ハーブと混ざる空気
「岬、弁当ここ置いとくぞ? じゃあ行ってくるな!」
「あ、ちょっと待って!」
慌ただしく朝の準備をしている岬が玄関先で俺に何かを放り投げた。
俺はそれをキャッチする。
「……手袋? もう三月だぞ?」
「あ、今日寒いからね! ふふ、岬ちゃんの優しさだよ? じゃあ行ってらっしゃい!」
岬はパンを片手に俺に手を振って見送ってくれた。
俺は通学路を歩く。
まばらな人影はいつも通りだ。
――確かに今日は寒いな。もうすぐ春が来るのにな。
あと十数日が過ぎたら終業式が行われる。
二年生になるのか……、早いもんだな。
時間が立つのは昔よりも早く感じる。
それだけ俺が年を取った証拠なんだろうな。
チラホラとボッチ達の姿が見え始めた。
俺たちは率先して話すことはしない。
だけど、遠くから小さく会釈を交わして挨拶をする仲になっていた。
――みんな何でボッチになったんだろう?
俺はそんな事を考えていると、本を読みながら歩いている高橋さんを見つけた。
俺の少し前にいる高橋さんは、三つ編みを止めて、自然体で……よたよたと歩いていた!?
――ちょっと、また? 前見なきゃ! ほら、また……。
高橋さんの目の前に木が迫る……というか高橋さんが木に気が付かずよたよたと歩く!?
俺はとっさに走り始めた。
――間に合え!!
「きゃっ!! い、痛くない……あれ? ゆ、祐希君!? はわわぁ」
俺は、高橋さんと木の間に挟まってしまった……。
そして高橋さんを抱き止めながら、そのまま高橋さんに挨拶をすることにした。
「ふぅ……良かった。ちゃんと前を見なきゃ駄目ですよ? 何度目ですか?」
高橋さんは眼鏡を外した大きな目をぐるぐるさせながらジタバタともがいていた。
――いや、俺、軽く抱き止めているだけだから、すぐに離れられるよ。
その事に気がついた高橋さんは俺からそっと離れ、制服を直して俺に向き直った。
「ぷしゅー、はぁはぁ……お、おはよう、祐希君。……うぅ、また助けられちゃったね」
「いつでも飛んで行きますね。――ほら、早く文芸部へ行きましょ!」
「う、うん! みんな来てるかな! ふふ、今日は佐藤さんに『寝取られ勇者の大冒険』をオススメするの!」
――そ、それは大丈夫なタイトルなのか?
俺たちは一緒に学校へ向かうことにした。
ちょっと前では考えられない。
高橋さんは登校中は、恥ずかしがって一緒に歩いてくれなかった。
今も恥ずかしがっているけど……顔が真っ赤だけど、周りを気にせず、俺と歩いてくれた。
ふと、高橋さんの手を見ると、手袋をしていなくて、寒そうに手をこすり合わせていた。
俺はそれを見て自分の手袋を外した。
「ねえ、高橋さん、この手袋を使って下さい。凄く寒そうですよ? 歩きながら本を読んでるからですよ」
「うぅ……返す言葉もないの……。で、でもそれ使っちゃったら祐希君が寒いでしょ? 大丈夫よ!」
俺は少し強引に高橋さんの手を掴んだ。その手は外気に晒されてとても冷たかった。
「駄目です。俺はさっきまで着けてたから温かいですけど……ほら、高橋さん、手がこんなに冷たい」
「ひゃい!? ゆ、祐希君……手が温かい……」
俺は真っ白な高橋さんの手に、手袋をはめる。
ちょっと大きめだけど、うん、暖かそうだ!
「はい、これでよし! 行きますよ!」
「ぷしゅぅ……。は、はい……。……ふふっ」
高橋さんは両手を見つめる。その口元は微笑んでいた。
俺たちは学校へ着くと、上履きに履き替え、文芸部へ向かった。
文芸部の中には、佐藤さんと鈴木さん先に着いていて……ソファーの上で……寝ていた。
佐藤さんは自分で持ち込んだぬいぐるみを抱いて、小さな吐息を立てて寝ていた。……鈴木さんは大きな口を開けていびきをかいて爆睡していた。
昨日は、俺たちはモフモフカフェで打ち上げをしていた。……俺が茜と正面から対峙したからである。
……いや、それだけなのに、恥ずかしいな。
それで佐藤さんは二人に、大興奮で身振り手振りで説明をして、大はしゃぎであった。
そんなに遅くならなかったけど、きっと疲れちゃったんだろうな?
――みんなありがとうな。
俺たちは二人を起こさないように、本を読み始める。
高橋さんは佐藤さんの腹の上に、『寝取られ勇者……』を置いていた。
ゆっくりとした時間が部室の中で過ぎていく。
――俺が一番大好きな時間。
俺はこの優しい時間に埋もれていたかった。
だが、楽しい時間はすぐに終わる。
予鈴が校舎に鳴り響き。もうすぐHRの始まりを告げる鐘の音。
俺と高橋さんは二人を起こして、クラスへと向かう事にした。
**************
俺と佐藤さんは教室へ向かう。
佐藤さんは俺の手を握ってくる。
どうやら、二人っきりの時は手を繋いで欲しいみたいであった。
俺たちに会話は無い。
――手のぬくもりが伝わる。繋いだ手はそれが当たり前であるかのように、自然に、かしこまらず、ただ、身体の一部となっていた。
ほんの数分の出来事。文芸部から教室へ行くまでの間の。
そして、俺たちは繋いだ手を離し……教室の扉を開け放った。
HRギリギリの時間だから殆どの生徒は席に着いている。
クラスメイトは、一瞬だけ俺たちに視線を向けると、興味ないふりをして自分の日常へ戻っていく。
山田が騒いで陰キャ女子を楽しませる。
下位カーストとリア充グループがゲームの話をしている。
自己中カマ子と体育会系花子が恋バナに花を咲かせる。
香織と中位カースト男子がスイーツ話で盛り上がる。
鮫島はクラスで勉強ばっかりしてるがり勉男子と一緒に宿題をしている。
……クラスの空気は混沌としていた。
カーストという物が存在せず……一部を除く全員が仲良く話している。
――昨日の事件の後もそうだったが……なんだこれは? 見てて……自然じゃない。
いや、悪い事じゃないんだろうが……みんな仲良くして……マウント合戦も起こらず……。
だけど……それはひどく急で……まるで下手な演技をしているようであった。
いや、一歩前へ進んだと思えばいいのか?
そして多分、その原因の根っこが、あれか……。
茜が一人、席に座って教科書を読んでいた。
誰も茜に触れようとしない。
茜は……一人ボッチであった。
みんな意識して茜を意識しない様にしている。だから変な感じの空気になっているか?
……違う。茜だけじゃない。確かに茜が中心だが。
これは、俺と佐藤さん、茜を居ないものとして扱っている。
佐藤さんは俺との関わりがある。だから佐藤さんに近づくと、この前みたいな事が起きるかも知れないと、思っているのか?
以前も無視はあったが、空気の質が違う? 悪意は感じない……。
極力俺を見ないようにしているのか?
茜は自業自得な面もあるが……いじめに発展しなくて良かった。
――自分を見つめ直して欲しい。
ふぅ、とりあえず俺と佐藤さんに関わらなければ、それでいい。
朝から色々考えたからお腹空いたな。
――よし、まだ先生は来ない。
俺は親父のドイツ出張土産でもらったハーブ入りのソーセージをおもむろに取り出した。
ハーブの香りがむわっと広がる。
俺は席から少し移動して、ソーセージを佐藤さんに渡す。
佐藤さんは小さく頷く。
『……ありがと』
俺は自分用のソーセージを口に放り込んだ。
――皮がぱりっとしてなくて柔かい……冷めているのに肉汁が溢れ出てくる。……ハーブの香りが肉の臭みを消していて……これは、うまい。
俺は教室の変な空気にハーブと肉の匂いを充満させた。
クラスメイトは極力俺を見ない様に努力していた……。




