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第二十九話 初めての失敗

 間違えて夜中に更新してしまっていたので、一場面を書き足した上で更新し直しています。すみません。

 草木も眠る昏い夜更け。

 静寂に包まれた城を、ミリアは一人歩いていた。


 息遣いも足音も殺しているから、たとえ城の中で誰かがまだ起きているとしても気づかれないだろう。衣服……否、肩を丸出しにして胴のみを覆うようにして纏う布の色は夜闇に溶け込むような黒だし、陽の光の中であれば目立ってしまう朱い髪も今は鈍い光沢を放つだけで、忍び歩くには最適な格好だ。


 目指すは皇家の秘宝。

 自室としてあてがわれた部屋のある二階からは窓を使って飛び降り、中庭から再び城内に入って地下階段を下って地下へと足を踏み入れる。


 不安はなかった。だって今夜は、秘宝を盗るにあたって最大の障害となるであろう人物が――陛下がいないのだから。


 失敗するはずがない。

 そう、信じて疑っていなかった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 執務室に招かれたあの日、陛下に直接訊いたおかげで、皇家の秘宝の在処が知れた。

 ならばあとは忍び込むだけ……だったのだが、好条件が揃う時を狙うのが難しい。


 度々公務で出かけることはあれど、昼間ではミリアが一人で地下に降りていく姿を絶対に誰かに見られるのは必至なので、可能性があるのは夜だ。まだ婚姻をして皇妃になったわけではないおかげで皇家の影に見張られることもなく、夜ならひっそりやれるに違いないが、最大の問題があった。


 陛下不在の夜がないのだ。


 当然ながら、陛下が睨みをきかせている限りは盗難なんて真似は決してできない。彼の婚約者になったとだけあって部屋が近く、出入りしただけで気づかれてしまうだろう。

 彼には城から離れてもらう必要がある。


 よほどのこと……たとえば、戦争が起こったりしなければ陛下が丸一日城を空けるようなことは考えられない。

 故に、ミリアの手でその必要性を作ることにした。


「東の方で開戦の動きがあったと報告を受けた」


 陛下からそう伝えられた時、ミリアは不安そうな顔を作るのに苦労してしまった。


「まあ……それは……」

「案ずることはない。余は戦で一度も敗したことはないからな。だが、余が現地へ出向かなければならないのが面倒だ」


 本当に面倒臭そうな顔で、「しばらく城を空けるから任せた」と言われ、こくりと頷く。

 その面倒ごとをミリアが仕掛けたと悟られてはいけない、と気を引き締めながら。


 さすがにミリアに戦争を仕掛けるほどの力はない。開戦の動きはあくまでデマであり、騎士の甲冑を借りて変装したミリアが流した噂だった。

 その噂はまたたく間に広がってくれ、陛下の耳まで届いてくれたようで何よりだ。


 皇帝イーサン・ラドゥ・アーノルドは数々の戦場を血で染め上げてきた実績がある。

 新たな戦争となれば当然、彼が出張ることになるだろう。そう推測しての作戦だったが、うまくいき過ぎたと感じるほどうまくいった。


「すぐ戻る」

「いってらっしゃいませ」


 言いながら、ぎゅっと陛下に抱きつく。

 淑女としてはしたないと思われる行為ではあるが、そうした方が婚約者を送り出す令嬢らしいと思ったから。


 陛下は少し驚いた風に息を呑んで、それから抱きしめ返してくれた。


 胸の中に罪悪感がないわけではないけれど、そんなことよりも大事なことがあると思えば苦にならない。


 そうして、いつもの護身用のものではない切れ味の鋭い長剣を腰に差し、出立する陛下を見送って。

 ミリアはやっと彼の目から逃れることが叶い――そして冒頭に舞い戻るのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 期待に高鳴る胸を抑え切れそうにない。

 いよいよ正体不明の皇家の秘宝と対面できるのだ。コソ泥でしかないミリアが手を出すべきではないような宝の中の宝、それが手に入ると思うと、武者震いしてしまった。


 フォークロス伯の依頼とは関係なしに盗みを働くのは一体いつぶりだろうか。

 今日のミリアは装いからして伯爵令嬢ミリア・フォークロスではなく、数年前まで貧民街で名を馳せていたコソ泥とそっくりそのままだ。未来の皇妃が秘宝を盗んでは大問題だが、素性が不明のコソ泥ならば追われるだけで済む。

 追われたとしてそのコソ泥はミリアなわけだから、見つけられるわけがないけれど。


 ――きっと明日は城中大騒ぎでしょうねぇ。ああ、なんて楽しみなの。


 執務室に窓はないため、蝋燭の灯りを灯してしまえば明るさは昼間と同じ。

 薄ぼんやりと照らされた室内をミリアは改めて見回した。


 驚くほど殺風景な部屋だ。

 大きな執務机、皇帝が座るに相応しい……というよりあの巨漢の体がきちんと収まるであろう大きな椅子。隣に本棚がある以外は、あとはもう何もない。

 何もないからこそ、隠し場所は限られてくるわけで。


 迷わず執務机の引き出しに手を伸ばし、思い切り引いた。


 考えればすぐにわかることだ。

 陛下は皇家の秘宝をこの部屋に置いている理由を『余以外の手に渡さないためだ』と語った。それなら当然、非常時にも隠し通路を使って逃げる際に持ち運んで死守できるよう、すぐ傍にあるはず。

 本棚という可能性もあったが、それでは表の扉を開けた時に部屋の外から見えてうっかり在処がバレかねないので、引き出しの中が最適解なのである。


 鍵のない引き出しで良かった。もし施錠されていたら机ごとぶっ壊さなければいけないところだったので。

 長年使われていなかったのか、ぎしぎしという感触と共に開いた引き出し。その中にあったのは――――――。


 と、ミリアが引き出しを覗き込んだと同時。

 それまで物音一つしなかった空間を大きく揺らすような騒音が震わせた。


 音がするのは本題の裏、つまりは隠し通路の方から。ズズズと音を立てて本棚が動き出したから、決して気のせいなどではないと思う。

 誰かいる。すぐそこまで迫っている。

 それがわかっていながらミリアは一歩も動けない。動く気にすらなれない。


「もしかしてこれ、嵌められたってこと?」


 何の変哲もない、そのあたりに落ちていそうな凡々たる石ころ。

 引き出しの中にあったそれを見下ろしながらミリアはただ茫然と呟いた。


 つい先ほどまで胸を満たしていた熱は嘘のように消え失せて、冷静さが戻ってくる。

 考えてみれば最初からおかしかった。

 なぜすんなりと皇家の秘宝の情報を教えてもらえたのか。どうして大した裏取りもせずに開戦の動きがあったとの知らせを間に受けたのか。そして何より、陛下が、あの皇帝陛下が、たとえ婚約を結んだ相手だとしても無警戒に野放しにするだろうか?


 ミリアは今まで失敗を味わってこなかったと言える。

 命の危険に晒されたことは何度もある。危うかったことも度々だ。けれども、失敗だけは経験がなかった。


 無理難題に思えた陛下の初恋を奪うのも結局達成してしまったから、何でもできるような万能感を得ていたのかも知れない。

 だからとうとう足元をすくわれた。


 確かにこの目で城から発つ姿を見たはずの、他ならぬ彼に。


「――そこで何をしている」


 本棚を押しやって窮屈そうに隠し通路の向こうから現れた陛下の視線が突き刺さる。

 痛いほど鋭いそれは、城の廊下で出会ったばかりを思い起こされ、なんだか懐かしい。

 懐かしんでいる場合ではないのだが。


 失敗した。最悪の形で、失敗してしまった。


 絶体絶命の状況に口元が引き攣り、ひどく歪な笑みが浮かんだ。

 ここでどう振る舞うべきかと必死で思考を巡らせてはみたものの、どう振る舞っても無意味なような気がする。ミリアを掌の上で転がした陛下には全てがお見通しなのだろうから。


「あぁ、気づかれちゃった」


 口からぽろりと本心がこぼれ出た。




 外部から皇家の秘宝目当てで侵入した愚かで哀れな盗人。

 そう扱われて処断されるにせよ、ミリア・フォークロスとして見破られているにせよ、あまりにも詰み過ぎている。


 全力でとぼけて無関係のふりをしながら脱出を図る? ……無理だ。隠し通路は陛下の巨体によって塞がれてしまっている。もう少し並みの体格であれば、隙間をすり抜けられる可能性もあったのに。


「皇家の秘宝を盗みに来たのか。なんとも豪胆なことだな」


 そんな言葉と共に剣を向けられ、身動きを封じられた。

 前に血まみれ皇帝、背後は地下室の壁と表扉。外に逃げ出す前にきっと斬撃を浴びることになってしまう。


 真っ向から睨みつけてくる陛下は、氷を思わせる硬い声で問いかけてくる。


「貴女は……お前は隣国の間者か?」


 隣国の間者(スパイ)、か。

 なるほど、髪色がこれだからその思考に至るのは当然過ぎる話だった。

 ――けれど。


「まさか。そんな大層なもんじゃないわ」


 ミリアは生まれてからずっと独り者である。

 フォークロス伯に飼われたってミリアの在り方は変わらない。それに今は、いつもの『淑女の仮面』を脱ぎ捨てている。


「わたしはコソ泥。ただのコソ泥よ」


 こうなったらもう自棄だ。


「ねぇ陛下、どこからわかってたのか、教えてくれる?」

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