよ。あのあと、君から避けられて、私がどれだけ傷ついたと思う? 登下校だって一緒にしてくれなくなって。私の楽しみがなくなってしまったと本気で絶望していたんだよ」

「そ、そんな……大袈裟です」

「大袈裟じゃない。単なる事実。それどころか、君はフィネー嬢とずっと一緒にいて、いつも楽しそうだったし」


 その言い方がまるで拗ねているようで、ドキッとした。慌てて言い訳を口にする。


「ソ、ソラリスは友人で……というか、友人になって。気が合うというか……」

「みたいだね。見ていれば分かるよ。君はずいぶんと楽しそうに笑っていたし。でもねえ、私だって同性の友人に文句を言うほど狭量な男ではないつもりだし、別にそれは構わないけど……私がこんなに苦しい思いをしているのに君は……ってやるせない気持ちにはなったかな」

「そ、それは……申し訳ありません」


 ソラリスと友人になってはしゃいでいた自覚はあったので、それについては謝るしかない。素直に謝罪を告げると、アステール様は笑った。そうしてコツンと私の額を指で弾く。


「いいよ。許してあげる。君に嫌われたなかったんだから、大体のことは許すよ。だから早く教えて。どうして君が私から逃げ出したのか」

「……」

「ほら、早く」


 ここまで言われれば、さすがに誤魔化せないのは分かる。私は小さく息を吐き、諦めの言葉を吐き出した。


「……だって、アステール様が言ったんじゃないですか」

「何を?」

「……友達にはなれないって」

「?」


 アステール様が不思議そうに首を傾げる。どうやら本気で分かっていないようだ。


「婚約者じゃなくなったら友人になればいいって言った私に、アステール様が言ったんです。『友人にはなれない』って。それってつまり、私とは関わり合いになりたくないってことですよ……ね? だから私、もう無理だって思って……一緒には居られないって」


 チラリとアステール様の顔色を窺う。ソラリスは絶対に違うと言ってくれたし、納得もしたつもりだったが、彼自身に否定してもらわなければ本当の意味で頷けないと思っていた。

 アステール様はぽかんと口を開け、パチパチと目を瞬かせている。そうして、顔を手で覆うと、はーっと大きすぎるため息を吐いた。


「……やっぱり、そう受け取ってたんだ」

「え」

「君が泣きそうな顔をしたから、もしかしてそうなのかなって思って誤解を解こうとしたんだよ。なのに君は走って行ってしまって。その後も何度も話し掛けようとしたんだけど、君は私を避けるし、言い訳さえさせてもらえなくて私も大分へこんでいたんだけど」

「……」

「私は君以外と結婚するつもりなんてないんだから、友人なんてあり得ないだろう? 婚約者でなくなるという前提がそもそも間違ってるって言いたかったんだ」

「……」


 呆けたようにアステール様を見る。

 彼が言ってくれたことは、ソラリスが予想したこととほぼ同じだったのだが、やはり本人から言われるのは全然違う。

 ほろっと涙が勝手に零れ落ちた。


「スピカ!?」


 私が涙を流していることに気づいたアステール様がギョッとして顔を覗き込んでくる。


「どうしたの? 何か君の気に障ることを言ってしまった?」

「違う……違うんです」


 否定するように何度も首を振る。


「私……勘違いしてたんだって分かったら……嬉しくて……」


 私の心を満たしていたのは歓喜の感情だった。喜びが溢れ、それが涙となって流れ落ちたのだ。

 涙を流し続ける私をアステール様が抱きしめる。


「ああもう……泣かないでよ」

「……ごめんなさい。でも、止まらなくて」


 ホッとしたこともあるのだろう。止めようと思っても涙は一向に止まらない。声もすっかり涙声だ。

 アステール様が私を抱きしめながら言う。


「いいよ、それなら気が済むまで泣いて。君が泣き止むまでこうしてあげるから」

「……はい」


 強く抱き込まれるのが幸せだった。アステール様の温かい体温を感じ、ここに戻ってくることができたのだと思ってしまう。


「アステール様……」


 すりっと頬を寄せると、アステール様が困り切った声で言った。


「うわ、可愛い声。……どうしよう。このまま城に連れ帰りたいんだけど」

「リュカが待っているから無理です」

「リュカね。そうだね、君の可愛い愛猫が待っているものね。……ねえ、スピカ。聞きたいんだけど、君が私の言葉にそこまでショックを受けたのはどうしてかな。あと、私を避けた理由。さっき、恥ずかしかったからって言ってたよね。それってさ、君も私と同じ気持ちだったからって思ってもいいのかな?」

「っ……!」


 先ほどまでとは違い、実に楽しげな声で聞かれ、私は固まった。


「そ、それは……」

「どうして、恥ずかしかったの? まずはそこかな。ねえ、スピカ。教えてよ」


 甘やかすような声と態度に私は恥ずかしくて、死んでしまうのではないかと本気で思った。間違いない。アステール様は確実に私の気持ちに気づいている。


 ――う……恥ずかしい。


 顔を上げられない。正視できる気がしない。

 好きだと気づいたから、急に恥ずかしくなった、なんて言えないのだ。


「スピカ」


 促すような声に、私は仕方なく、言えることだけを言った。


「ソ、ソラリスが教えてくれたんです。私がアステール様の言葉を誤解してるって。あと、他にも色々。半信半疑だったんですけど、でも少し納得もできて」

「うん。彼女が君を追いかけていったことには気づいてたけど……そうか。誤解を解いてくれようとしたのか」

「はい。ソラリスは私に、ちゃんとアステール様と話すようにって言ってくれて……私もそうしようと思ったんです。でも私、気がついてしまって――」


 言葉が途切れる。これ以上は口にできなかった。だがアステール様は楽しげに私を追い詰めてくる。


「何に? 何に気づいたの?」

「……」

「スピカ」


 強請るような声に、私は首を横に振った。


「無理、です。言えません」

「そんな意地悪言わないで教えてよ」

「……絶対分かってるじゃないですか」


 声が弾んでいる。期待するような響きに、私は絶対に顔を上げられないと思った。

 車内の気温が心なしか上昇しているような気がする。身じろぎしたが、逃がさないとばかりにさらに強く抱き込まれてしまった。


「もちろん、答えの予想はできるけど、合っているかは確認しないと分からないし、それに何より、私が君の口から答えを直接聞きたいんだ」

「……」

「ずっと待っていたから。だからほら、言ってよ」


 早くと促される。恥ずかしくてたまらなくなった私は何も言えず、ぎゅっと彼の服を握り込んだ。


「スピカ」

「スピカってば」


 アステール様が呼んでいるのは分かっているが、私は返事をしなかった。黙っていると、アステール様が頭上で息を吐いた音がする。


「……仕方ないな」

「アステール様?」


 そろそろと顔を上げる。アステール様が優しい目をして私を見ていた。


「いいよ。今日は気分が良いから、もう少し待ってあげることにする。でも、私が思う答え以外は許さないから。分かった?」

「アステール様が思う答えって……」

「そりゃあ、私と同じ気持ちだって答えだよ。ちなみに私は君を愛してる」

「っ……」


 優しい声で言われ、全身が燃えるように熱くなった。耐えきれなくなり胸元に再び顔を埋める。


「あれ? また隠れちゃった。ふふ、でもそんな反応をしてくれるってことは、期待していいんだよね?」


 ふうっ耳元に息が掛かる。分かりやすく肩が震えた。アステール様が甘くて優しくて、頭がおかしなくらいにクラクラする。


「スピカ。返事を聞かせて欲しいな」


 優しい声が降り注ぐ。その声音に背中を押され、私は小さく頷くだけの答えを返した。




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