第二十七話 婚約者お披露目パーティー③
「あら、フォークロス伯爵。ごきげんよう」
「……何者かと思えば、ミリアの家の者か」
「皇帝イーサン・ラドゥ・アーノルド陛下ならびに皇妹ベラ・メレス・アーノルド殿下にご挨拶いたします。ジョン・フォークロスでございます」
臣下の礼を取る男を、ミリアはため息を呑み込みながら眺めた。
ミリアが働いた給金のおかげで少しは豊かになっただろうに、哀れになるほどのヒョロガリだ。服も立派なものを仕立てているがあまり似合わず、そこはかとない貧乏臭さが漂っている。
なんとも間の悪い。国内の貴族のほとんどが参加するパーティーなので絶対どこかにいるとは思っていたが、いくらなんでも間が悪過ぎるだろう。
――せっかく皇族兄妹の関係に首を突っ込めるかも知れない機会だったっていうのに。
苦々しく思うけれど、すぐに気持ちを切り替えて、ミリアは淑女の笑みを顔面に貼り付ける。
未来の皇妃の父となるフォークロス伯が皇帝に挨拶をするのは必要だし、久々に再会した父を無下にするのも不審に思われる。それにミリア自身、彼に報告したいことが山ほどあった。
「お養父様、お久しぶりですわねぇ。お元気でしたか?」
「私の方は相変わらずだが、驚いたぞ。まさか皇帝陛下に見初めていただけたとは……。鼻が高い限りだ」
「お養父様の自慢の娘ですもの」
「そうだな」
ミリアは当然フォークロス伯を依頼主としか思っていない――もちろん自慢の娘なんて真っ赤な嘘だし、フォークロス伯はミリアのことを道具として捉えている本心が丸出しだった。
フォークロス伯ははっきり言ってどうしようもないクズだ。クズでなければ貧民街で拾った孤児のミリアに半ば脅すような形で盗みの仕事を押し付けたりしないに違いないから、当たり前だけれど。
それでも陛下が見ているのでなるべく親子の会話らしく取り繕わなければならない。
本当の親子の会話を知らないミリアには到底再現などできるはずもないが、その事実からはなるべく目を背けておく。仕方がないものは仕方がないのである。
しばらく戯れて見せてから、フォークロス伯は陛下に向き直った。
「皇帝陛下、我が娘をお選びいただき感謝の言葉もありません。不束な娘ではありますが、ミリアをよろしく頼みます」
「当然だ。貴殿ごときにわざわざ頼まれるまでもない」
吐き捨てるかのような刺々しい言葉を受けて、「……そ、それは心強いですな」と若干たじたじになるフォークロス伯。
皇帝陛下の初恋を奪えと宣ったくせにこれしきのことで怯んでしまうらしい。その情けなさに嘲笑が浮かびそうになって、寸手で堪える。
「ごめんなさいね。兄はこんなのだけど悪気があるわけではないの」
ベラ殿下に優しく気遣われ、目に見えて安堵の表情を見せたのもまた格好が悪かった。
これ以上フォークロス伯に醜態を晒させるのはミリアにとってもあまり都合が良くない。万が一にもないとは思うが、父親がろくでもない男だからと陛下に幻滅されるのは避けたいからだ。
それに、周囲の目もある。
この場は一旦離脱するが吉であろう。
「陛下、お願いがございますの。父と話す時間をいただきたきたいのです」
判断するや否や、早速陛下に頼み込んだ。
なんだかんだ言いつつ、陛下はミリアのおねだりに弱いと知っているから。
「これは婚約お披露目パーティーのはずだが、忘れたか?」
「すぐに戻って参ります。……ほんのちょっとだけですわ。ベラ殿下も、お話しの途中で席を外すことをお許しください」
「ふん。好きにしろ」
「私のことは気にしないで、行ってらっしゃい」
陛下にもベラ殿下にも許可をもらえたので、ミリは陛下から身を離す。
陛下が少し名残惜しそうな顔をしたように見えたのはきっと気のせいだと思いながら、フォークロス伯の手を取った。
「行きましょう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
婚約お披露目パーティーの最後を飾るのはダンスだ。その前に軽い食事の時間があるのだが、フォークロス伯と話していたせいで逃してしまったらしい。
パーティーホールに曲が流れ始めた頃、急ぎ足で戻ってきたミリアを、陛下は待ち構えていた。
陛下の隣にはすでにベラ殿下の姿はない。壁の花になっているとは思えないので、どこかで踊っているのか、食事の残りを楽しんでいるのだろう。
「遅かったな。もう始まるぞ」
「お待たせしてしまって申し訳ございません」
「弾んだ呼吸を整えろ。それから踊る」
「構いませんわ。わたし、体力には自信がありますのよ?」
元貧民街のコソ泥を舐めないでほしい。
社交界のコソ泥となってからも、体力と身のこなしの巧みさは健在である。フォークロス伯に拾われたての時に叩き込まれたおかげで社交ダンスもバッチリだ。
「踊っていただけますか、わたしの愛する陛下」
「引き受けよう、余の最愛」
右は手のひらを重ね合わせ、左手は陛下の肩に乗せる。逆に陛下の右手は未来の腰に据えられた。
穏やかな曲の流れに乗るようにしながらパーティーホールの中央へ。
ただそれだけで周囲からの視線が一気に集まるのを感じ、思わず笑顔になった。
――華麗なダンスであんたたち全員虜にしてやるから、そこで見てなさい。
陛下がこちらに一歩踏み出した瞬間、スッと片足を引いて彼の巨体を受け入れる。
くるくるとターンしたかと思えば、陛下から逃れるように軽やかにステップ。そうしながら彼に挑戦的な視線を投げかけた。
「手加減は無用ですわ。どうぞ全力でお相手してくださいな」
「……数年は踊っていなかったが、そこそこ技術はあるつもりだ。それでもいいのだな?」
「どんとこい、ですわよ」
その言葉と同時にダンスの様相が変化。
緩やかで大きかった足捌きが繊細なものへ。右に左にと揺れ、翻弄してくる陛下をいなすのはなかなかに難しく、あっという間にリードを取られる。
陛下の血の色の瞳が輝いていた。
初めて出会った時からは想像もつかないくらい、楽しそうに。
『あの冷酷非道の血まみれ皇帝の初恋を手に入れたというのは、間違いないな』
『見ておわかりになりませんでしたの? 通常の盗品と違ってはっきりとした物はありませんけれど、あの方はわたしにベタ惚れでいらっしゃいますわ』
『なら、相談がある。皇帝陛下を傀儡にはできないか?』
『……それはたいへん面白い提案ですわねぇ。ですが、お断りしますわ。だって初恋を奪うだけでとてつもなく苦労したのですもの、これ以上はあの皇帝に敵う気がしませんの』
つい先ほどフォークロス伯と交わしたばかりの会話を思い出す。
フォークロス伯が密かに練り続けていたという皇帝傀儡計画を蹴ったあと、陛下の最愛に至るまでの道のりを長々と語ってしまったが、そのあたりは割愛するとして。
陛下に勝つなんて到底無理だろう。しかし、それがわかっていながら彼に負けじと突然のターンをかました。
――主導権を握るのは、わたしでありたい。
そうでなければ陛下の圧倒的な存在感に呑み込まれてしまうから。
実際、ミリアは忘れかけていた。
それは陛下の初恋を盗むことで得ようと考えていた動機であり、自分にとって唯一の利点であったことだ。
『ところでミリア、皇家の秘宝はどこに隠し持っている』
『あっ』
『なんだ、忘れていたのか。お前らしくもない。未来の皇妃であることが確定した今、とっくに実行しているだろうと思っていたのだがな』
皇家の秘宝、正体不明の宝物。
陛下攻略の忙しさですっかり忘却の彼方に追いやっていたらしい。
『たとえ入手しても、フォークロス伯には差し上げませんわよ』
『いつからそんな生意気になった?』
『元々ですわ』
『……まあいい。盗みを実行したら知らせろ』
気が向いたら知らせますわ、などと適当にあしらい、誤魔化したけれど。
――一体どうしたものかしら。
と、つい意識を他所へ飛ばしてしまった時。
その隙を狙うようにして陛下から攻撃……と言ってももちろんダンス上の……がなされた。
腰をギュッと引き寄せられて、一気に体を持ち上げられたのだ。
そのまま陛下の両腕の中に収まり、横抱きの格好に持っていかれる。
通常の社交ダンスではこんなのは絶対にあり得ない。なのにあまりに流れるような動きだったものだから、パーティー参加者の誰もが見入っていた。
「やられた」
気がつけば音楽は止んでいる。
一秒にも満たない考えごとが命取り。ミリアは、直前まで主導権を握っていたにもかかわらず、ダンス勝負に完敗してしまったのである。
婚約お披露目パーティーの終幕に相応しい、華々しい一戦だった。
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