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第三十三話 コソ泥の償い

「あんたが、あの時のボンボンだっていうの?」


 懐かしさと、懐疑心と、驚愕と。

 入り乱れる感情のまま瞳を揺らし、ミリアは震える声で問うた。


 ほとんどそれで間違いないのはわかっている。本人の口から肯定の返事を聞きでもしないと信じられなかっただけで。


「久方ぶりにその呼び名を耳にするとはな」

「うわぁ、ずいぶんでっかくなって」


 ボンボンの時はコソ泥と少ししか変わらなかったのに、今では頭二つ分以上も背が高い。しかも髪と目の色も違うのだから、気づくのなんてどう考えても無理な話だった。

 朧げな記憶ながら、顔だけは面影がある気もするが。


「そう言うお前こそ印象が一変し過ぎているだろう。薄汚れた孤児から麗しの貴族令嬢へ変貌するとは、想像だにしなかったぞ。見た目を偽っているのと年齢の乖離のせいで、お前が行動を起こすまでは俺の勝手な勘違いなのではないかと疑っていたくらいだ」

「見た目を変えてるのはその通りだけど、年齢の乖離って?」


 ミリアが偽っているのは経歴と髪色、あと貧民街と比較すれば多少は裕福な暮らしで胸が見違えるほどに膨らんだだけである。

 年齢詐称の心当たりはない。


「お前、本当はまだ十四か十五くらいだろう」


 そう言われて――一瞬、わけがわからずぽかんとしてしまった。


「どういうこと……?」

「ここに来て嘘を吐く必要はない。ヒールを脱いだらそれほど背が低いのに」

「背丈だけで勝手に決めつけてんじゃないわよ、失礼ね! あんた、本当に初めて会った時にわたしのこと幾つだと思ってたの?」

「八つくらいかと」

「全ッ然違うから! あの時で十一、今で十八よ!!」


 驚いた。本当に驚いた。

 なんて失礼な奴なのか。


「でも今のでわかったわ。口の悪さと態度はボンボンそのものだって」

「口の悪さと言えばお前の方が悪いだろう」

「社交界ではしっかり繕ってるんだから別にいいでしょ。あんたの前でだって今日の今日までお行儀良くしてたわ。人間ねぇ、素の喋り方なんてそうそう変わるもんじゃないの」

「相変わらず口だけは達者なのだな」

「そうよ。どうせ教養の足りない娘よ、わたしは」


 ボンボンのことはなるべく思い出さないようにしていたので忘れていたけれど、ボンボンにも陛下にも『教養が足りない』と、そう評されていたのだった。教養がないのは事実なので言い返せないところがまた腹立たしい。

 …………それはともかく。


「これからどうするつもり?」


 ミリアの化けの皮は剥がれた。陛下は、ペンダントの元の持ち主であるあのボンボンだった。

 現状婚約関係にあるが、皇家の秘宝を盗み出したミリアを皇妃に据えるなんてとんでもないことだ。


「どうするとは何の意味だ」

「わかってるくせに。婚約破棄するかどうかって訊いてんのよ」


 ミリアがコソ泥だとバレてしまったのは完全なる失態だ。だから。


「陛下を……あんたを恨むつもりはないわ。わたしはフォークロス伯に殺されるでしょうけど、大事なペンダントを盗んだ上に姿を偽ってあんたに取り入った女が死ぬんだもの、嬉しいでしょ」

「それは性質(たち)の悪い冗談か?」

「わたしは本気よ。あんたがここへ来た。つまりそれは、皇家の影が見てるってことだもの。影が見ているからにはもう取り返しがつかない」


 視線こそ感じないけれど、潜みながら今の会話を聞いているはずなのだ。

 それこそ皆殺しにでもしない限り、ミリアの詰みは確定。万に一つ、陛下が婚約を破棄せずにミリアを娶ったとしたら、皇帝に不相応と国民や貴族連中から批判殺到間違いなし。

 そう、思っていたのに。


「皇家の影には薬を盛って眠らせてあるから安心しろ」

「皇家の影に、薬を!?」


 陛下の口から飛び出した新情報に、目を丸くさせられた。


「見られたら都合の悪いことも多々あるからな。とはいえその都度殺すわけにもいかない。無毒だが一定期間の記憶を混濁させる薬品を常備している」

「何それ怖っ。常に暗殺と隣り合わせとか薬盛られるとか、皇族怖過ぎ……」


 ということは、だ。

 ミリアにとっての最大の懸念だった皇家の影は現在機能しておらず、公にコソ泥の姿が知られることはないのか?

 いや、でも。


「影がいなくてもあんたに見られたんじゃ一緒じゃない。大怪盗でも何でもないコソ泥でしかないのに、皇家の秘宝を盗もうと企んだのよ?」

「だがそれは未遂に終わった」


 淡々と答える陛下の声も、細められた血の色の瞳も。

 『皇帝とミリア』として初めて出会った時と同じくらい冷たいのに、隠し切れない優しさが滲み出ていた。


「……まさかあんた、わたしの罪を不問にしようとしてるの?」


 コソ泥が盗みを(おこ)なってきたのは、生きるために必要だったから。

 でも今回ばかりはそうではなかった。


「おかしいわ、そんなの。これ以上わたしを嵌めようとしたって無駄よ。もう騙されてやんないわ」

何故(なにゆえ)に疑う」

「わたしは伯爵令嬢じゃないのよ。あの貧民街にいた、薄汚い孤児なのよ。わたしはあんたを探してた。でもあんたは、わたしのことなんて無関係の他人としか思ってなかったでしょうが!」


 叫んだと同時に、なぜだかあたたかな滴があふれ出す。

 か弱い乙女のふりをするために目を潤ませたことはあれど、本当に泣いたのなんてどれほど前のことか忘れてしまったくらいだったのに。


「ペンダント……返してほしかったんでしょ、なんで諦めたのよ!」


 ずっと言ってやりたかった言葉を放ち、懐に隠し持っていたペンダントを突きつけながらミリアは、思い切りつま先立ちになり手を高く伸ばす。

 そうしてようやく届いた陛下の頬を平手で打った。


 パーン、と軽やかな音が高く鳴る。

 手がジンジン痛んだが気にならなかった。


「これを見て、忘れたとは言わせないわよ。パーティーの時、わたしの胸を見てたのはペンダントを着けていたからだって今気づいたわ!」

「ああ。お前の胸元で揺れているのを目にした時は、何度も己の目を疑い、夢ではないことを確かめたものだ」

「でもあんたは何もしなかった。なんで、諦めたのよっ」


 しばらく、気まずい沈黙が落ちて。

 やっと口を開いた陛下は、重々しい声を響かせた。


「なんとしても取り返したかったのは事実だ。最後にお前の元を訪ねたあの時ばかりは力づくでも奪おうと決めていた。相応の力も得ていた。……なのになぜなのだろうな、実行できなかったのは」

「――――」

「あれは、兄からの贈り物だ。今は亡き兄、イーサン・ラドゥ・アーノルドからのな」

「ちょっと待って。あんた、陛下でしょ? イーサン・ラドゥ・アーノルドじゃないの?」

「そうであってそうではない。()はイーサンの紛い物に過ぎず、今の姿も血まみれ皇帝と呼ばれる強さの所以も、皇家の秘宝の力によるものだ。イーサンは、六年も前にこの世を去っている」


 そこから彼が語ったのは、壮絶な過去の話。

 帝国の太陽だったイーサンの死に始まり、暴走したデズモンドによる当時の皇家の影の皆殺し、そして。


「皇太子が死んだとなれば国が傾ぐ。決して小さくない騒動が起こり、毒に倒れたイーサンを嘲笑い、あるいは罵る者が必ず現れる。故に俺は皇家の秘宝に――三つの願いを叶えると言い伝えられていたただの石ころに、願った」


 嘘のような話だ。でも、それが事実でないとしたら辻褄が合わないから、本当なのだろう。

 陛下の執務机の引き出しの中にあった石は、本物の皇家の秘宝だったらしい。道端に転がっていそうな見た目だが、それは確かに彼の願いを叶えたという。


 一つ、兄のイーサンと同じ銀髪に赤い瞳という容姿。

 顔だけは変わらなかったが、イーサンもデズモンドも母親である元皇妃に似ていたため、気づいたのは前皇帝とベラ殿下だけ。

 前皇帝と交渉し、デズモンド・チェロニルを病に臥せったことにして存在を消し、イーサンになり変わった。皇族ではなかったデズモンドには影がついておらず、それまでの行動の全てを記録されていなかったからこそそれができたのだ。


 二つ、ただただ強力な力。

 それでもって彼はイーサン暗殺を目論んだ国へ復讐をし、脅威となり得る帝国を狙っていた他国のことごとくを侵略、征服した。

 友好的あるいは中立の国とは距離を置き、他国の者を国内へ招き入れないようにした。


 三つ、イーサン・ラドゥ・アーノルドが蘇ること。

 ……ただしこれだけは叶わなかった。


「死者の蘇生は世の理に大きく反する。叶わなくて当然の願いだ。だが、願わずにはいられなかった」

「あんた、ブラコンだったものねぇ」

「皇帝の座は、皇族の血が一滴たりとも混ざらない俺が座るに相応しいものでは断じてない。陽光のごとき眩さを持つ者こそ皇帝たり得る。真のイーサンの無念を晴らすために帝座に就いたはいいものの、復讐はすぐ終わってしまった」


 蘇らない兄。のしかかる皇帝の重責。

 「その中で、兄を懐かしむためにペンダントを欲し、お前の顔を思い出しては忌々しく思っていた」と陛下は明かす。


「剣を振るしかやるせなさを紛らわせる方法がなく、日々を過ごすだけだった俺の前に一人の女が現れた。それがお前だ、ミリア・フォークロス」

「わたしはあんたにとって、ちゃんと面白い女だった?」

「面白い女だった。そして――俺はお前に惹かれてしまった」

「嘘吐き」

「嘘じゃない。お前をあのペンダント泥棒とわかってもなお、愚かなことに妻として娶りたいと考えてしまっている」


 自嘲するように、それでいてどこか楽しげに、唇を緩める陛下。

 彼は続けた。


「婚約は破棄しない。その代わり誠心誠意謝罪しろ。あとは国母としてこの国を全力で支えていくことで償うといい」

「…………っ」


 何を言っているんだろうこの男、と思った。

 あふれていた涙が引っ込んでしまうくらい呆れた。


 罪を犯したのなら、償いが必要。

 その陛下の考えもわからないではないけれど。


 婚約を破棄しない、しかも、皇妃になって務めを果たせばそれでいいと言われても、虫がいい話にもほどがある。


「皇家の秘宝は諦める。でもねぇ、そんなことで許されるわけないでしょ!?」


 だって。


「わたしは生まれた時からずっと悪で、悪党なんだもの。悪党だって、あんたが言ったのよ!」

「確かにお前は、貴女は悪党だ。だが素直に己の罪を認め、償いの意を行動で示せば、許される罪もあると思うがな」

「今までの生き方を否定しろっていうの? 可哀想な乞食でも、ましてや品行方正なお嬢様でもなくコソ泥だったからここまで生き残ってこれたの。それを変えろって?」

「過去を否定しろとは言わない。悪として肯定した上で、俺と共に生きる道を新たに生きてはくれないだろうか」

「ずるいっ。そんなの、勝手過ぎるわ!!」


 一度は『憎たらしいお前の顔を見るのもこれで最後だ』と別れを告げてきたくせに。

 皇家の秘宝を盗もうとしたミリアを嵌めてきたくせに。


「貴女にはもう、それしか生き残る道はないぞ」


 なんてひどい脅しだろう。

 屹と睨みつけると、くつくつと喉を鳴らして笑われた。


「わかったわよ。皇妃になればいいんでしょ皇妃になれば!」

「謝罪は?」

「悪かったわねぇ、貧民街のコソ泥の分際であんたの初恋を奪っちゃって」


 そう言いながら、手に握り締めたペンダントをそっと自分の首にかける。


 ペンダントを盗ったことは、絶対に謝ってやらない。

 これがなければコソ泥とボンボンは出会うことができなかっただろうから。


「……悪びれない謝罪だな。だが、貴女らしい」

「気に入っていただけたようで何よりですわ、陛下」

「その格好で令嬢ぶっても様にならないぞ」

「ふふっ」


 目元に溜まった涙を拭って、精一杯笑みを作った。


「あんたがいいのなら、これからもあんたの傍にいてあげるわ」


 陛下は……姿形は変わったのに、根の甘さと優しさと変わらない彼は知らないだろう。

 ミリアにとってボンボンがどれだけ大きな存在として胸の中に居座っているかなんて。


「二度と勝手にどっか行くんじゃないわよ」

「ああ、わかった。約束しよう」


 蝋燭の灯りだけが頼りの薄暗い地下室の中でも、陛下が頷いたのははっきり見えた。

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