第49話「花の結弦と松衣」
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「ところで伊織さま、松月くんとは一緒ではないのですか?」
一部始終を眺めていただけの伊織は、突然話を振られて戸惑ったようだった。
いや、戸惑った理由はそれだけでは無いだろう。
おそらく最も大きな原因は、「まるで松月が生きているかのように」紬が尋ねたことにある。
伊織はしどろもどろになりながら、ぽつぽつと、言葉を並べていく。
「あやつとは、もう、会えぬだろう? もちろん、気持ちとしてはそばにいるつもりだが……」
「いえ……そうではなく、物理的に会えますよ」
「墓所でか?」
「はい?」
怪訝な顔をする紬に、壱子が口を挟む。
「紬、知らぬのか? 松月はもう、死んでしまったのだぞ」
「いや、え? 生きていると思いますけど……?」
きょとんとして言う紬に、壱子と伊織は互いに目を合わせる。
壱子も理解できなかったらしく、おずおずと尋ねる。
「紬、松月が生きているとは、どういうことじゃ?」
「そのままの意味ですが……ああ、壱子さまには言っていませんでしたね」
何かを思い出したように言って、紬はポンと手を打つ。
「実は、詩織さまが松月くんを抜け穴におびき寄せるために、壱子さまの筆跡を真似て、手紙を書いていたんですよ」
「私の筆跡を? なぜじゃ?」
「なぜって、詩織さまは抜け穴の存在を知らないことになっていたからです。でも壱子さまの名を騙って、『誰にも聞かれたくない大切な話がある。待ち合わせには遅れるかも知れないが、必ず行くから待っていてくれ』とでも言えば、抜け穴に呼び出すことが出来るでしょう?」
「まあ、そうだが……なぜお主がそれを知っておる?」
「詩織さまが手紙を託したのが、アタシだったからですよ。あの方には、信頼できる人間が一人としていませんでしたから」
しれっと薄ら寒いことを言ってのける紬に、平間は苦々しげに口角を上げた。
紬などに大切な手紙を託さなくてはならないとは、詩織はどれほど酷い孤独の中に生きてきたのだろう。
そんな平間の思いを知ってか知らずか、壱子も複雑な表情で紬に尋ねた。
「ということは、詩織殿が託した手紙を、お主は盗み見たのじゃな?」
「ええ、もちろん見ましたよ。アタシだって必死ですもの」
「……それを咎めるのは後にしよう。話を続けてくれ」
肩をすくめる壱子に、紬はうなずく。
「手紙を見て、アタシは『松月くんが危ない』と思いました。なので手紙を届けるふりをして、危険を知らせたんです。そして、一計を案じました」
「ほう?」
「その名も、死んだふり作戦です!」
ノリノリで紬が語った内容は、次のようになる。
まず、詩織の目論見通りに松月を抜け穴に向かわせ、紬は詩織の動きを監視しておく。
すると詩織が火の付いた炉を運び込んだため、紬は慌てて松月を抜け穴から脱出させる。
そして「松月が死んだ」という証人とするため、松月に手紙を書かせて、壱子を抜け穴に向かわせたのだという。
その時、壱子が口を挟んだ。
「待て待て待て、紬、それはおかしい」
「何がですか?」
「お主の話では、松月の殺害に瘴気が使われるということは分かっていたのじゃろう?」
「ええ、分かっていましたが」
「だったら、私が抜け穴に向かったら、危険だとは思わなかったのか?」
壱子の疑問はもっともだ。
実際、平間が気絶する羽目になっている。
しかし、紬の答えはあっけらかんとしたものだった。
「確かに、多少は危険かもとは思いましたが、壱子さまならそれぐらい回避できるかと思いまして。瘴気の有無を確かめる方法とか、ご存知ないんですか?」
「……や、そんなものは無いが」
「ってことは、もしかしてアタシ……壱子さまに危ない橋を渡らせちゃいました?」
「……まあ、そうなる」
じっとりとした目で、壱子は紬をにらむ。
すると、紬は舌をぺろりとのぞかせ、自分の頭を軽く小突いてみせた。
「て、てへっ」
それは、いかにも苦しい誤魔化し方だった。
壱子の言葉も冷たい。
「それで、許されると思うか?」
「まあ、壱子さまなら?」
「……はぁ」
壱子は小さく溜息をついて、紬に身振りで話を続けるように促した。
「あ、本当に許してくれるんですね……。で、後はご存知のとおりです。松月くんが死んだふりをして、脛折さまにも口裏を合わせてもらいました」
「うう、そういうことか。妙に松月の血色がいいと思ったのじゃが……瘴気のせいではなく、まさか本当に生きていたとは」
「あはは、本当はヒヤヒヤしていました。すぐにバレちゃうんじゃないかって。ですが、終わりよければ全てよし、ですよね!」
明るい調子で紬は言うが、壱子は複雑そうだ。
きっと、紬による死の偽装を見抜けなかったことが悔しいのだろう。
壱子が口をもごもごさせていると、傍らで話を聞いていた伊織が、居ても立ってもいられないという風に口を開いた。
「では、紬とやら!?」
「は、はい? なんでしょう?」
「つまり、まっ、ままま、松月は生きているのだな?」
「ええ、お聞きのとおりですが……」
「ならば何処にいる? 私はまだ、あれ以来あの者と顔を合わせていないのだ」
伊織の問いかけに、紬はしばし考えこむ。
そして、「んーっとですね」と前置きしてから、言った。
「実は、アタシも忌部省で別れたっきり、会っていないんですよ」
「そ、そうなのか……」
「ただ、松月くんは『自分をとても気にかけてくれている人がいる。なのに勝手に消えてしまったのだから、その人はきっと怒ると思う』って心配していました。なので多分、伊織様に会いに行くのが気まずいんじゃないですか? もともと、お二人の関係は秘密だったみたいですし、なおさら顔を出しにくいんじゃないんですかね」
「……なるほど、よく分かった」
伊織はすっと立ち上がり、足早に玄関の方に向かう。
そして振り向きざま、壱子に言った。
「世話になったな。また会おう」
「う、うむ。その……程々にな?」
「何の話か分からぬが、分かった。私を心配させた報いを、たっぷり受けさせてやる」
そう言う伊織は、すごく良い笑顔をしていた。
その笑顔の裏に潜む闇に、平間は思わず身震いする。
すると、伊織は思い出したように言った。
「ああ、そう言えば壱子、そちに一つ頼みがあるのだ」
「ん、なんじゃ?」
「実は、大黒丸が目を離した隙に逃げ出してしまったのだ。もし見かけたら、面倒を見てやってくれぬか」
「あ、ああ、分かった」
壱子が頷くと、伊織は礼を言って、足早に去って行ってしまった。
そして。
「朝霧、急用が出来た! すぐに発つぞ!」
玄関の方から伊織の声が聞こえて、二つの足音が慌ただしく遠ざかってゆく。
しばしの沈黙を置いてから、壱子がおずおずと口を開く。
「……まあ、何はともあれ、良かったのではないか」
「そうですね。ああ見えて、松月くんはビビリなところがあるみたいですし……伊織さまがぐいぐい引っ張っていく位の方が、丁度いいのかも知れません」
「何と言うか……あの双子はあながち似ていなくもないような気がして来たのう」
「同感です。とは言え、虎と猫くらいの共通点ですけど」
壱子と紬は、そう言って互いにぎこちなく笑い合う。
一連の事件を経て、伊織は自分の中に芯となるものを見つけたらしい。
きっとこれからも、運命に悲観すること無く、自分の意志を貫いていくだろう。
もしかしたら、父の失脚も「松月との関係を進展させやすくなる」とすら思っているのかも知れない。
いずれにせよ、彼女はもう子供じみた無力なお姫様ではないのだ。
平間は伊織への頼もしさとともに、これから彼女に付き従うことになる松月に、若干の同情心を覚えた。
ちなみに後日わかったことだが、伊織は無事に忌部省で松月と合流出来、そのまま南方の縁者の元へ向かったらしい。
壱子はそれから度々、伊織と手紙のやりとりをしている。
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