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「そっか……そっか、そう、よね……」
涙がボロボロと零れる。
アステール様が私のことを好きなんて、やっぱりあり得ない話だったのだ。
それなのに私は真に受けて嬉しくなって……馬鹿みたいだ。
これからどうしよう。どうすればいいんだろう。
先を思えば苦しくなる。
だって、今はまだ婚約者なのだ。アステール様と一緒にいる機会はいくらでもあるだろう。
でも、それならどういう風にアステール様と向き合えばいいのか。
今まで通り、何食わぬ顔をして婚約破棄を告げられるまで日々を過ごす?
無理だ。今の台詞を聞いてしまったあとで、そんな態度を貫けるほど私は心が強くない。
「詰んだわ……」
まだ婚約破棄されていないのに、すでに振られてしまったような気分だ。
でもあんな言葉を聞いてしまえばそう思ってしまうのも仕方ないだろう。
涙を拭い、途方に暮れながらとぼとぼと歩く。
もうすぐ午後の授業が始まると分かっていたが、教室に戻る気にはなれなかった。
戻ったってどうせ皆に同情と哀れみの籠もった顔でみられるだけだ。食堂にはたくさんの生徒が集まっていた。噂はとうに広まっているだろうし、すでに皆の知るところだろう。
アステール様に友人とさえ思ってもらえない女。
これから私は皆に、そういう目で見られるのだ。
それは真実だからもう仕方ないと思うしかないだろうけど、さすがに今すぐさらし者になる勇気はなかった。
もうこのまま屋敷に帰ってしまおうか。
そうしてしばらく休学して、心と体を休めよう。
リュカとふたりきりで過ごして、気持ちを整えるのだ。気持ちを立て直したい。でなければ皆と――アステール様と顔を合わせられる気がしなかった。
「歩いて帰ろうかしら」
馬車はないけど、屋敷までは歩けない距離ではない。
荷物は教室においてきてしまっているけれど、取りに帰る気にはなれないし、このままぶらぶら歩きながら帰るのも悪くないなと思う。
「ね、ねえ! あなた! ちょっと!!」
校門を出ようとしたところで、後ろから大きな声で呼び止められた。
女性の声だ。
名前を呼ばれたわけではないが、なんとなく振り返る。そこには何故かソラリス・フィネーが立っており、息を荒げながら私を睨んでいた。
「え?」
さっきまでアステール様たちといたゲームヒロイン。それもおそらくはゲーム知識持ちの転生者が私に何の用があるというのだろう。
午後の授業が始まる直前ということもあり、周りには私たちの他に誰もいない。
文字通りふたりきりだ。
時間的に遅刻確定。
それなのにわざわざ授業をサボってまで私を追ってきたのはどうしてか、その理由が知りたいと思った。
「……何、かしら。私に用でも?」
先ほどのアステール様とのやりとりについてでも聞かれるのだろうか。
それなら別日にして欲しい。今の私はわりと本気で傷ついていて、立ち直るのに少し時間がかかるから。
そんな気持ちで彼女を見つめる。彼女ははあはあと息を整えながら私に言った。
「あ、あのね……その、突拍子もない話だと思うし、信じられないとは思うんだけど、馬鹿にしないで聞いて欲しいの。その……転生者……って言ってわかる? 前世の記憶持ちって意味なんだけど」
「……は?」
いきなり転生者と言い出した彼女を凝視する。
彼女の真意が掴めない。答えられない私に彼女は、「そうだよね……怪しいよね。でも他になんて言えばいいのよ!」と地団駄を踏んだ。
彼女の――ソラリスの様子を観察する。
彼女は私を揶揄っているとかではなく、本気で困っているようにしか見えなくて――だから私は周囲に誰もいないことを再度確認してから、彼女に向き合った。
正直に言おう。その時の私は何もかもが、もうどうでも良かったのだ。
だからまあ、言ってしまってもいいかと思った。迂闊だとか、そういうことが全てどうでも良くなっていた。
「……分かるわよ。でも、今更何を言っているの?」
投げやりに言った。
私が転生者なのかどうか。そんなの、最初に出会った時の私の反応で分かっていたことだろう。
彼女が悪役令嬢という言葉を発した時、私は『意味が分からない』という顔をしなかった。
そう、悪役令嬢という言葉を理解している時点で、転生者でないはずがないのだ。
だってこの世界にそんな言葉はないのだから。
イライラとし、つい睨みつける。彼女はパッと顔を上げ、驚いた表情を浮かべた。
「え……そうなの? も、もしかしてそうかなって思ったから駄目元で聞いてみたんだけど……え、じゃああなたも私と同じ? あー、えと、そうだ。これも聞かなくちゃ。あなた、ここがどこの世界か分かってる?」
「は? どこの世界って……」
「だからほら、二次元的な……」
パニックを起こしながらもなんとか説明しようとする彼女に、私は戸惑いつつも首を横に振った。
「……知らないわ。最近までは、ただ異世界転生をしただけだと思っていたんだもの。あの入学式の日、あなたに言われて、乙女ゲームの世界なんだろうなっていうことくらいは分かったけど」
「そこからかあ」
「?」
彼女が何を言いたいのかさっぱり分からない。
目の前の彼女はがっくりと項垂れ、「宣戦布告した意味……」と呟いている。
そうして顔を上げると、私をじっと見つめてきた。確かめるように聞いてくる。
「じゃあ、あなた、悪役令嬢じゃないのね?」
「……意味が分からないわ。あなたの話によれば、私は悪役令嬢じゃないの?」
私を『悪役令嬢』と断言したのは彼女ではないか。怪訝な顔で彼女を見る。
彼女は、「どう説明すればいいのかな……」と頭を捻っていた。




