第三十話 似非令嬢と似非皇帝の過去①
「やけにあっさりと認めるのだな、ミリア・フォークロス。驚いたぞ。お前ならあの手この手で言葉巧みに言い逃れしそうなものだが」
「だって嵌められたんじゃなくちゃ、こんなのはあり得ない。あんたにはとっくに気づかれてたって、気づかれてた上で泳がされていたんだっていう風にしか考えられないわ」
優しい目をしながら、婚約者として優しげに演じて見せながら……ミリアが動き出すのを待っていたのだ、この皇帝は。
――馬鹿みたい。
そもそも陛下の初恋を手に入れられたなんて思っていたのが間違いだったのかも知れない。
いや、きっと大間違いだった。
全てミリアを油断させるための罠。そう考えた方がしっくりくる気がした。
「お前を疑い出したのはつい最近だ。お前が皇家の秘宝にさえ興味を持たなければ、怪しまずに済んだものを」
「それは悪かったわね」
「秘宝の在処を訊くだけならまだしも、おあつらえ向きに開戦の動きがあるとかで城を追い出してくれたな。念の為向かったが、誤報であることは予想できていた。誰が誤報を流したのかについてもな」
「――――」
「故に、出し抜いてやることにした」
陛下の言葉はもう、信じられない。
それでもつい最近と言われてどこかホッとしてしまう現実から、ミリアはあえて目を背ける。だって、そんな感情を抱いたって無意味だ。陛下にコソ泥の本性が知られてしまったのだから。
「意地が悪いったらありゃしないわねぇ。まんまと引っ掛けられて情けない限りよ」
「最初から引っ掛けるつもりではなかった」
「いいわ。そういうことにしてあげる」
「なぜ上から目線でいる。いつも『尊い』とか『太陽』などと言っていたのは偽りか?」
「それは臣下なら誰だって口にする常套句でしょうよ。あんたのことを心から帝国の太陽だなんて思ってる臣下もいるかも知れないけど、わたしの知ったこっちゃないし」
貴族の言葉にはどうしても飾り気というものが必要だったから、どうしてもそういう言い回しをしなければならないのだ。
淑女であり未来の皇妃のミリア・フォークロスではない今は、そんなものは必要ないけれど。
「ふふっ。『淑女の仮面』をつけてる時とは全然違うでしょ。忌み嫌われる赤毛にはしたない喋り方、こっちがわたしの本当の顔よ。――どう、幻滅した?」
ミリアのこのような態度すら陛下は楽しんでしまいそうだが、さすがに盗人となれば話は別だろう。
彼は、己に楯突く者のことごとくを処断する血まみれ皇帝。そしてミリアも目の前でゴロツキを容易く斬り捨てられたところを見た。
あれがこの先に待ち受けるミリアの末路。
死にたくないという想いは陛下と出会ったばかりの頃も、今も変わらない。逃げられるものなら逃げてしまいたい。
なのになぜだか、恐怖はなかった。
『ああ、幻滅どころの話ではない』とでも言われたり、あるいは嫌悪感に顔を歪められながら殺されるのだとしても。
陛下はしばらく押し黙っていた。
しかし、やがて口を開いて。
「遥か昔、余の――俺の前に薄汚れた孤児が現れた」
――。
――――――。
直前の会話と何の関係もなさそうな言葉を放たれ、ミリアはどう反応していいものかわからない。
常に自分を余と呼称していた陛下の一人称が急に変わった理由を問うべきか。いや、そんなことはどうでもいいのだ。
薄汚れた孤児。それに心当たりがあった。あり過ぎた。
だがおかしい。おかしいどころの話ではないだろう。
城の廊下でばったり出会したあの日以前に、陛下と接触した記憶はミリアにはない。ないはずである。
それなら、どうして。
「当時子供だった俺より遥かに年下の幼子に見えた。痩せ細った体は今にも折れてしまいそうだったが、獣のように気性が荒く、勝気で傲慢で、わずかながら興味を抱いた覚えがある」
「それがどうしたっていうの?」
「あれはお前だろう、ミリア・フォークロス。それともペンダント泥棒とでも言った方がわかりやすいか?」
ペンダント泥棒。
そう呼ばれて、「……ぁ」と声を漏らしてしまったのは仕方のないことだった。
「今でもあのペンダントを持っていたんだな。いざという時に売って大金に変えてやろうとほざいていたくせに」
婚約お披露目パーティーでも身につけたペンダント。紫紺の輝きが眩しいあれはミリアにとって何より思い出深い盗品である。
そのことを知っているのはミリアと元の持ち主の二人だけ。ペンダントのことは、フォークロス伯にさえ死んだ親の形見だと嘘を吐いていたくらいなのだ。
こんなことってあるのだろうか。現実にあり得るのだろうか。
数年来の探し人と、この上なく最悪の状況で再会するなんて。
とっくに再会していたことを知らされるだなんて。
令嬢ミリア・フォークロスと皇帝イーサン・ラドゥ・アーノルドではなく、名もなきコソ泥だった彼女とかつては皇族ですらなかった少年の、真の初めての邂逅。
それは七年も前まで遡る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆◇◆◇◆
どうして生きながらえられたのかはわからない。親切な誰かが密かに世話を焼いてくれたのか、あるいは赤子の頃から異常に生命力が強かったのだろうか。
何にせよ、物心ついた時には貧民街の片隅にいた。
腹を空かせては他人から食料を掻っ攫い、どうにか食い繋ぐ毎日。
衣服は体に乱雑に巻きつけただけの薄汚れたボロ布で、履き物はギリギリその形を留めているだけの壊れかけの靴。
貧民街によくいる、親なし家なしの哀れな子供の一人、それが彼女だった。
他の子供と違うのは目に鮮やかな朱色の髪くらいなものである。
しかしただそれだけの理由で、どれほどの苦労を強いられてきたことか。
「他所に行け。赤毛のおまえを仲間に入れたら、誰に睨まれるかわかったもんじゃない」
「疫病神め、とっとのたれ死んでくれよ」
「気持ち悪い」「近寄るなっ!!」
疎まれ忌まれて当然の赤毛の娘は、誰とも群れることを許されない。
石を投げつけられるのはしょっちゅう。誰からも……物乞いの集団や盗人の集団からさえも爪弾きにされ、挙句、二倍も三倍も大きな体躯の男に襲われそうになっても助けてくれる者はいなかった。
逃げ足の速さがなければ好きなだけ弄ばれて終わっていただろう。命を落としても「いい気味だ」などと指を差して笑われていただろう。
だから彼女は誰とも群れず、コソ泥として生きるようになった。
食事だけではなく、あらゆるものを盗んでは売り払うのだ。
貧民街にはたまに闇商人と呼ばれる他所者が踏み込んできては、盗人集団と物と引き換えに金銭のやり取りをする。その闇商人を利用すれば金が手に入るし、闇商人は彼女を蔑みながらも利になるからと取引だけはしてくれた。
それまではおぼつかなかった言葉や知識も、闇商人との会話で覚えたと言っても過言ではない。
幸か不幸かで言えば不幸な生き方である。
でもそれが彼女にとっては当たり前の現実であり、不幸せに思ったことはなかった。むしろ生き延びられているだけ幸運だとさえ思っていた。
貧民街の生まれでも仲間と友情を育んだり、親のように優しく接してくれる人間を見つけて幸せになれる者も少数ながらいるにはいる。けれどそんなのは、コソ泥とは無縁の話でしかないのだから。
「気に入ったわ、このペンダント。頂戴するわね!」
全ての始まりは、とある盗みだった。
貧民街では見かけない、いかにも金持ちそうな身なりのいい少年がいたので狙ってみた。ただそれだけの話だ。
その時のコソ泥は十一歳。数歳は幼く見える小柄な体で、軽やかに少年の首元からペンダントを奪った。
「……あ、おいっ」
少年が何やら背後で叫んでいたが、振り返ることもせずに走る。
当たり前だが罪悪感は微塵もない。遠目から見ても紫紺の輝きが目立つペンダント、それをまるで「盗ってください」と言わんばかりにぶら下げていたのは少年なのだ。恨むなら不用心な自分を恨むといい。
――こんなに素敵なもの、誰が盗まずにいられるかっての。
しばらく走って、そろそろいいだろうと思い立ち止まってから、改めて手の中の戦利品を眺める。
黒銀色のチェーンと台座と宝石の紫紺色が互いを引き立て合っていた。その美しさはまるで芸術品のよう……と言っても、芸術品なんてろくに見たことがなかったけれど。
これはずいぶん高く売れそうだ。闇商人に簡単に手渡すのはもったいない。
使いようによっては人生が変わるかも知れない逸品を手に入れた喜びで、コソ泥は気づかなかった。
すぐ背後まで少年が迫り、こちらの背に剣を突きつけられていることに。
「それは俺のものだ。返してもらおうか」
振り返って、険しい顔をしている少年と見つめ合う。
風にそよぐ艶やかな黒髪。そしてペンダントと同じ色合いの紫紺の瞳が特徴的な、綺麗な顔立ちの少年だった。背丈はコソ泥より高いけれど、歳はさほど変わらないに違いない。
彼の手に握られている重たそうな剣はとても不釣り合いで似合っていなかった。
「わぁ、怖ーい。あんた、お貴族様のボンボンでしょ。いきなり剣を向けてくるなんて、そんなナリしてゴロツキどもと大して変わんないじゃないの」
目の前は貧民街と外を隔てる塀。逃げ道を塞がれてしまっている。
けれども貧民街で生きていれば、ならず者に襲われるのは日常茶飯事。ナイフを突きつけながら体を売れと脅しつけてくるのだ。当然それに負けるコソ泥ではなく、その都度撃退していたが。
「貧民らしい、まるで教養の感じられない娘だな。大人しくすれば危害は加えない」
ボンボンの言葉に、コソ泥は「はんっ!」と笑った。
「どうだか。たとえあんたの言葉が本当でも、こいつはもうわたしのものなの。返してやる義理はないってもんよ」
「お前のもののわけがないだろう。それを譲っていただいたのは俺だ」
「ふーん。興味ないわ」
コソ泥はそう言いながらペンダントを懐……巻きつけただけの衣服の中、ぺたんこな胸のあたりに隠した。
「そんなところに入れたって無駄だぞ」
「へぇ? ボンボンが女の子の胸を触っていいんだ?」
「……生意気な」
少年の鋭い視線が突き刺さるが、コソ泥はそれをものともしない。
なぜならゴロツキどもと違って、少年からは人殺しの匂いはしないから。剣は飾りで、人を刺したことなんてないのだろう。
それがわかったから隙をついて簡単に逃れられた。
「ボンボンだったらお金がたっぷりあるでしょ。それでまた新しいペンダントを買えばいいわよ。じゃ、ここら辺で失礼!」
コソ泥は少年のことが本当にどうでも良かった。
逃げ足の速いコソ泥に追いついて来たことは驚いたし、ほんの少しは感心しないでもない。でもそれだけだ。
だから、まさか彼と数日後に顔を合わせることになろうとは思ってもみなかった――。
面白い! 続きを読みたい! など思っていただけましたら、ブックマークや評価をしてくださると作者がとっても喜びます。
ご意見ご感想、お待ちしております!













