40 出立
「さあ、フルーレティ嬢、こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
エリアス様がわざわざ席を立って私の為に椅子を引いてくださりました。
メイドとしては高貴な男性にそうされるのは心苦しく感じますが、私もそこまで野暮ではございません。
「それとこちらも」
どこに持っていたのか、赤と白のバラを一輪ずつ戴きました。
「何をお飲みになりますか?」
「それでは紅茶をお願いいたします」
この喫茶店は、なんと言うことでしょう、セルフサービスなのです。
何故そうなのかと申しますと、ヨボヨボお爺ちゃんしか店員がいないので、注文を取りに来るのを待っていると日が暮れてしまうからなのです。
よくもまあ、それで商売が成り立っているものだと思いますが、良く考えれば、地球の商店街でも客を見たこともないのに長年開いているお店もございますね。
それはどうでもいいのですが、このバラはいかがいたしましょうか。二輪ではジャムにするには足りません。
仕方なくそのままモシャモシャ完食し終えた頃、紅茶を持ってエリアス様がお戻りになりました。
「それで……確か、女神様のことを聞きたいと仰っていましたね」
私が【教会】の外でエリアス様と待ち合わせていたのは、神託を聴いたこともあるエリアス様から、直に【女神】のあんちくしょうのことを聞きたいと思ったからでございます。さすがに教会内で聞き取り調査のようなことをすると、女神に目を付けられかねませんからね。
古き神から聞いただけでも【大精霊】さえも超える力があるとか……。女神がその全ての力を使いこなせないとしても、私が正面から勝てる保証もございません。
「フルーレティ嬢が女神様の教えに興味を持ってくださるとは嬉しいですね。私の知っていることをお教えしますよ」
「お願いいたします」
エリアス様がそう思ってくださるのなら、私から特に訂正はいたしません。
男性のご厚意は断らないのが淑女の勤めでございますよ。
「女神様を祀る【教会】の始まりは、約千年前……この国の建国期から始まります」
そんな出だしで始まった【教会】と【女神】の起こりは、これまで聞いてきたこととさほど変わりありませんでした。
古き神が消えてしまったせいで大地が荒廃し、それを愁いた女神が天上より舞い降りて、建国王となる青年とその王妃となる“異世界の聖女”に神託を与え、民に大いなる慈愛を与えたことで、それを感謝した民と王により【教会】が創立された。
……何と申しますか、えらい美化されておりますね。
古き神である龍神の隙を突いて“力”を奪い、この大陸に混乱を起こした張本人である女神が、これを自分で広めたのかと思いますと、思わず指をさして『プギャー』とか嗤っても許されると思います。
それに私も天井から降りてくるのですから、あまり変わりありませんね。
ふむ……。それでは私が女神でも問題ないと言うことですか? まぁ、私は自他共に認める常識人でございますから、あのような厚顔無恥な行いは恥ずかしくて到底無理でございますが。
「それで女神……サマの声をエリアス様はお聴きになったのですよね? どのような方でしたか?」
「女神様は夢にも現れてくださいました。初めてお姿を見たのは――」
エリアス様の夢に女神が現れたのは、孤児院に入ってすぐの頃からだそうです。
碧い瞳に豪奢な金の髪。年の頃は十代半ばから後半のそれはそれは美しい少女のような姿をして、それから出会う度に髪型や衣装が豪華になり、美しさを増していったそうです。
……それって会うたびにケバくなったって事ですよね? おそらくは成長するごとに美少年となっていくエリアス様がお気に入りだったのでしょう。
「……フルーレティ嬢?」
「……失礼いたしました」
エリアス様の頬に触れていた手を戻して私は深く頭を下げる。
もしかすると……エリアス様が孤児となられたのも、彼を手元に置きたい女神が、そうなるように仕向けた可能性も有り、それを考えていましたら思わずエリアス様の頬に手で触れていました。
……不思議ですね。私がシャロンお嬢様以外の人間を気に掛けるなんて。きっと同情でもしてしまったのでしょう。
「いいえ。ありがとうございます」
「…………」
「それはそうと、シャロン様とフルーレティ嬢は、エナ様と共に魔の森を癒しに向かわれるとか。危険そうですが……大丈夫ですか?」
エリアス様が不意に話題を変えた。
まぁ、女神に関しては大体のことは聞けましたから、とりあえずは問題ございませんね。どうしようも無さが分かっただけですけど。
「ご安心ください。お嬢様の安全は私がお護りいたします」
「私が言ったのは、あなたの安全ですよ」
そう言えば、そんなものもありましたね。この世にメイド長以上の脅威があると思えなかったので、それは考えが及びませんでした。
「先に殲滅をしておいたほうがよろしいでしょうか……」
「……本当に気をつけてくださいね」
それはともかく。
「緑の聖女であるエナ嬢が癒しを行うのに、教会が何もしないのはどうしてなのでしょうか……?」
「それは、……確かにおかしいですね。このような事態なら教会こそ率先して動いてもいいはずなのですが」
「……そうでございますか」
もしかしたらこれも女神の用意した【イベント】とやらの一つなのでしょうか。
本当に碌な奴ではありませんね。
***
さて、魔の森へ出立する当日となりました。
「シャロンお嬢様、おはようございます。朝でございますよ」
「……ん~…」
素晴らしい二の腕をプニプニさせてお嬢様の起床を促すと、お嬢様はわずかに目を開いてから、また枕に顔を埋めた。
まだ朝の4時前ですから仕方ありませんね。ですが、学園の校庭から6時に出立ですので、さほど時間に余裕がある訳ではありません。
敬愛するお嬢様の二の腕なら一晩中でもプニプニ出来ますが、……実際に一晩中プニプニさせていただいたので、愉しい時間はあっと言う間に過ぎ去って朝となってしまった訳ですが、お嬢様の為にも心を鬼にして起こさねばなりません。
……いえ、お嬢様の専属メイドとして、確実に間に合うようにしながら、ギリギリまで睡眠を取っていただくのが正しい道でございます。
「……は?」
「シャロンお嬢様、おはようございます」
「……え? おはよう、レティ?」
キョトンとなされたお嬢様は大変可愛らしゅうございます。
ですがまぁ、お嬢様が困惑なさるのも仕方のないことでございますね。目を覚ましたらご自分が完璧に身支度を終えて、ハチミツをたっぷり掛けたカリカリベーコン添えパンケーキを食させている途中だったのですから。
私は本気で頑張りました。お嬢様が目を覚まさないようにお風呂に入っていただき、タプタプさせながら全身を磨き上げ、髪とお肌を整え、お出掛けする衣装にお着替えいただき、朝食を『あ~ん』としていたのです。
「え? ええっ!?」
「朝食はカロリーの高い物をカトラリーでお出しすると、お口を開けていただけるので助かりました」
「ですから、カロリーが好きな訳ではありませんわっ!」
かなり本気で叱られました。朝はちゃんと起こしたほうが良いそうです。……もしかしてお風呂場でタプタプしたのがいけなかったのでしょうか。
「行きますわよ、レティ」
「はい、お伴させていただきます」
校庭にはエナ様と王宮から付けられた侍女と近衛騎士が数人、すでに準備を終えておりました。
学院からはエリク・マルソー先生と有志の学生達、……おや、セイ君とハオ君まで居られますね。
「おはようございます。お二方も参加なされるのですね」
「……お、おはよう」
「おはよう、神白さん。エナさんから参加するように頼まれてね。……凄い荷物だね」
エナ様のほうに挨拶に向かわれたお嬢様を目で追っているハオ君が気のない挨拶を返して、朗らかに挨拶をしてくれたセイ君は私の荷物を見て若干引いていました。
100キロの荷物が入る【拡張袋】とは別に、私は超巨大なリュックを背負っております。これも100キロ程度なので大したことはございません。
これも全てはお嬢様に快適にお過ごしいただく為の……大量の甘味カロリーでございます。
「レティッ!?」
何故かお嬢様に思考を見破られて、また叱られました。
次回、魔の森へ。




