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「ノヴァ殿下?」

「う、わ……吃驚した。あ、兄上、いらっしゃっていたのですか」


 私たちがいることに気づいたノヴァ王子が目を見開く。彼は手に、見覚えのあるキャリーケースを持っていた。

 私が持ってきたキャリーケースだ。ノヴァ王子がキャリーケースをアステール様に渡した。


「……ミミとトト、ずいぶん興奮しているみたいで、このままだとリュカが怪我をしそうに見えて連れてきました。兄上の部屋に置いていただけると助かります。こちらが連れてきて欲しいとお願いしたのに申し訳ありません……」


 キャリーケースがカタカタと揺れている。どうやらリュカもかなり興奮しているようだ。

 アステール様が両手でキャリーケースを受け取り、頷く。


「分かった。リュカも興奮しているみたいだし、私たちが引き取るよ。でも、ミミとトトは大丈夫なのかい?」


 チラリと扉の方を見るアステール様。ノヴァ王子はにこりと笑った。


「大丈夫です。今、ケージに入れましたから。しばらくすれば落ち着くと思います」

「そう……それなら良いけど」

「にゃあ!(助けて!)」

「え……」


 リュカが突然、力強く鳴いた。聞き捨てならない言葉が脳裏に響く。


「にゃあ! にゃあ! にゃあ!(連れて行かれた! 助けて、助けて)」


 訴えるように鳴くリュカ。彼は連れて行かれたという不穏過ぎる言葉を何度も言った。


「にゃあ、にゃあ、にゃあ!!(助けて、助けて、助けて!)」


 一生懸命、私たちに向かってリュカが鳴く。


 ――助けて? それ、どういう意味?


 リュカの訴えに動揺する。

 思わず、アステール様に視線を向けた。彼も驚いた様子だったが、小さく頷く。

 その目が、今は黙ってと言っているように見えて、私も了承の意思を示した。

 リュカの言葉が分かるのは、私たちだけなのだ。

 ノヴァ王子がいる状況で、話すわけにはいかない。

 アステール様がノヴァ王子に言った。


「……リュカを落ち着かせないといけないから、私たちは行くよ。……ノヴァ。ひとつ聞くけど、ミミとトトはケージに入っているんだね? 二匹は無事、なんだね?」

「……妙なことをお聞きになりますね。もちろんです。二匹は元気ですよ」

「……そう。分かった。行こう、スピカ」

「……はい」


 二匹は無事かと聞かれた時、一瞬ノヴァ王子が動揺したように見えたが、これ以上何も言わないだろうことは彼の頑なな様子を見れば分かる。

 私たちは目配せし合い、ノヴァ王子から離れた。アステール様の部屋に急いで移動する。

 リュカはその間もずっと「連れて行かれた」「助けて」とずっと叫んでいる。尋常ではない様子に焦りが募りつつも、なんとか部屋の中へと入った。


「アステール様……!」

「うん。ずっとリュカは『助けて』って言っているね。どういうことなんだろう」

「分かりません。でもリュカの様子はずっとおかしいし……」


 喉が枯れるかと思うほど、リュカは大きな声で鳴いている。どんどんとキャリーケースの入り口に体当たりを仕掛け、出してくれと訴えていた。

 その様があまりにも必死で、怪我をしかねないと思った私はアステール様にお願いした。


「アステール様……リュカを出してあげて下さい。このままではリュカ、怪我をしてしまいます」

「そうだね……わっ……!」


 アステール様がキャリーケースの扉を開ける。その瞬間、リュカが飛び出してきた。


「にゃあ!」


 高らかに鳴き、リュカが部屋の扉に突進していく。鍵こそ掛けていないが扉は閉まっている。

 リュカがでられるわけがないと高を括っていたのだが、彼は予想外の動きをした。


「えっ……?」


 なんと、リュカはドアノブに向かってジャンプし、前足を使って上手く扉を開けたのだ。

 リュカが開いた隙間から飛び出して行く。


「え、あ、ちょっと……嘘!? リュカ!」


 あまりの出来事に、反応が遅れた。

 アステール様も唖然としていて、動けていない。

 猫が扉を開けることがあるというのは知識としては知っていた。

 意外と猫は賢く、どうすれば扉が開くのか、人間がどういう風にしているのかきちんと見て、覚えているのだ。

 それは知っていたけれど、まさかその瞬間が今とか思うはずがない。

 それだけリュカが必死だったということだろうが……いや、今は呆然としている場合ではなかった。


「アステール様! 追いましょう!」

「えっ、あ、そうだね……!」


 声を掛けると、アステール様も我に返った。キャリーケースを持ち直し、中途半端に開いていた扉を開け放つ。リュカがどこに行ったのか周りを見回すと、右側奥の廊下にリュカがいた。


「リュカ!」


 良かった。見失わずに済んだようだ。

 ふたりでリュカの方に駆け寄る。だがリュカは私たちが近づくと、更に奥にと走っていってしまった。

 それを追いかける。

 廊下にいた兵士が猫と、私たちが走っている姿を見てギョッとした顔をする。

 ドレス姿の令嬢、しかも第一王子の婚約者が廊下を必死の形相で走っているのだ。何事かと思ったのだろう。だが、彼らが何か言う前にアステール様が言った。


「その猫を捕まえてくれ! 傷ひとつ負わせるな! スピカの大事な猫なんだ!」


 それを聞いた兵士たちが、リュカを捕まえようとする。

 傷を付けるなと言われたからだろう。素手でリュカを掴もうとするが、リュカは上手く彼らを躱した。

 そうして私たちに向かってひと鳴きする。


「にゃあ!(早く!)」


 ――早く?


 その言葉に驚きつつも、走り続ける。

 リュカは、私たちが見失わないよう絶妙な速度で走り、追いつくのを待っては、先に先にと進んでいた。

 まるで私たちをどこかへ導こうとしているかのようだ。

 それに気づいた私は走りながらアステール様に言った。


「アステール様……リュカ、私たちをどこかに案内しようとしているように見えませんか?」


 私の言葉にアステール様も頷いた。


「うん、私にもそんな風に見える。大体、本気で走った猫に追いつけるはずがないからね。さっきも助けてって言っていたし、関係あるのかもしれない」

「そうですね……でも、何を助けて欲しいんだろう」


 リュカが言っていたのは『連れて行かれた』と『助けて』である。

 リュカの言葉通りなら、何かが連れて行かれたので助けて欲しいということになるのだけれど、その何かが分からなかった。


「にゃあ! にゃあ!(こっち! こっちからあの子の匂いがする!)」


 私たちの疑問に答えるようにリュカが鳴いた。

 あの子という言葉に、眉根が寄る。


「あの子?」

「知り合いのような言い方だね。普通に考えれば、リュカと一緒にいたミミかトトのどちらかということになると思うのだけど」



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一迅社ノベルス様より『悪役令嬢らしいですが、私は猫をモフります3』が2022/8/1に発売しました。電子書籍版も発売中。よろしくお願いいたします。
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