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――うちの弟が甘ったれすぎる件について……。
私ははあっと息を吐き出し、弟に言った。
「駄目。協力はしないわ」
「ええ? なんで?」
どうやら弟は私が頷くと信じ込んでいたようである。信頼されているのは嬉しいが、さすがにこんな我が儘には付き合えない。だから私は言った。
「……決めたわ」
「姉様?」
「あなたの罰。それは、今の家庭教師の先生の元で頑張ること」
「ええっ!?」
弟がギョッとした顔で私を見る。
「なんで!?」
「なんでって、効果的だと思ったからよ。それにその先生、お父様が代えないっておっしゃってるってことは、多分かなり良い先生だと思うの。あなたのためにも、今の先生の元で頑張りなさい」
「え、嫌だ。あいつ、めちゃくちゃ口うるさいし、すぐに手が出るんだもん」
とんでもないとぶんぶんと首を横に振るカミーユ。その顔はかなり必死だ。
「あいつ、本当にヤバいから。姉さんは知らないだけで――」
「あなたが真面目に授業を受けないからでしょう。それともその先生は真剣に授業を受ける生徒に手を挙げるような方なの? 暴言を吐いたりするの?」
「そ、それは違う……けど」
嫌そうにではあるが、カミーユは否定した。それを確認し、弟に言う。
「それなら何の問題もないじゃない。カミーユ、今の先生の下で頑張りなさい」
「う……姉様。他の罰にはならない? 僕、本当にあいつが大嫌いで……」
「カミーユ」
少し強めに名前を呼ぶと、カミーユは苦虫を噛み潰したような顔をした。そうして顔を歪めながらも頷く。
「わ、分かったよ……。はあ……前の奴のままの方がマシだった」
「前の先生がお辞めになられたのは、あなたのせいでしょう」
「……」
「あと、そうね。もうひとつ。せっかくだからこの機会にダイエットもしましょう。あなたは標準体重を大幅にオーバーしているわ。このままだと病気になってしまう」
「姉様!?」
さらに追加されるとは思わなかったのか、カミーユが目を見開いた。
「嘘でしょ!? 僕、ダイエットなんてしたくないよ?」
「しないといけないのは分かっているでしょう?」
「う」
ぴしゃりと言うと、カミーユは黙り込んだ。さすがにその自覚はあるようだ。
何せ私は知っている。この間、カミーユが医者に苦言を呈されていたことを。痩せないとまずいことになるとかなり厳しく言われていたのだ。
「お父様たちには私から話すわ。罰ということなら、お父様達も協力して下さると思うし」
「うわあ……」
カミーユががっくりと項垂れる。
普段なら「まあいいじゃないか」という両親も、きちんと理由を話せば納得してくれるだろう。ちょうどいい。せっかくだから標準体重まで頑張ってもらおう。
「姉様……鬼だ」
「何言ってるの。全部、あなたのためになることじゃない」
勉強もダイエットも。続ければ、それは全てカミーユのためになることだ。
すっかりしょぼくれてしまったカミーユを見つめる。相当嫌なようではあるが、罰は罰として受ける気はあるらしい。きちんと自らの行いを反省してくれていると分かってホッとした。
それまで黙ったままだったソラリスがぱんっと手を叩く。
「ごめん! これ以上遅くなるとお父様に怒られちゃうから、私帰るね」
「え」
彼女の顔を見る。彼女は困ったように笑っていた。
確かに、帰る途中でカミーユの部屋に寄ったから、かなり時間は経っている。帰らないとまずいというのは分かるが、仲直りさせてくれた恩人であるソラリスを、このまま帰してしまいたくはなかった。
「じゃ、そういうことで」
少し急ぎ足でソラリスが玄関に向かう。慌ててそのあとを追った。
「ま、待って、ソラリス……。お礼を……その、良ければ晩餐でも……!」
ソラリスが立ち止まり、くるりと振り返る。
「別にお礼なんて要らない。私が勝手に弟くんにムカついただけだから。でもスピカ、知ってる? 喧嘩両成敗って言葉」
「え、知ってるけど」
どうしてそんなことを言われるのか。息を整えながらも彼女を見ると、ソラリスは笑った。
「つまり、弟くんだけに罰を与えるのは不公平ってこと。あなたにも相応の罰を受けてもらわないと」
「え」
「だって、スピカ。自分にも悪いところがあったと思ってるんでしょう?」
「そ、それはそのとおりだけど」
ドキッとした。まるで全てをお見通しとでもいうようにソラリスが言う。
「だからあなたもねって話。スピカの罰なんて弟くんには考えられないだろうから、私が決めてあげる。……そうだなあ、弟くんは相当嫌なことを罰にされたみたいだし……」
ごくりと唾を呑み込んだ。背中が震える。
なるほど、先ほどの弟の気持ちはこんな感じだったのか。何を言われるのだろうとものすごく不安になった。
「よし、決めた。スピカの罰は、『アステール殿下ときちんと話し合うこと』。これしかない」
「えっ……」
斜めすぎるところから罰が来た。
考えもしなかった展開に一瞬、時間が止まる。
「待って……え、アステール様と話す?」
「そう。あなたが今、一番できないと思っていること。自分からアステール殿下に話し掛けに言って、きちんと話を付けてくる。これがスピカの罰。どうよ、結構厳しいでしょ?」
「……」
絶句である。ソラリスはニコニコと笑っているが、笑い事ではなかった。
「待って、待って。無理、無理よ。ソラリスも知っているでしょう?」
「知ってる。だって毎日スピカの話を聞かされてるし」
「それなら……!」
「だからちょうどいいんだって。ね、スピカ。弟くんには、嫌なことを罰として強制させておいて、自分は嫌だで逃げられると本気で思ってる?」
「それは……」
じっと見つめられ、言葉に詰まった。
確かに私はカミーユに、彼が今、一番したくないと思っているであろうことを強要した。それが罰だというものだと思ったし、回り回って彼の為になると思ったからだ。
「それと同じ。スピカが今一番嫌なことで、でもいつかは向き合わなければならないこと。それをね、私は今すぐやれと言っているの。そうね、具体的には明日にでも」
「明日!?」
心の準備さえさせてもらえないのか。
ギョッと目を見開く。ソラリスは平然と言った。
「スピカはすぐに『あとで』と言って逃げるからね。明日の放課後、アステール殿下を捕まえて、意地でも話をすること。以上。分かった?」
「……明日」
「スピカはお姉ちゃんでしょ。弟くんが頑張るのに、姉のスピカが逃げるわけ?」
じっと目を合わされる。その目がお前はどうするのだと問いかけているような気がした。
少し考え、ぐっと拳を握った。
弟だけに嫌なことを押しつけるのは違う。私も逃げずに、立ち向かわなければならない。
「わ、分かったわ」
「何を?」
「明日の放課後、アステール様と話をする」
言いながらも声が震えた。私にそれができるだろうか。不安でいっぱいだった。
ソラリスが笑顔で言う。
「OK。じゃ、スピカの罰はそれってことで。あー、本当に時間ヤバい。そういうわけだから、また明日ね。話し合いの結果、ちゃんと聞かせてよ? 実行したかどうかの確認にもなるんだから」
「……え、ええ」
ぴしっと人差し指を目の前に突きつけられた。そんな彼女に苦笑しつつも了承を返す。
ソラリスが小走りに館を出て行く。それを追いかけ、彼女が乗った馬車が視界から消えるのを確認してから、私は私の部屋へと戻った。
いきなり訪れたアステール様との対話。
心の中は酷く荒れていたけれど、それでも一歩踏み出す勇気をくれたソラリスに私はとても感謝していた。




