第48話「避れる別れと拗ねる猫」
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水臥小路惟人による騒乱から数日。
屋敷で退屈を持て余していた壱子のもとに、客人が訪ねてきた。
友人の少ない壱子のことだから、客と言ってもおおよその想像はつく。
「おお、よく来たな」
来客の報せを受けた壱子が出迎えたのは、左大臣の娘・伊織である。
伊織の姿を見て、壱子は首をかしげる。
「伊織、旅にでも出るのか?」
その問いかけに、伊織はすこし緊張しながらうなずいた。
壱子はとりあえず、「玄関先では良くない」と、伊織を客間に招いた。
二人は、多くの親交のある多くの少女たちがするように、隣り合わせで腰を下ろす。
伊織は、普段の手の混んだ編み込みの多い髪型ではなく、動きやすそうな一つ結びをしていた。
いつもよりも端正で、数段大人びて見える伊織の顔は、わずかにやつれた様子があった。
が、血色は良いようだ。
そしてその中には、どこか姉・詩織の面影もある。
伊織は言う。
「前の事件があって、皇都の屋敷を引き払うことになったのだ。これからは、南にいる縁者の家に住まわせてもらえるらしい」
「あ、そうか……」
応じる壱子の表情には、寂しさと気まずさが滲み出ていた。
壱子としては伊織が遠くに行くことになるというだけでなく、その原因の一端は壱子自身にあると思っているのだろう。
すると、伊織が慌てて言う。
「決して壱子を責めているわけではないぞ。私の父が、壱子や壱子の父に戦いを挑んだのがことの始まりだ。そして父は敗れ、私はその娘だった、というだけ。だろう?」
「しかし、私は──」
「もう言うな、壱子。確かに、私が水臥小路の娘で、壱子が佐田の娘だから、私らは離れ離れになってしまう。しかし、そうでなければ、私らは出会うことすら無かった。私はむしろ、壱子と出会えたことが嬉しい」
まっすぐに壱子を見つめる伊織は、じつに晴れ晴れとした笑顔を浮かべていた。
そんな伊織に、壱子はしばらく悶々としていた。
しかし、やがて意を決して伊織の手を取る。
「そうじゃな。お主の言う通り、別れを嘆くよりも、出会えた幸運を喜ぼう。道中、無事であってくれ。私も、遠くない将来にお主を訪ねる」
壱子は真剣な口ぶりで言う。
すると伊織は突然、吹き出して笑い始めた。
戸惑って、壱子は訪ねる。
「伊織、なにがおかしい?」
「いやなに、予想通りの反応だと思ってな。壱子は頭でっかちだからな、私が慰めてやらねば、きっと気を病んでしまうと思った。どうすれば壱子が納得できるか、朝霧と相談していた甲斐があったというものだ」
「……むぅ、そんなに可笑しいか」
「可笑しい。しかし、安心してくれ。一緒に朝霧も付いて来てくれるし、それに……」
言いよどむ伊織は、何を言おうとしたのだろう。
その悲しげな瞳から察するに、松月に思いを馳せているのだろうか。
壱子はどう返すべきか迷った。
その時である。
「壱子、いるか!?」
遠く、玄関の方から聞こえたのは、平間の声である。
間もなく、客間の障子が開き、息を荒くした平間が転がり込んでくる。
「ここにいたか。壱子、例の罠だけど、かかったぞ」
「ほう、存外に早かったな」
目を丸くする伊織をよそに、壱子は小さく鼻を鳴らした。
「で、何処にいる?」
「連れてきた。こっちだ」
平間は伊織に軽く会釈して、部屋から退出した。
状況が飲み込めていない伊織に、壱子は短く「まだ時間はあるか?」と訪ねる。
伊織が頷くと、壱子は彼女の手を取ったまま平間のあとに続いた。
──
佐田氏の屋敷には、庭に面した縁側がある。
そこに腰掛け、壱子は庭に座らされた人物に目を細めた。
「……どうしてアタシが縛られているんですかね」
まるで解せない、とばかりに、地べたに敷かれたゴザに座らされた紬は言う。
そのぐるぐる巻きっぷりは、かつての平間を彷彿とさせる。
不服そうな紬に、壱子は扇を手に口を開く。
「近衛府に手を回して、お主を手配しておったのじゃ。で、のこのこ関所に現れたお主を捕らえ、平間に連れてきてもらった」
「だから、どうしてアタシが手配されなきゃいけないんですか!」
「お主は私に何も言わずに去ろうとしていたじゃろう? 現に、お主が捕らえられたのは関所じゃ」
「うっ……でしたら、縄だけでも解いてくださいよ」
「ダメじゃ。逃げるものは縛り付けておかねば」
広げた扇を口元にあて、壱子は紬を見据える。
「して紬、なにゆえ私の元を去る? 挨拶も無しとは、つれぬではないか」
「いや、だってアタシ、結構壱子さまに酷いことしてますし……貧民街に誘い込んだのとか……」
「酷い? 何を言っておる、あんなのは大したことではなかろう」
「……壱子さまこそ、何を言っているんですか?」
「お主の罠はある程度目星がついていたし、怖くもなかった、ということじゃ」
「負け惜しみですか?」
「残念ながら違うのじゃ、これが」
ふふん、と鼻を鳴らし、壱子は楽しげに笑う。
「実は、近衛府に内通者がおってな。田々等というのじゃが」
「……それ、本気で言ってます?」
「無論じゃ。そもそも、近衛府に平間をねじ込めたのも、田々等の助力があったからこそのことじゃ」
顔を引きつらせる紬に、壱子はさらに続ける。
「その証左に、以前、田々等が私の屋敷を訪ねてきた時があったじゃろう? あの時、田々等は急に火薬の話題を出してきたり、『近衛府の情報収集能力は変わっていない』などと言っていた」
「それが何か?」
「少なくとも私の調べた限りでは、近衛府に紬ほど情報に通じた者はいなかった。それなのに『変わっていない』というのは、つまり、紬が相変わらず近衛府に出入りしていることを仄めかしていたわけじゃ。それに急な火薬の話題は、『これから火薬に関係した事件が起こるぞ』という事を暗に示している」
「まさか……」
「そして、実際その通りになった。しかも紬、お主が妙な動きで私たちを貧民街に誘いこもうとしていたから、何か罠があることくらいは見当がつく。私たちを捕らえようとしたのも田々等だったから、まあ危害を加えられることはないと思っておった」
「……吐き気がしますね」
「そう言うな。だいたい、私が安心できた理由は、お主にもあるのじゃぞ」
「どういう意味です?」
眉をひそめる紬に、壱子は微かに口角を上げた。
「言ったではないか。お主は私や平間のことが好きじゃろう?」
「……もう嫌いになりそうなんですが」
「それは困る。平間、紬の縄を解いてやれ」
壱子の言葉に、平間はうなずく。
身体の自由を手に入れた紬は、身体をさすりながら壱子に尋ねた。
「で、アタシを捕まえた本当の理由は何なんですか?」
じっとりとした目つきで言う紬に、壱子はしばし逡巡する。
「まあ、そうじゃな……平たく言えば慰留しようと思ったのじゃが」
「慰留? 行くなってことですか?」
「う、うむ」
歯切れ悪くうなずく壱子だったが、紬は苛立ちを露わにした。
「馬鹿なことを言わないでください! いくら何でも、アタシが壱子さまに何をしたのかくらい、理解しているんですよ!?」
「だとしても、私はお主には行って欲しくない」
「いいえ、そんなわけには行きません。少なくともある時点まで、私は壱子さまに危害を加える計画に加担していました。壱子さまを殺したふりをしたのだって、とっさの思いつきです。そんな人間をそばに置いていたら、いつかきっと命取りになります」
「でも、お主はもう裏切らぬじゃろう?」
「そういう話じゃないんです。心構えの話をしているんです」
「ならば、私も今は『紬に残って欲しい』という話をしている」
わざと会話を噛み合わせない壱子に、紬は苦い顔をする。
平間には、どちらかと言えば紬の言い分が正しいように思えた。
おそらく、紬にはもう壱子を危険な目に合わせるつもりは一切ないだろう。
しかし、壱子がいま無事でいられるのは、ほんの些細な偶然や気まぐれの積み重ねでしかない。
それなのに、なおも紬を近くに置いておこうとするのは、やはり危険だと言わざるを得ないだろう。
ただ、それを案じていることそれ自体が、紬に害意がないことの証明になっているのだが。
すると、紬は壱子の言葉を待たず、踵を返そうとする。
「とにかく、アタシは壱子さまに相応しくありませんので。挨拶をしなかった非礼はお詫びします。それでは」
「待て、紬」
「何度も言わせないでくださいよ。アタシには、もう壱子さまの近くにいる資格は無いんです」
「百歩譲って、資格は無いかも知れぬ」
「でしょう? だったら──」
「しかし、義務はある」
「……何を言っているんですか?」
怪訝そうに聞き返す紬に、壱子は真剣そうな表情を浮かべる。
「紬、お主には私のそばで働かなければならぬ。それは、私に金を返さねばならぬからじゃ」
「アタシ、壱子さまに借金なんかしていませんけど」
「いいや、している。忘れたとは言わせぬぞ。お主は私の元から、大量の火薬を盗んでいたことを」
「……あっ、その話します?」
ぎこちなく作り笑いをする紬に、壱子はおおげさにうなずいてみせる。
「無論じゃ。火薬は実に高価でな、その埋め合わせがなければ私の腹の虫がおさまらぬ。そこで紬、お主には盗んだ火薬分の代金を稼ぐまで、私のそばで働いてもらう」
「それ……、何年かかるんですか」
「お主の働き次第じゃな。しかし安心せよ、衣食住は支給するし、欲しければ小遣いもやろう。ああ、たまに私と菓子を一緒に食べることも出来るぞ」
「……」
「どうじゃ。これでも駄目か」
さきほどとは打って変わって、壱子の目には切実な色が宿っていた。
平間は直感で、もし紬がなおも首を縦に振らないのなら、壱子は諦めるのだろうと思った。
……すると、紬は小さく笑い始める。
「ふふ、あはは、あははは! まったくもう、本当に壱子さまったら!」
しばらくの間、紬は一人で腹を抑えて笑い続けていた。
そして目に|涙$のちに平間が紬に訪ねると、「笑いすぎたんですよ」と答えた。$を浮かべて壱子を見つめる。
「あーあ、そこまで言われたら断れないじゃないですか。でも、その調子だと本当に背中を刺される事になりますよ」
「そうならないためのお主や、平間じゃろう。違うか?」
「間違いありません。まあ、せいぜい全力でお仕えさせていただきますよ」
そう言って、紬はやれやれと肩をすくめる。
壱子はホッと息をつき、平間に視線を向けて微笑んだ。
「ところで伊織さま、松月くんとは一緒ではないのですか?」
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