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第十九話 皇帝陛下との初デート?②

 城を出てしばらく。

 からからと音を立てながら走る馬車に揺られ、城を取り巻くように位置する、帝都の中で最も栄える街の入り口へと着いた。


 ミリアとしては、街歩きさえすればそれはもう立派なデートだという認識だ。皇帝陛下を楽しませなければならないのが難題ではあるが、そのあたりはなんとかなるはずだ。

 過剰なくらいについてきた護衛の全員を馬車に残し、これよりミリアと皇帝陛下は表向き(・・・)二人きりとなる。


 皇家の影が皇族を守ることはない。警備的にはずいぶんと手薄になってしまうけれど、暗殺者に襲われても皇帝陛下なら跳ね除けてくれるだろうという安心感があった。


「エスコートをお願いしますわ」

「自分で降りられるだろう」

「こう見えてもわたし、淑女でございます故」

「…………わかった」


 おねだりをして、皇帝陛下と手を繋いで降車した。


「参りましょうか」


 このデートはお忍びである。

 皇帝陛下を楽しませるためというのもあるとはいえ、皇家の影に見せつけることが主な目的であるため、市民の目につくというような面倒ごとは避けたい。


 急遽決まったデートであるからしてお忍びらしい衣装はあまり用意できなかった。

 一番質素かつ可愛らしいドレスを選び、淡いブロンドの髪はなるべく目立たせないため町娘のように左右の三つ編みに結っている。ペンダントは着けようか迷ったが今回は止めにした。

 それでもミリアの美しさは隠し切れないし、籠絡相手である皇帝陛下の手前、極端に隠しておくつもりもなかった。


「あの……一つお訊きしたいことがありますの。この装い、似合っていますかしら?」


 背丈が頭二つ半以上も違ってしまう皇帝陛下をぐいっと見上げ、無邪気を装って問いかけてみた。

 やたらとヒールの高い靴を履いていないせいで今日はいつもに増して目線が低い。あまりに低身長で、子供っぽく見られてはいけないからと常日頃から誤魔化しているのだ。


「それを訊いてどうする」

「だって皇帝陛下との初めてのお出かけですもの! 気になるのは当然。それが乙女心というものでございます」

「可もなく不可もなく……だ。強いていえば小さい」

「あらまあ、そっけなくいらっしゃいますわねぇ」


 『小さい』は余計よ、と言いたくなるのを呑み込む。


「わたしは皇帝陛下のお召し物、とても素敵だと思いますわ」


 皇帝陛下が纏うのは、銀の髪も赤い瞳も全て覆い隠す黒い外套。一眼見ただけでは誰にも皇族だと悟られないだろう。そうでもしないと街には溶け込めないのだ。

 腰から剣を差しているのも相まって、不審者にも見えなくないという事実にはあえて目を瞑ることにした。似合っているには似合っているので。


「ふん。余のことはいいから、さっさと行くぞ」


 己への評価には興味がないのかも知れない。ミリアの賛辞を完全に聞き流した皇帝陛下が歩き出した。

 繋いだままの手を引かれて、ミリアも慌てて足を進める。


 人混みを掻き分けながら行くのは、賑やかしい街中の大通り。

 コソ泥時代の名残ですれ違いざまに通行人の懐に手が伸びそうになったが、さすがに自制した。他の通行人や道の両側に立ち並んでいる商店の店主に見られかねないし、何より皇帝陛下に見咎められるのは必至だ。


 皇帝陛下の美しい(かんばせ)でも見て気を紛らわせなくては、と考えていると、皇帝陛下にじろりと横目で圧をかけられた。


「ところで目的は? まさかこのままひたすらに歩くだけではないだろうな」

「先ほども申し上げた通りこういったお出かけは初めてなもので、不勉強なのですけれど。せっかくのお忍び、高貴なる身では成し得ないことを楽しむべきではないかと考えておりますの。例えば……」


 心ゆくまでの食べ歩き。庶民に混じって買い物をして、庶民向けの劇を観るなんてのもいいかも知れない。

 まるで可愛らしい女の子のような考え――ミリアではなく別の令嬢でも簡単に思いついたはずのそれらはしかし、一番の得策のように思えた。


 ミリアは貧民街の孤児である。

 衣服はボロ布を一枚巻いただけで、常に薄汚れていたから、活気のある街には近づけなかった。

 コソ泥として生きることに誇りを持っていても、街から流れてくる噂話に思わず憧れてしまうこともあって。

 それと反対に身分が高過ぎる皇帝陛下も街とは無縁の人生を生きてきたことは想像に難くないいので、ミリアと同じなのではないかと考えたのだ。

 皇帝陛下は度々城を出ることがあるが、あれは全て公務のために過ぎないだろうし。


「余に平民と最も近しい立場に立ってみろと、貴女はそう言うのか」

「ええ。ご興味はございませんこと?」


 面白いもの好きの彼なら乗ってくるに違いない。

 そのミリアの確信は、どうやら正しかったようで。


「いいだろう」


 皇帝陛下の口角が吊り上げられたのをミリアは見逃さなかった。

 視線の鋭さは少しばかり普段より柔らかくなったように感じたのも、おそらくは気のせいではないと思う。


 ――意外と扱いやすそうね?


 異性と触れ合う機会がなかったからだろうか、意外に初心らしい。

 普段の背筋がゾッとするような恐ろしさからは予想もつかない反応だ。可愛いと、そう思いそうになるくらい。


 万が一にも絆されるようなことがあっては、依頼の遂行に支障をきたす可能性がある。皇帝陛下の初恋を奪っても、こちらを奪われてはいけない。

 けれどずっと手を繋いで、皇帝陛下の体温を感じたままで……果たしてどこまで平静でいられるだろうか。

 ミリアもミリアで街歩きに期待を寄せてしまっているせいか、少し浮かれた心地になっている自分に気づいて舌打ちをしたくなった。


 皇帝陛下とのデートはまだ始まったばかりである。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「美味しそうな香りですわね。何でしょう、あれは」

「串焼きというやつだ。庶民が好むものだと聞いたことがある」

「ならいただきましょう!」


 大通りに点在する食べ物屋に寄っては、ありとあらゆるものを買って食した。

 貧民街で常に誰かから奪って得ていた骨ばかりの骨付き肉やら腐った果実、そしてすっかり食べ慣れた貴族階級の料理ともまた別の味わいのある品々。

 皇帝陛下は「悪くないな」とどこか楽しげで、ミリアも安心した。


 ミリアと皇帝陛下の姿は、仲睦まじい恋人同士のように映るだろう。

 もちろん、監視の目を光らせている皇家の影にも。


 皇帝陛下はどこまで彼らのことを考えているのだろうか、という点は少々疑問だ。

 見られても別に問題ないと思っているだけならいいが、問題になったら影を丸ごと消せばいいなどと物騒な考えを持っている可能性もなきにしもあらずなのだから恐ろしかった。

 元々ペリン公爵令嬢との縁談に乗り気ではなく、ミリアを破談のための口実として使っているとすれば、皇帝陛下の態度の説明がつかないのでそれは違うはずだ。違うと思いたい。


 串焼き以外にも駄菓子の類を楽しんだあと、大通りを抜けて、さらに歩く。

 するとひときわ大きな建造物が見えてきた。


「あちら、何かの施設かしら」

「デパートだ。国営施設で、あの中に一つの商店街が収まっているようなものだな」

「国営ということは、皇帝陛下が管理なさっていらっしゃいますの?」

「庶民も贅沢を楽しめるようにとイーサン・ラドゥ・アーノルド、つまり余が発案し、設計された」


 皇帝陛下が発案者とは驚きだ。全くそういうことに興味がなさそうなのに。


「皇帝陛下は民を想っていらっしゃいますのね。さすが帝国の太陽たる御方」

「…………そうだな」


 デパートに足を踏み入れる。

 視界に飛び込んできたのは、走り回る子供たち、五人ほどで固まってきゃいきゃいと楽しそうにはしゃぐ娘たちの姿。

 それから店舗のショーウィンドウに飾られたアクセサリーと、煌びやかではないものの上等な衣服だった。


「先ほどの食事といいデパートといい、庶民のものも侮れませんのねぇ」

「少し値は張るがな」


 確かに貧民ではどれも手に入らない。

 それでもずいぶんと良心的な価格だった。


 ……それはともかく。


「また一つわがままを申してもよろしいでしょうか?」

「何だ」

「わたし、皇帝陛下と揃いのものを着けたいですわ。たかが侍女の身でこのようなことをお願いするのは不相応だとしても」


 もっともっと、距離の近さを見せつけたい。


 思わず繋いだ手に力を込めてしまったようで、鬱陶しそうに振り払われる。

 さすがに言い過ぎたか。皇帝陛下の不興を買っただろうかと一瞬心臓が縮こまったけれど。


「わがままとやらが多過ぎる。もっと自重しろ」


 そう言いながらアクセサリー店へと赴く皇帝陛下の声は、驚くほど優しい響きをしていた。

 もしもミリアではなかったら、それだけで恋に落ちてしまっていただろうと思えるくらいには。


 ――わたしの行動を監視してた時点でかなり積極的だったけど、いくらなんでも変わり過ぎでしょ。なんなのよ、一体。


 心の中で呟きながら、「申し訳ございません」と微笑んだ。

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