第二十五話 婚約者お披露目パーティー①
皇族の……それも皇帝陛下の婚約者が決まったとなれば、しっかりと公に知らしめなければならない。
婚約者お披露目パーティーの日程はまもなく決定し、貴族はもちろん国民への周知が行われると共に、慌ただしく準備がなされた。
侍女を卒業し、皇帝の婚約者となるため新たな部屋をあてがわれたミリアだったが、ちっとものんびりすることは叶わない。未来の皇妃、すなわち国母としてあらなければならない身としてやるべきことは多いのだ。
ドレスの採寸、アクセサリー選び、それから短期集中の厳しい妃教育。それでも平気な顔を保っていられたのは、皇帝陛下の最愛になれたという実感を存分に味わえたおかげだった。
冷酷非道の血まみれ皇帝であるはずのイーサン・ラドゥ・アーノルドは、ミリアに対して驚くほど甘くなった。
たとえば昼時、それまでは毎日自室に引っ込んでいたというのに、ミリアの元を訪れて「中庭で食事を共にするぞ」と誘ってきたり。
その食事の席で小さな体躯のミリアをちょこんと膝の上に乗せ、頭を撫でるなどしながら、こちらの口にスプーンを突っ込む『あーん』というやつまで行った。
ほぼ常に揃いの模造品の指輪をつけてくれていることからも考えて、間違いなくミリアは彼から溺愛されているのだろう。これが溺愛ではなかったら何なのだろうかと思うくらいの溺愛っぷりである。
「嬉しいですわ、皇帝陛下。これほど大切にしていただけるなんて」
「……これは見せつけだ。その程度は貴女でもわかるだろう」
「もちろん存じていますとも。ですがそれでも嬉しく思ってしまうのが乙女心というものでございます」
「貴女は変わっているな」
「故にこそ、貴女を選んだのだが」と皇帝陛下は小さく笑う。
数々の溺愛行動、その全てが使用人等の見ている前でのみなされている。
だが、決して嫌な気はしなかった。可愛がられれば可愛がられるほど皇帝のお気に入りであると皆に認識され、ミリアの城の中での地位は確固たるものになっていくのだ。
そうして過ごすこと約一ヶ月。
パーティー用のドレスが届いて、婚約者お披露目パーティーの日がやって来た。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「本当にいいの? 私は侍女を一人や二人貸しても全く困らないのよ?」
「ベラ殿下のお気遣いはたいへんありがたいのですが、わたしは本当に大丈夫ですので、お気になさらないでくださいませ」
「……そう。なら先にパーティーホールに入っておくから、楽しみに待ってるわね」
ベラ殿下に心配されたがそれを振り切って、ミリアは一人で身なりを整えた。
かつらを被って姿を偽っていることがバレては大変だし、何より着替えくらい自分でやって当然だ。正直なところ、使用人に着付けや入浴を全て任せる他の淑女たちの気が知れないとさえ思っていた。
確かに着るのがかなり難しい衣服が多く、手こずりはするけれど、できないこともないのである。
淡いブロンドの髪は解いて背中に流し、ドレスは純白のベルチュガダンに晴れ渡る空のごとき鮮やかな青のサテン生地のガウンを纏う。
ところどころにあしらわれたフリルやリボンが可愛らしく、我ながらまるで人形のような仕上がりだ。
――そうそう、これも忘れちゃいけないわ。
ずっと懐にしまっていた紫紺のペンダントを取り出し、細い首にかける。
胸に輝くそれを見て、つい自分でうっとりとしてしまった。
「完璧ね」
城に入ってから初めての公の場。
社交界の者らの視線を全員釘付けにし、パーティーの主役として立つ用意はできた。
まもなく部屋を出たミリアは、やたらと踵の高いヒールの靴音を鳴らしながら、パーティー会場へ向かうべく歩き出す。
皇帝陛下と合流するのは入場してからだ。
――皇帝陛下はどんな顔を見せてくれるかしら?
皇帝陛下の前では今まで侍女に許される範囲の装い、そして侍女を卒業してからもなるべく控えめな装いでいたので、全力で着飾ったミリアを見て惚れ直してくれるなんてこともあるかも知れない。
そうなれば一番いい。きっとそうなるに違いないと考えて、ミリアは思わず笑みをこぼした。
現実には、思ってもみなかった反応をされることになるのだけれど。
しばらくして広間への裏扉――皇族やその関係者が使う入り口である――の前に着いた時、中から聞こえてきたのは「ご婚約者様はまだか……?」という不安そうな声だった。
皆がミリアの登場を待ちに待っている。ミリアは堂々と胸を張り、勢いよく扉を開け放った。
真っ先に視界に飛び込んできたのは、こちらをまっすぐに見据える皇帝陛下。
美しい黄金の刺繍があしらわれた衣服に身を包んだ彼は、冷たい面貌をしているというのになんだか輝いて見える。いや、もはや光り輝いている。
皇帝陛下へにっこりと微笑みかけて、それからぐるりとあたりを見回した。
眩いシャンデリア、それに照らされる多くのお貴族様の影。けれどそのいずれも皇帝陛下と比べれば簡単に霞んでしまいそうだ。
「あの、社交界のコソ泥が……?」
「そんなまさか」
「だがあそこは裏扉だぞ」
ひそひそと囁き始める連中だが、所詮は陰口しか能のない雑魚ばかり。彼らの目がとっくにミリアに釘付けになっていることは丸わかりだった。
「フォークロス伯爵家の娘のミリアと申しますわ」
ふわり、と微笑みを見せるだけで誰も彼もを黙らせた。
呆気ないわねぇ、と思いながら歩みを進め、皇帝陛下の隣に立つ。
「この度、皇帝陛下の最愛として見初めていただきましたのよ」
これみよがしに腕を絡ませても当然振り払われたりはしない。
驚愕に息を呑む貴族たち、膝から崩れ落ちる令嬢数名。今までどのような名家の娘が迫っても縋ってもまるで効果がなかった皇帝陛下がミリアとの接触に拒否を示さないという事実が受け入れがたかったのだろう。
だから彼らは気づかなかった。
皇帝陛下の視線が、ミリアの胸にのみ注がれていることに。
ここでこそ溺愛行動をして知らしめなければならないはずが、一向にそれらしい仕草もない。
ミリアの美貌に目を奪われるのは結構。しかし胸をまじまじと見られるとは予想外もいいところである。
確かにたわわな胸だけれども、予想していた反応と違い過ぎた。
「どうかなさいましたか?」
「…………いや、何も。珍しいペンダントをつけていたものだから、気になったに過ぎない」
「ああ、これをご覧になっていましたの。大したことのない品ですわ」
「そんなことはない。とてもいい装飾品だ」
「ありがとうございます」
ミリアには思い入れのある宝物だ。だが特別に珍しいものでもないように思うので、咄嗟に誤魔化されたような気がした。
皇帝陛下にも意外と男性らしい面があったと驚くべきか、それとも嗜めるべきか……。悩んで、これ以上は触れないことにする。褒められたには褒められたのだし、パーティー参加者たちに今のやりとりは悟られていないので問題なしである。
それでも皇帝陛下自身、多少気まずさは感じたのだろう。
「そんなことより」と話題を変えた。
「本題――このパーティーが催された大きな目的の一つを早々に果たすとしよう」
そう言いながら皇帝陛下はポケットから一枚の紙を取り出し、ミリアへ手渡される。
その紙、婚約誓約書には二人分の記名欄があった。
片方はすでに皇帝陛下の名が記入されていた。あとはミリアが空欄を埋めれば完成だ。
公衆の面前での婚約誓約書の記名。それを成して、ようやく婚約者お披露目パーティーの開幕となるのだった。
記名はゆっくりと、パーティー参加者たちにしっかりと見えるように。
広がるざわめきを聴きながら、あまり上手とはいえない字だが、なんとか書き終えた。
それと同時に皇帝陛下がミリアをそっと抱き寄せ、まるでミリアを守るかのごとく巨体で包み込んだ。
――キスくらいするかと思ったけど、さすがにそこまではしないか。
皇帝陛下の鼓動とぬくもりが、そして何でもないような顔をして皇帝陛下が緊張していることも、手に取るように感じられた。
雰囲気にあてられたのだろうか。わずかに胸を高鳴らせつつ、ミリアは間近で皇帝陛下を見上げ……周囲には聞こえないよう、静かに尋ねかける。
「これよりわたしたちは正式に婚約者同士となりますのねぇ。……あ、もしよろしければ、ですけれど。イーサン様とお呼びしても?」
「余のことは、名で呼ぶな。今までの呼び方でいい」
「……そうですの? なら陛下と。わたしは陛下のお好きなように呼んでくださると嬉しいですわ」
「わかった」
周囲からはおそらく、愛を囁き合っている風に見えたはず。実際は甘い会話とはかけ離れていても、見えさえ売ればそれでいい。
ここに、イーサン・ラドゥ・アーノルドとミリア・フォークロスの婚約が結ばれた事実は変わりないのだから。
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