第十五話 ハリエット・ペリン公爵令嬢の来訪③
皇妹のベラ様に続いて、エントランスホールから退出する人物の後ろ姿を見送ったハリエットは小さくため息を吐いた。
疲れたから……ではない。あの程度の腹の探り合い、公爵家に生まれた彼女にとってはごく当たり前。ただ、呆れてしまっただけだ。
――あれほど礼儀のない侍女がいるなんて。
ベラ様とハリエットの会話の最中に割り込んできたのがまずあり得ない。百歩譲ってそれを見逃すとして、発言の一つ一つがハリエットをわざと不快にさせたいようなものばかりで心底辟易した。
しかもあの侍女は勘違いをしていると見える。わざわざ訂正してはやらなかったが、愚かだと思った。
この帝国の中心、最も尊いとされる方の住居で働くにしてはどう考えても不相応である。
フォークロス伯爵家の令嬢。おそらくはフォークロス伯爵家の貧しさ故と行儀見習いの意味も兼ねて侍女をやっているのだろうけれど、どうして城側はあのような者を許したのだろう? あまりにも節穴過ぎて笑えてくる。
さらには皇帝イーサン・ラドゥ・アーノルド様にも気に入られているようだ。本人がしきりに主張していたばかりではなくベラ様も否定していなかったので事実で間違いない。
確かに容姿は美しいと言える。異性に好まれそうというか、実際に社交界では彼女に心酔している者もいた。だがそれ以外の取り柄といえば、少しばかり口が達者なところくらい。所詮は貴族社会を生き抜くための手助けになる程度のものだ。
イーサン様は彼女のどこに見どころを見出したのか。それとも本当にただの優しさか。
後者に違いない――仮に十年前から彼が変わっていないとしたら、そう断言できた。
無知で無謀なあの女を哀れに思ったイーサン様の慈悲。
そうとしか考えられないのに、違和感を覚えるのはなぜだろうと首を捻る。
彼と初めて出会ったのは十年前。
まだ幼い貴族子女たちが言葉を交わし、婚約者を見出すために開かれた茶会。誰とでも分け隔てなく接し、笑みを絶やさなかった少年の姿は、まるで太陽のように眩かった。
美しい銀髪。ぱっちりとした赤い瞳。その場の全員の目を引くくらいの麗しさも眩さに磨きをかけていたのだと思う。
おかげで周囲は目がくらんで誰も近づけなかった。幼少期から彼に婚約者がいないのはそれが理由だ。とはいえ決して彼から誰かを遠ざけるというようなことはなかったのだが。
なのに皇帝に即位してからというもの戦場を駆け回り冷酷非道の血まみれ皇帝などと呼ばれ、ここ数年は必要最低限しか社交場に現れることがなくなったイーサン様。
何があったのかは知らない。特別なことなど何もなかったのかも知れない。
しかし――。
「ご機嫌麗しゅう。ペリン公爵家のハリエットでございます。ご無沙汰しております、イーサン様」
「…………ああ。久しぶりだな」
「わたくしのことを覚えていてくださったのですね。光栄に存じます」
「残念だが、貴女は顔くらいしか記憶していない」
「左様でございますか」
十年越しに向かい合ったイーサン様は銀髪と赤い瞳はそのままに、全くの別人のようになってしまっていた。
顔立ちすら違って見えるのは、きっと氷のように冷たい眼差しのせい。かつて確かにあったはずの朗らかさなどどこにも見当たらない。
眩い太陽ではなく、真に身を焼き焦がし命を奪う、苛烈な太陽になってしまわれたのだろうか。
フォークロス伯爵令嬢の前でこそ『焼き尽くされそう』と言ったものの、それはあくまで輝かんばかりの存在と並び立つことを考えての発言だったというのに。
――しかも、顔くらいしか記憶していない、だなんてイーサン様らしくもない。
ハリエットがイーサン様の内面を理解できるなんて傲慢なことは思わないけれど、どうしても違和感というのは抱いてしまうのである。
長く顔を合わせていなかった事実を鑑みればなんらおかしくないことだが、イーサン様という方は決してそのような発言をしなかったはずだと。
だから、わからなくなる。
ミリア・フォークロスというあの女の正体。
そしてイーサン様が……皇帝の座についている彼が、あの女を傍に置いている理由が。
――確かめなければ。
ハリエットは強くそう思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「イーサン様とのお話しはまとまったのですが、少々手続きが必要になってしまって。七日間ほどお城に滞在させていただくことになりました」
「あら、いいの?」
「イーサン様にお許しいただけましたので問題はございません」
城の中庭で開かれたお茶会にて。
ペリン公爵令嬢の思わぬ発言を耳にして、思わず息を呑んでしまった。
――七日くらいの滞在ですって!?
柔らかな日差しが差す中、お上品なパラソルの下で茶を啜るベラ殿下とペリン公爵令嬢。そしてミリアは少し離れた木陰に立って静かに見守っている。
その最中、優雅にカップを傾けながら、ペリン公爵令嬢がとんでもないことを言い出したのである。
寝耳に水もいいところ。
煽りも牽制もきちんと行ってあとは今日を乗り切ればなんとかなるはずであった。なのに、なんという決定をしてくれたのだ。
驚き過ぎて、微笑みを崩さずにいるのがやっとだった。
「あの兄は部屋の用意をきちんとしたの?」
「はい。しっかりと気を遣っていただいて、ありがたい限りでございます。厳格かつ苛烈な太陽でありながら、下々の者のことも考えてくださる、まさに皇帝のあるべき姿を体現なさったような方でございますね」
「そうかしら? そこまですごい人じゃないと私は思うのだけどね」
ふふ、と曖昧に笑うベラ殿下。
彼女がペリン公爵令嬢と皇帝陛下のやり取りについて訊き始めたのに、ミリアの耳にはろくに入ってこなかった。
――作戦変更しなきゃならないじゃないの。
手続きが必要なのだとペリン公爵令嬢は言った。
顔合わせか何かだろうと思い込んでいたのだが、もしすでに婚約が本決まりしてしまっていたとしたら、牽制なんて悠長なことは言っていられない。
婚約の手続きが済んでしまう前に、皇帝陛下の初恋を奪わなければならなくなったわけだ。
一秒でも早くお茶会から退席し、駆け出したいのを我慢する。
今まで通りしっかりと作戦を練ってからがいい。万が一にも迂闊な行動で失敗するわけにはいかないのだから。
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