第15話:女神ちゃん、狙われる
突然始まったYouTubeライブ。
コメント欄にあるのは、最初――例の「???」だけだった。
でも、数十秒。
そのうち、ぽつ、ぽつ、と人が集まりはじめる。
どうやらチャンネル自体は、いつもの凛さんのチャンネルらしい。サムネも、タイトルも、通知も――全部“普通”だ。
「ねえ……この配信、始めたの……ジンバルンじゃないよね?」
「……はい。電波などを用いた遠隔操作の類は検知できませんでした。現象、説明不可能です」
ジンバルンが、ぽつぽつと言葉をこぼした。
内部で急いで解析しているのだろう。画面の片隅で、小さなアイコンが忙しなく点滅している。
『ひさびさの配信! 女神ちゃんおひさ~』
『あれ? 今日は魔王様いないんだ』
『今日は女神ちゃんセーラー服なの!? 俺得!!』
『今日も綺麗な白髪だね! 結婚しようか』
コメントは問題なく流れていく。
――不思議なことなんて、ダンジョンの中じゃ今さらだ。気にしても仕方ない。
「行くよ、ジンバルン」
スマホをインカメにして、目の前の校舎へ歩き出した。
夜空は真っ暗。けれど月明かりが、ぼんやりと校舎の輪郭を撫でている。何も見えないわけじゃない。目を慣らしたいし、懐中電灯はまだ出さなくていい。
『後ろ真っ暗じゃん? やば』
そのコメントに気づいて、振り返る。
そこには――もう校門がなかった。
あるのは、闇。闇、闇、闇。さっきまであった“帰り道”が、丸ごと抜け落ちたみたいに消えている。
「ここに来る前に調べたんだけどさ……このダンジョン、入ると出られなくなるらしいんだ。校舎の中の、どっかの扉からしか出られない。……知ったつもりになってたけど、目の当たりにすると不気味だね」
見なかったことにするみたいに、僕は闇に背を向けた。
最初から戻る気なんてない。逃げる気もない。
一条君を見つけるまでは。
少し歩けば、すぐ校舎に辿り着く。
近づくほどに錆びと埃の匂いが濃くなった。扉は半開きで、隙間から簡単に入れてしまう。
中は、思った以上に埃っぽい。
下駄箱特有の砂の匂いが充満していて、一歩進むごとに、じゃり、じゃり、と足元が鳴る。
一条君が通った痕跡を探す。
――けれど、見つからない。
本当にここにいるのか?
その不安が汗になって背中を流れ、急に空気が重く感じた。
「一条君!! いるの!?」
声を張り上げて呼ぶ。
返事はない。――進むしかない。
左手にスマホ。
配信を映しながら、校舎の奥へ。
するとジンバルンが、申し訳なさそうに言った。
「すみません祈里様。現状の私にはマッピング機能が搭載されておりません……」
「大丈夫だよ。それは家で確認済みだし」
胸ポケットから小さなメモ帳とペンを取り出す。
「マップぐらい、自分で書くさ」
メモ帳の左上に「一階」と書き、目測で廊下の線を引く。
扉を一つずつ開け、中を確認し、何もなければ×をつける。しらみつぶしだ。
運がいいことに、モンスターにはなかなか遭遇しない。
ネットで調べても情報が出てこなかったから、そこが一番怖かったのに――
「危ない。僕、油断してる……」
両頬をパン、と叩いた。
「どうされましたか? 祈里様」
「自分に活を入れただけ。油断は命取り……でしょ?」
「はい。その通りでございます」
ジンバルンは要所で僕の見落としを補い、リスナーのコメントも“目”になってくれる。
そうやって、なんだかんだで探索は順調に進んだ。
最後の教室。たぶん校長室。
重々しい扉を、ゆっくり開ける。
中へ入り、机の下、棚の裏、カーテンの影――念入りに確認して。
「……ここも異常なし。ってことは、一階はこれで制覇か」
「はい。おそらく一条様は二階以上にいらっしゃるかと」
廊下へ出て、しゃがみ込み、メモを取る。
――その瞬間だった。
視界が、一瞬だけ暗くなる。
影? いや――“何か”が、僕の背後を通った。
刹那、身体が勝手に動いた。
前に跳び、床を転がり、低い姿勢で振り返る。
「……なにも、いない?」
どう考えても、今――誰かいた。
でも上下左右、見渡しても何もない。
「ってなると……」
ゆっくり窓を見る。
雲が月を隠しただけ? そう思って窓へ近づき、外を覗く。
――びっくりするくらい綺麗な夜空だった。
東京のど真ん中とは思えない。月だけじゃない。星まで、はっきり見える。雲は一つもない。
じゃあ、今の影は何?
最後の頼みは、彼らだ。
「ねえみんな。さっき、僕の後ろに誰か立ってなかった?」
スマホを顔に近づけて聞く。
『顔かわいい……結婚しよ』
『なんもおらんかったよ』
『やめてよ~ こわいこと言うの~』
流れていくコメントを必死に追う。
でも、それらしい目撃情報はない。
「腑に落ちないけど……気のせいか……」
「ミィツカッチャッタァ……」
――え?
声が、背中ではなく、“窓の向こう”から聞こえた。
反射で窓を見る。
目が、合った。
「ひっ……」
そこに張り付いていたのは、人体模型みたいな“何か”だった。
肌は縦に裂けて、左が皮膚、右が赤い筋肉。腹は開いて内臓がぶら下がり、本物みたいに脈打っている。首には腸がマフラーみたいに巻きつき、骨は異様に発達して、あちこちから突き出していた。
――そんな化け物が、窓ガラス越しに僕を覗き込んでいる。
『でたあ! 放課後監獄の名物! 発達しすぎた人体模型!!』
『確か、このダンジョンの配信者の死亡理由ナンバー1だっけ?』
『ちょい違う。入った奴ら全員だろ……』
腰が抜けた。
力なく床にへたり込む。
床がじわっと温かくなる。
――やばい。僕、漏らしてる。
「イマァ……イクカラ……ネェ……」
人体模型が、コン、コン、と窓を叩く。
僕は反射的に、掌をガラスへ向けた。
(壊される……!)
ギフトを発動する。
――対象のダメージを肩代わりする。なら、ガラスが割られる衝撃を僕が受ければ、割れない……はずだ。
でも人体模型は、窓を割ろうとしなかった。
代わりに窓枠へ手をかけ、がたがたと揺らし――
すっ、と窓枠そのものを外した。
「……は?」
窓が“開いた”。
いや、開けられた。壊すんじゃなく、外す。裏技みたいに。
人体模型は、廊下へすたっと着地し、僕を見もしない。
窓の方へ向かい、外した窓枠を元に戻そうと試行錯誤している。まるで“痕跡を消す”みたいに。
(逃げるなら……今しかない)
震える足で立ち上がる。
一歩、二歩――動き出した瞬間、脳が「逃げろ」だけを叫び始めた。
走る。走る。走る。
階段を駆け上がる。
――その途中から、記憶が飛んだ。
怖すぎて脳が削除したのだと思う。
気づくと僕は、ぼろぼろの図書館の隅で膝を抱えていた。
「うぐ……ひっぐ……」
泣いている。
自分でも分かるくらい、みっともない泣き方だ。
「大丈夫です、祈里様……もう追っては来ていません」
ジンバルンの優しい声が、やけに大きく耳に響いた。
安心したくて、僕はスマホをぎゅっと抱きしめる。
少し落ち着いて、画面を覗く。
『女神ちゃん、泣かないで~』
『落ち着いて! 皆ついてるから!』
リスナーにまで心配される始末だ。
情けなくて、また涙が出そうになる。
ぐしぐし目をこすって誤魔化した。体が女の子になって、涙腺が弱くなったのかもしれない。濡れたスカートを見下ろしながら、そんなことを考える。
「ありがとう、ジンバルン……ありがとう、みんな。もう……大丈夫……」
――調子に乗ってた。
ミノタウロスも、ミノスも、ドラゴンも怖かった。けど、動けた。耐性がついたと思ってた。自分は大丈夫なんだと思ってた。
でもこれが現実だ。
僕だって、恐怖で簡単に壊れる。
「うん。もう、大丈夫。探索に戻ろう」
震えながら立ち上がり、メモ帳を見る。
一階のマップに、大きく×をつけた。
そして出口へ向かって一歩。
ぎしり、と床が鳴る。
「モォ……ダァイジョウブゥ?」
――上から声。
刹那。
ドシン!!
目の前に、それが着地した。人体模型。
本棚の上から、僕をずっと見ていたんだ。
「キミィ、カワイイカラァ……フツウニコロスノォ……モッタイナイ」
表情がぐにゃりと歪み、いやらしい“笑顔の形”を作る。
口の端から、粘ついた唾液みたいなものが垂れて、床に落ちる。
僕はリュックの横に固定した手斧を抜き、両手で構えた。
「ナァニ、ソレ?」
短い沈黙。
それを破ったのは人体模型だった。
「ヤッタァ! プレゼントダ! プレゼント!!」
両腕を広げて、嬉しそうに近づいてくる。
「っ!!」
胸へ――いや、中心へ。
頭上まで振り上げて、思い切り斧を振り下ろした。
ガンッ!!
……硬い。
斧は、異様に発達した肋骨に阻まれ、深く食い込んだまま止まった。
抜けない。
焦って引く。でも、びくともしない。
「アァリガトォ……プレゼントォ……ウレヒィ!!」
ぼたり、と地面に人体模型の唾液が垂れる。まずい――そう思って逃げ出そうと振り返ったが、そこにあったのは……壁。行き止まりだということを忘れていた。
……スルリ。
その隙に、後ろから腕が回される。耳に、あたたかく鉄くさい吐息がかかる。脇の下から巻き付くように回された腕が、右手は弄るように胸へ、左手は逃がさないと言わんばかりに腰へと食い込んだ。
「っ! くそ!!」
振りほどこうともがくが、一切身動きが取れない。力の差がありすぎる。
「ダァイジョウブ……イタクシナイヨォ……ボォク、カノジョハジメテ……ナンダァ」
ねっとりとした、不気味で深い声。
「テイコウシナイ……ッテコトハァ……キミモ、ウレヒィンダァ!」
人体模型の腕に、さらに力がこもる。次いで、するすると服の内側へ手が入り込んだ。
ふにゅっ、と身体が――指の形に押し込まれるみたいに沈む。
最後の抵抗。希望にかけて、僕は叫んだ。
「ジンバルン! 緊急自爆スイッチ!! オン!!」
「……承知しました。十秒後、自爆します」
「ジバクゥ? ……ヤダァ! シニタクナイ! シニタクナイ!!」
“自爆”“爆発”の単語に反応して、人体模型は腕を離した。
一瞬で距離を取り、出入り口の方へ逃げていく。
――もちろん、スマホに自爆機能なんてない。
ジンバルンが合わせてくれたんだ。
でも、あの人体模型は知能がある。
だからこそ、張ったりが効いた。
「ありがとう、ジンバルン。逃げるよ!」
僕も出口へ走る。
上下左右を確認――誰もいない。
左奥の廊下の角を曲がっていく、人体模型の背中が見えた。
「……なら、僕は右だ」
図書室を飛び出し、右へ。
階段を駆け上がり、息を切らしながら最上階――四階へ。
「ここにあるのは……体育館と、屋上への扉……か」
スマホのコメントを流し読みする。
『屋上の扉、どうやっても開かないらしいよ』
「それなら、体育館だ」
冷たい鉄扉に手をかける。
ギギ、と嫌な音を立てて扉が開いた。
広い体育館。
奥に少し高い舞台。周囲を見回しても、一条君の姿はない。
(体育館倉庫……あるなら舞台裏だ)
幕で隠された舞台裏へ向かって歩く。
床のバネが錆びているのか、一歩ごとにギギギ、と大きな音が鳴る。
「一条君を見つけるまで、逃げられないんだ……」
自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。
舞台脇。扉を開けて中へ入ると、倉庫らしき部屋がある。
そして――その奥の扉が、不自然に少しだけ開いていた。
ごくり、と唾を飲み込む音が、やけに大きく感じる。
鼓動を落ち着けながら、開いた扉へ近づく。
そっと覗き込んだ瞬間――
「んな!?」
むせかえるほどの鉄臭さが鼻を刺した。
視界を埋め尽くすのは、赤。
正しくは――赤黒い血液。
体育館倉庫全体が、血で満たされていた。
床だけじゃない。壁も、棚も、道具も――べっとりと“染まって”いる。
そして、その中心。
血まみれで倒れている人影があった。
「……一条、君……?」
そこにいたのは、間違いなく――一条君だった。




