第25話:単眼の少女
……だめだ。全くもって授業に集中できない。
飛び立っていったらいこさん。例の男を追跡中だという凛さん。二人のことが心配で、黒板の文字が頭に入ってこない。先生の声も、教室のざわめきも、遠くの音みたいにぼやけていく。
「……もし、二人になにかあったら」
教壇のすぐ目の前の席。先生と目が合えば即アウトな距離だというのに、身体のそわそわが止まらない。太ももが勝手に揺れて、机の下で靴先が小刻みに鳴る。ノートにペンを走らせても、書いているのは意味のない線ばかりだった。
そんな時だった。
コツン、と軽い衝撃が頭に当たり、机の上に白い何かがぽとりと落ちる。
(……紙? なんか書いてある)
気になって解いてみると、丸っこい字で短い言葉。
『ずっきー、大丈夫? もしかして体調悪い? 鏑木より』
胸の奥が、ふっと緩む。
ちらりと後ろを振り返ると、窓際の席で鏑木さんが両手を合わせて、申し訳なさそうにこちらを見ていた。たぶん、紙が頭に当たったことを謝っているんだろう。わざとじゃないなんて、言われなくても分かるのに。
(心配、してくれてるんだ)
お手紙をもらったのであれば、返さねば不作法というもの。
僕も急いでノートの切れ端をちぎり、短くメモを書く。丸めて、ぽい。
『全然大丈夫だよ。心配させてごめんね』
メモを見た鏑木さんは、ぱっと笑顔になってピースをしてくる。僕も小さくピースで返した。
まあ……凛さんたちなら、大丈夫か。
そう考えに至って、ようやく黒板へ視線を戻す。
――そして、目が合った。
真正面。こちらを睨みつける体育教師の顔と。
(終わった)
◇
一方そのころ、桐生凛。
ドトトトトト!!!
雨粒がヘルメットの表面を叩き、風切り音が耳元で唸る。濡れたアスファルトは黒く光り、白線が伸びては消えていく。
車の隙間を縫うようにして走る一台の大型バイク。そこに跨っているのは、あたし――桐生凛だった。
上空には黒い翼を生やして空を駆ける、例の黒スーツの男。飛行速度が異常に早い。少しでも気を抜けば巻かれる――が、男はまだ自分が追われていることに気付いていない。
らいこの姿が見えない。だから気を抜いている。
そのおかげで追跡は、ぎりぎり成立していた。
「もしもし、凛! 聞こえてる?」
ヘルメットのインカムに割り込んできたのは、らいこの声。
通話はつなげていない。となると祈里のスマホ経由か。
「聞こえてる。祈里は無事だったか?」
「とりあえずは大丈夫そう。でも、どうもギフトの“回復”の方の調子が悪そうだったわよ」
ギフトの不調――祈り不足か。だが今は考えている暇がない。
「分かった。こっちは今も追跡中だ……っと、進展あり」
「なに?」
空を飛んでいた男がゆっくりと高度を下げる。そして少し前を走る黒いバンの上に、まるで重さがないみたいに着地した。
その瞬間、バンのスライドドアが中から開き、男は中へと飛び込んだ。
「例の男、ええい面倒! こっから“黒腕”と呼称する!!」
「で、その黒腕が今、目の前の黒いバンの中に入った!!」
ナンバープレートが曲げられている。あのバンの中にいるのも、件のダンジョン犯罪者の一派だろう。
「おそらくバンの中に数名の仲間がいる!」
「了解! ごめんだけど、もうちょっとスピード落として、凛!!」
一瞬、意味が分からなかった。が、らいこが考えなしに命令するはずがない。とりあえずアクセルを若干戻して減速する。
その瞬間だった。
ドシン!!
バイク後部に衝撃。空から何かが降って来たような重さ。
「ごめん! 乗せて!!」
らいこか。ヘルメットはもちろん被ってない。こりゃあ後で警察に怒られるやつだ。
「どうした? 調子悪いとは言わせないぞ」
「仕方ないでしょ! ギフトの性質上、雨の中だと威力が下がって、スピードが出せないのよ!」
らいこのギフトは地雷――足元から爆発を起こすギフト。雨で足元が湿ると爆圧が逃げるのか。初耳だが、理屈は通る。
「しゃあない。しっかり掴まってろ!!」
アクセルをまた全開。らいこが乗った分、目立ちすぎると相手に存在がバレる。車一台を間に挟んで追跡を続行。
「……待て。このルートは……」
「なに、なんか分かったの?」
「おそらくだが、あいつら高速に乗る気だ!」
「……中々俗っぽい悪党ね。悪党ならもっとヘリとか使いなさいよ」
そう言いながら、らいこはポケットからスマホを取り出してどこかに連絡をかける。
「もしもし、こちらジライちゃん。現在ダンジョンの夜明け団の構成員を追跡中! ああもう面倒! 左京さんに代わって!!」
連絡先はおそらくNDK本部。こういう時、国家組織がいると話が早くて助かる。らいこの数少ない有用な点だ。
「ごめんなさい、左京さん! 高速道路、封鎖して! 場所は今の私の現在地から一番近い入口!!」
一方的に話を終わらせると、らいこは返事も聞かずに通話を切った。
「良いのか? そんな雑で……」
「緊急時にいろいろ考えてられないでしょ!」
こいつのこういうところは、素直に尊敬できる。
そして、車の速度は中々早い。十分も経たずに高速入口へ着いてしまった。
流石は国家組織。入口にはすでにパトカーの赤色灯、三角コーン、警官の姿。雨の中、制止の腕が光って見えた。
黒いバンは減速しない。警察の静止をガン無視して、そのまま高速へ侵入した。
「凛! こっちの気にしなくていい! かっ飛ばして!!」
「いいんだな!!」
こっちもアクセル全開。一瞬警官が動こうとしたが、後ろに座るらいこの姿を見ると、すぐさま敬礼して素通りさせてくれた。
前方を確認する。規制を張っているのか、高速道路はガラガラ。車が一台もいない。
(早すぎるだろ……)
だが、こっちにとっては好都合だ。バンと大型バイク、どっちが速いかなんて自明の理。
びゅんっ! 一気に加速。だが、あっちも相当速い。改造車両か。
「凄いでしょ! うちのトップの左京さん! 仕事の早さなら世界一なんだから!!」
「黙ってて。舌噛んでも知らないぞ!!」
少しずつ距離が縮まってくる。時速は優に二百を超えている。エンジンが悲鳴を上げるのが分かる。
さすがに相手も怪しむ。バンの窓が開き、そこから例の黒スーツの男が顔を覗かせた。白い麻袋がばたばたと風にたなびく。そして、手には拳銃。
「凛! 危ない!!」
バンッ!!!
正確に狙いをつけられ発射された弾丸が、バイク前面の風防に当たる。
――ガン。
硬い音。弾は弾き返され、風防に浅い傷が走るだけだった。
「特製の防弾ガラスだ! 簡単には抜けんさ!! でも……っ」
「きゃっ!?」
即座に車体を傾け、壁ぎりぎりへ寄せる。次の弾が、先ほどまでタイヤがあった路面を削った。
(狙いはタイヤ……!)
車体を狙っても意味がない。なら、狙うのはタイヤ一択。こっちは一輪でも壊されたら終わりだ。
だからこそ、男が顔を出している窓から死角になるよう、そのままバンの真後ろに張り付く。
キキィ――!
「凛、前!!」
刹那、ベタ付けした瞬間にバンが急ブレーキ。背面が一瞬で迫ってくる。
「っ!」
その瞬間、急旋回。右に思い切り倒し、バンの横を抜ける。
「らいこ!」
「分かってる!!」
横を抜ける刹那、らいこはあたしの肩を掴んで体を浮かせ――
ドゴオオン!!
車体側面へ思い切りキック。爆発の勢いも乗せた一撃で助手席のドアは大きくへこみ、車はバランスを崩して大きくよろめいた。
「やった!!」
バドン!!
もちろんこっちも大きくよろめく。だが、即座にらいこはあたしの肩を支点に足を反対方向へ送り、そこで爆発。爆風で強引にバランスを取り戻す。
――が、それは相手も同じだった。
黒腕が伸縮し、形を変え、細長いロープのようになる。先端が錨のようにアスファルトへ突き刺さり、それを支点に車体の姿勢を立て直した。
「……なかなかの手練れだな、あいつら」
「ええ……正面戦闘なら負けようがないけど……こうも悪条件が重なると……凛!!」
こっちが前に出たということは、あっちからしてみれば狙い放題だ。
バン! ……バン! ……バン!
何発も弾丸が発射される。
「しっかり掴まってろ!!」
背中がぎゅっと掴まれる感覚。それを確認してから、車体を大きく傾ける。
ミラーで後方を見ながら、狙いの方向を読む。避ける。避ける。避け続ける。
一発でも当たれば終わり。
精神が削られる状況で、あたしは重要なことを忘れてしまっていた。
――上だ。
ビュン!! ザシュ!!
「黒い腕が!!」
らいこの叫び声。その瞬間、腹部に激痛が走る。
「くっ……!?」
見ると、黒腕が真っ黒な槍のように変形し、あたしの腹部を貫通していた。
(あたしに刺さってるってことは……)
チラリと後方を確認。らいこの腹にも、同じ槍が突き刺さっている。
「前を走るのは得策じゃない。すまん、らいこ! 速度を落とす!」
「了解!!」
アクセルを緩めた瞬間――
バゴン!!
後方から爆発音。らいこが、刺さった槍の根元へ至近距離の爆発を叩き込んだのだ。
黒い槍がどろどろと溶けて液体みたいになり、体から抜け落ちていく。
そして急ブレーキで一気に後ろへ。そこをバンが通り抜け、前へ出た。
「どうする、らいこ。いったん引くか!?」
「ううん。追跡続行。絶対に逃がさない!」
ミラー越しに映るらいこの顔には、にやりとした不敵な笑みが浮かんでいた。
「だって……この先からは私の独壇場よ……」
「……そういうことか」
目の前、少し先にトンネルが見えてきた。超長い海底トンネル。外に出るまで時間がかかる。
そして、トンネル内部に入る。
空から打ち付けていた雨が止む。音が変わる。湿った風が途切れて、乾いた空気が肌に当たった。
「行ってこい! らいこ!!」
「ええ!!」
ドンッ!
後方から大きな衝撃。らいこが飛び立つ衝撃。
一気に彼女はバイクを越し、前のバンに接近していく。
黒腕がまた槍の形になって、らいこを追う。
だが空中戦において、らいこに叶うわけがない。
槍は途中から何本も細い槍になり、弾幕のようにらいこを襲う。けれど彼女は、その槍の隙間をくぐっていく。爆発で角度を変え、速度を変え、軌道を変える。
そして――バンの上に着地。
刹那、バチバチと足元が弾ける。
「さあ……終わりよ!!」
らいこは目を見開き、足元に力を入れた。
その時だった。
車の中から、男の声が聞こえた気がした。
「……よかった。間に合いましたか。我が家族たちよ……ただいま……」
悪寒が背を走る。叫ぼうとする。だが、その時にはもう遅かった。
「らい――」
ドゴオオオオン!!!
一瞬の出来事だった。
前を走るバンのさらに前方から、何かが飛んできた。
少女の姿をした異形。
ひとつ目の怪物。緑色の髪がくるくると巻かれ、額からは一本の短い角。手には鉄の棍棒。黒いスーツに、腰へ巻いたジャケット。
一見、ただの少女にしか見えない。
だが――速度が違う。重さが違う。存在が違う。
単眼の怪物は前方から飛来し、その勢いのまま車上のらいこの腹部へ蹴りを突き刺した。
ぐにゃり、とらいこの身体が折れ――次の瞬間、車上から吹き飛ぶ。
らいこは全身から力が抜け落ちたみたいに、弱々しく後方へ……こちらへ飛んでくる。
そして車上で棍棒を持ち、仁王立ちする怪物と目が合った。
直感した。
――らいこは、死んだ。




