65. 不快感、嫌悪感、拒絶感
★視点★ 櫻小路和音
「へ~、睡眠中以外でも、その気になれば入れ替われるのだな。この間、夜夕代が愛雨と古戦場公園で入れ替わっていたし。タイミングさえ掴めば、意外と簡単なことなのかな」
広場の脇のフェンスに絡まった雑木の蔓を引きちぎり、鬱陶しく伸びた長い髪を後ろで縛る。
「いやでもこれは俺的には不本意なことだ。普段からこういうルール破りは好きじゃねえんだ、本当は。契約や規則や約束を厳守したいという気持ちは、気持ちだけは誰にも負けねえつもりだ、俺は」
それから、背筋を伸ばすストレッチをし、両足のアキレス腱を伸ばし、両手の五本の指を開いたり閉じたりした後、たぎる闘志に突き動かされ、夜空に輝く満月に、俺は吠えた。
「うおおおおおおおおおおおお」
俺の咆哮に腰を抜かしたチートが、その場に腰を抜かしてへたり込む。
「お、オオカミ男……」
「アホ。俺だよ、俺。お待ちかねの櫻小路和音様が、あんたの前にやって来たぞ」
「……和音か? 本当に和音なのか?」
「そうだっつってんだろ。ほら、目ん玉かっぽじってよく見ろ」
チートの顔の間近まで、自分の顔を近づける。
「なるほどな。話が繋がったぜ。――実は昨日の夜、家族に、血の池高校の櫻小路和音とタイマンをすることを告げたんだ。そしたら、俺の父ちゃんが『その櫻小路というガキは、おれの昔の女の息子かもしれない』なんて言い始めた。半年程前、父ちゃんが何者かに暴行を受け、病院から重症で帰ったことがあってな。当時父ちゃんは頑なに加害者の名前を言わなかったけれど。昨日、暴行を加えたのが、実はその女の息子だってことを白状した」
暗闇に浮かぶ俺の顔を確認し、徐々に冷静さを取り戻しはじめたチートは、ゆっくりと立ち上がり、ズボンのお尻に着いた砂を払うと、そう身内話を始めた。
やはりチートとかヒートとか抜かすこいつら兄弟は、あの業多の子供だった。こいつらに出逢った時の不快感。名前を聞いた時の嫌悪感。体に不調が出るほどの拒絶感。その理由が、はっきりしたぜ。
「あの日、オレの父ちゃんは、付き合っていた女のアパートで、その息子を折檻していたらしい。そしたら、ついさっきまで気弱で非力だった息子が、突然豹変し、父ちゃんをボッコボコにし、全治三週間の怪我を負わせちまった。顔つきも、体つきも、一瞬で別人に変わった。あのガキは恐らく多重人格なんじゃねえか。父ちゃんはオレにそう言った。おい、和音。オレの父ちゃんをやったのはテメエだろう。そして、父ちゃんの言う通り、てめえは、多重人格障害なのだろう」
多重人格障害。俺たちが、一番言われたくない言葉。俺たちは、本来三つ子として生まれてくる筈だった全く別の人格。今は、たまたまひとつの肉体をシェアしているだけ。
「ああ、なんと綺麗な満月だ……」
俺は、青白く輝く妖艶な満月を見上げた。
「は? てめえ、オレの話聞いてんのか。――そうそう、父ちゃんが言っていたぜ。テメエの母ちゃん、めちゃくちゃ美人なんだってなあ」
「昔から、満月の夜に犯罪が増加するという噂がある……」
「あの頃は、極上の美女の、極上の体を、毎日毎晩堪能できて最高だったって、父ちゃん、鼻を伸ばして懐かしんでいたぜ。いいなあ。羨ましいなあ。なあ、和音、お前の母ちゃん、俺にも一晩貸してくんねえ? って違うか? ぶはははは」
「科学的な証拠は不十分らしい。だが、そういう噂が集まって、オオカミ男というモンスターの伝説が生まれたのかもしれない」
「おい。テメエは俺の話を聞いて――」
「え、何だった? ごめ~ん。じぇんじぇん聞いてなかった~。もう一度はじめからお話をしてくれるかな?」
「こんのガキいいいい。どこまでもオレ様を舐め腐りやがって。頭にきた。完全に頭にきたぜ。もうテメエと話すことなんか何もねえ」
「言いたいことはそれだけか。では、さっそく勝負を始めよう」
「上等だ」
チートがファインディングポーズをする。この時、俺は両腕をダラリと下げたノーガードのまま、だしぬけに凄まじい早口でまくし立て――
「男と男の真剣勝負を始める前にひとつだけルールを決めないか別に大したことじゃない用意ドンという合図と同時に勝負を始めるという簡単なルールさ言い出しっぺは俺だから俺が合図を出すことにするぜそれでは始めよう用意ドーン」
――怒涛の早口にあっけにとられるチートの隙を狙い、やつの顔面に強烈なストレートパンチをぶちかました。
【登場人物】
櫻小路和音 荒ぶる十七歳 三人で体をシェアしている
業多血人 血の池中学校の元番長




