第32話:特級ダンジョン犯罪者ゼロ
桐生凛視点の回です
休日の大学。研究室で一人、巨大な斧を前に、黙々と作業を進めている大きな背中。——あたし、桐生凛だ。
研究室棟は、平日と比べて驚くほど静かだった。廊下の足音が遠く、換気扇の低い唸りと、蛍光灯の小さなジジッという音だけが残る。窓から差し込む光はあたたかくて、白衣の袖口がほんのり温まる。
こういう空気、嫌いじゃない。
……いや、好きだ。
もちろん、少し寂しさもある。
寂しい原因は、たった一つ。いつも隣から聞こえてくるはずの声が、今日はない。
「ジンバルン。例のデータ解析、終わったか?」
スマホに話しかけると、すぐに人工音声が返ってきた。
『はい、完了済みです。ところで、今は何を作られているのでしょうか?』
「新型武器の開発。それと——祈里のための装備設計だ」
机の上には、金属片と図面、工具、そして完成しかけの部品が散らばっている。視線を上げれば、壁際にずらりと並ぶ“これまで”が見えた。刀にナイフ、銃に鞭。……そして、あたしの相棒である巨大な斧。
どれも、基本的に“あたしが振る”前提で作ってきたものだ。
重い。硬い。速い。——それで、強い。
「祈里が無茶をするのは、無茶をしなくちゃいけない状況が多すぎるからだ」
言いながら、手袋越しに刃の縁を撫でる。冷たい金属が、指先にじわりと伝わる。
「それは無論、あたしが弱いのが一番の原因。でも……戦いで祈里が取れる選択肢が少ないのも、でかい。だから、あいつが無茶しなくて済むように、選択肢が増えるように、色々考えてはいるんだが……」
思いつかない。
“祈里でも扱えて”、なおかつ“祈里を無茶させずに済む”武器。
——頭を抱えそうになった、その時。
がちゃり、と。
隣の実験室へ続く扉が開く音がした。
(まきまきか? ……いや、まだ帰るには早いはず)
手元の作業をいったん止め、椅子から立ち上がって肩を回す。身体を伸ばし、扉を開いた。
「あら、凛。やけに静かだけど、祈里くんは今日はいないの?」
そこに立っていたのは、黒いハーフツイン。ピンクを基調にした地雷系ファッション。足元は厚底、目元はきらきら、でも視線だけはやけに鋭い——らいこだ。
片手には紙袋。袋のロゴと印刷からして、どう見てもケーキ屋のもの。
「……警備、通してくれたのか?」
「ふふ。NDKの身分証って便利なのよ。休日の大学の受付なんて、顔見せたら大体通るわ」
「ほんと、いい性格してるな」
「褒め言葉として受け取っとく」
さらりと笑って、らいこは紙袋を揺らした。
「で、祈里くんは?」
「祈里ならテニス部の合宿に行ってる。帰ってくるのはゴールデンウィーク明けだ」
「そう……それは残念」
らいこが、あからさまに肩を落とす。
「せっかく、この前のお礼にケーキ買ってきたのに」
「……お礼?」
「そう。だから、仕方ない。まきまきもいないんでしょ? 二人で食べましょ!」
言うが早いか、らいこは研究室の流し台へ向かい、戸棚から皿とフォークを取り出し始めた。勝手知ったる研究室、というか——完全に自分の家みたいな動きだ。迷いが一切ない。
その間に、あたしはケトルに水を入れて火をかけ、コーヒーを用意する。紙フィルターをセットして、粉を落とす。
こういう作業は、余計なことを考えなくて済む。
「この前って、ダンジョンの夜明けとの戦いのことか?」
「ええ……あの時、祈里くんが来てくれなかったら、確実にあたし死んでた」
らいこは、箱を開けながら、軽く笑った。
笑ってるのに、声の奥が少しだけ冷たい。
「あの単眼ちゃんから一発もらった時にね、“あ、死んだ”って確信したもの。……なんだかんだ後処理が忙しくて、きちんと感謝は伝えられてなかったから」
ものの一分で、大きなテーブルの上にケーキが並ぶ。フルーツタルト、ショートケーキ、小さなチョコのケーキ。色が並んで、研究室が一瞬だけ“休日”になる。
「情けない話だ」
ドリッパーから落ちるコーヒーの雫が、トプン、と音を立てる。その音が、やけに大きく聞こえた。
「あたしも、あの時は祈里に助けられた。お前がやられた瞬間……正直、心が折れた。もし祈里が来てくれなかったら……あたしは壊れてたと思う」
沈黙が落ちる。
研究室の空気が、少しだけ重くなる。
「本来、私たち大人が、あの子を守ってあげなくちゃいけないのに」
らいこの声が、少しだけ震えた。
「……まさか守られる側になるなんてね。本当に……みっともない……」
“仕方ない”って言いそうになった。
“まだ若い”って言いそうになった。
でも——それは、違う。少なくとも、らいこにとっては。
国から「国民を守る側」として認められた国家公認配信者。
その肩書きを、誇りも責任も、ちゃんと背負っているやつだ。
だからこそ、子どもに守られた事実を、簡単に飲み込めない。
(……でも、手を引っ張るのは違う)
弱ってるやつを、無理やり前に引っ張るのは、ただの自己満足だ。
今のあたしができるのは——隣に立って、一緒に前を見ることだけ。
「……強くならねばな。あたしたちも」
真っすぐ、らいこの顔を見る。
らいこは、うつむいていた顔を上げた。視線がぶつかる。
「そうね」
小さく、でもはっきり。
「うん……その通り。もっと、もっと強くならなくちゃ。次は、守ってあげられるように」
影が晴れる。
らいこは昔からこうだ。落ち込む。でも、そのまま沈み続けない。折れたって、折れたままじゃ終わらない。
コトリ、とらいこの前にコーヒーを置いた。
「ほら。温かいうちに飲め」
「ありがと」
手を合わせて、それぞれケーキを取る。
らいこはフルーツタルト。あたしはチョコレートケーキ。
コーヒーの香ばしい匂いの中に、甘酸っぱい果物の香りがふわりと混ざる。
「そうだ、凛。相談があるの」
らいこがスマホをこちらへ向ける。画面には動画サイト。
ダンジョン配信のアーカイブ……いや、タイトルに小さく「※ミラー」と付いている。
「これ、見てもらえない?」
「公式のじゃないのか」
「元の配信は途中で落ちた。でも……切り抜きとミラーが一気に出回ったの。最悪よ」
再生ボタンが押され、映像が動き出す。
石造りの壁。湿った空気。奥の暗がり。——ダンジョン内部。
画面の中央には、端正な顔立ちの青年が映っていた。
髪は左右で色が違う。右が白、左が赤。瞳は深紅。年齢は……十代後半くらいに見える。
あたしは毎日配信者の情報をチェックしてる。だが、こいつは見たことがない。
——なのに、チャット欄の流れだけは異様に速い。
『やっほ~お前様ら。見えてる? 見えてっか分かんねえな。まあいいや』
少し高めの声。青年は、にやりといたずらな笑みを浮かべた。
そして、まるで演説みたいに声を張り上げる。
『俺さあ、雑魚が嫌いなんだよね』
瞬間、チャットが爆発する。
『は?』
『みんな急いで通報!』
『そこどけよ人殺し!』
『何様のつもりだよ』
それらを眺めて、青年は心底楽しそうに続けた。
『……あ、勘違いすんな。お前様らみたいな弱い奴が嫌いなんじゃない』
笑ってるのに、目が笑っていない。乾いている。
『**雑魚のくせに、弱者相手にだけ強者ヅラするクソ雑魚**が嫌いなんだよ。
国に選ばれたって肩書き背負ってさ。雑魚モンスター相手に無双して、ヒーローごっこして、
それでお前様らに囲われて自分は“強い”って思い込んでる——ああいうの。ま~じで無理』
胸の奥が、嫌な冷え方をする。
こいつ、ただの炎上狙いじゃない。言葉の選び方が——“狩る側”のそれだ。
『だからさあ……今ここで、日本政府に宣戦布告しま~す!』
にこにこ笑って言い切り、青年は立ち上がった。
——その瞬間、見えた。
椅子代わりにしていたもの。
血に濡れて、地面に倒れ伏す、中性的で小柄な配信者の姿。
「……えるまちゃん!?」
国家公認配信者『えるまルマるま』のえるまちゃん。可愛い見た目で若い女性層に人気——なのに、戦闘になると急にキレが変わる“ガチ”のやつだ。その“ガチ”が、床に転がっている。
喉が、からからに乾く。
『今日から毎日、ダンジョン配信者をぶっ殺していくから。特に国家公認のやつ』
青年は、さらりと言った。
まるで「今日のメニュー」を読み上げるみたいに。
『ああ、逃げたりしたらダメだよ?』
口調だけは軽い。だから余計に寒い。
『逃げたら次は、公認だとか関係なく、**弱いやつを踏み台にして“強い気”になってる連中**を片っ端から潰す。
企業の看板背負ってダンジョンでイキってるやつも、不法侵入で弱い奴狩ってるやつも、同じ。
……結局、弱者踏んで笑ってんのは、一緒だしさ』
——矛先が、広い。
ただの復讐じゃない。標的の分類が、独自の“正義”で出来上がっている。
青年は壁にスマホを立てかけ、少し距離を取る。
両手を広げる姿は——観客に手を振る舞台役者みたいだった。
『さあ、かかって来いよ! 正義のヒーローども!』
笑顔が、薄い。
目だけが、妙に乾いている。
『俺はゼロ。弱者の味方っていうよりか——**弱者を踏むクソ雑魚の敵**だ。
俺が悪で、お前様らが正義だってんなら——勝てるよな?
強いんなら、この俺を倒せるよなあ!!』
ゼロが地面から何かを掴み、ゆっくり振り上げた。
——巨大な斧。
あたしの斧と同じくらいの大きさ。なのに、片手で持ち上げている。
しかも、見た目に機構がない。純粋な“力”で。筋肉だけで。
(こいつ……化け物だ)
『それじゃ、対戦待ってるね』
ゼロが斧を投げる。
直後、ガンッ——画面が激しく揺れ、スマホが叩き割られたのか、映像はそこで停止した。
横目でらいこを見る。
平静を装っているのに、怒りが漏れてる。目の奥が、火みたいに熱い。
「こいつはゼロ。本名、住所、年齢、全部不明の特級ダンジョン犯罪者」
らいこが、噛み殺すように言った。
「すでに公認配信者が数人やられてる。ギフト持ちなのは確実。でも、ギフトの詳細はほとんど分かってない。分かってるのは——」
らいこの視線が、まっすぐあたしを刺す。
「こいつには、ギフトを封じる、もしくは無効化する力があるってこと」
——たしかに最悪だ。
ギフト頼りの戦い方が、通じない。
それはつまり、優秀なギフトを持ったNDKの配信者でも太刀打ちできないということ。
しかも、祈里がいると危険が跳ね上がるかもしれない。あいつは“庇える”けど、そのぶん“庇ってしまう”。あいつの異常回復の能力も無効にされたら、危険だ。
……なら、祈里がいない今しかない。
守れなかった罪を清算できる、唯一の時間。
「こいつをぶっ飛ばすのを手伝って。日比野さんも動いてるけど……多分、私たちギフト持ちだけじゃ歯が立たない」
らいこが言う。
「あなたの力が必要なの」
断る理由がない。
「……分かった。いつから動く?」
らいこの口元に、ほんの少しだけ笑みが浮かぶ。
そしてこいつは、なぜかそこで——タルトを手づかみにして、一口で口に放り込んだ。
「ひふぁふぁらふぉ!」
「食べてから喋れ!!」
もぐもぐ。ごくん。
らいこは咳払いをして、言い直す。
「今からよ! 三十秒で支度して!!」
「無茶言うな……いや、言うと思った」
椅子を蹴って立ち上がる。斧の柄に手をかけた瞬間、重みが掌に戻ってくる。
——大丈夫だ。これは、ただの鉄塊じゃない。あたしが積み上げてきた“責任”だ。
祈里がいない、数日間。
その間に——全部終わらせる。
守られる側で終わらないために。
次は、守る側に戻るために。
そのために、あたしたちは立ち上がった。




