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わがまま娘はやんごとない!~夢幻の暗殺者と虚空の双姫~  作者: 八山たかを
第2章「堕つ双月、啼くは絶花の狂い咲き」
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第44話「仔兎の知恵と蜘蛛の糸」


──


 巻向(まきむく)(つむぎ)は、自分の名を知らない。

 いや、正確には、自分が親に付けられた名を覚えていないのだ。


 その理由は、「紬」は彼女が禿(かむろ)となった時に付けられた名前だったから。

 それに加えて、彼女が数えで五つの時にはもう、既に親元を離れて暮らしていたからだ。


 そんな生い立ち(ゆえ)に、紬の両親に関する思い出は少ない。

 例えば紬が母親について知っていることは、貧者の森で男に身体を売って暮らしていたことくらいで、父親に至っては、顔も名前も知らない。


 かくして、紬は自分の幼少期について知っていることはほとんど無かった。

 ただ、紬がごくごく当然のように花街の禿(かむろ)となっていたことを鑑みるに、おそらく母親によって売られたことは間違いないのだろう。


 ところで、自分が親に売られたことを知った娘は、多くの場合嘆き悲しむ。

 しかし紬は、自らの境遇を悲観していたわけでなかった。

 むしろ、彼女は持ち前の明るさと要領の良さを発揮して花街でも上手く立ちまわることが出来たし、食事だって()びしさを感じない程度にはもらえた。

 確かに、世間一般では遊女に対する風当たりは強い。

 だが紬にとっては、花街はありふれた場所であり、遊女となることにも抵抗を感じなかった。


 縫春(ほうしゅん)という名の遊女がいた。

 彼女は、紬が初めて身の回りの世話をすることになった相手である。

 紬より十歳年長の縫春は、決して美人ではなかったが、その気立ての良さから、多くの上客に愛されていた。


 紬は利口な子供だった。

 そんな紬を縫春はいたく気に入って、二人はすぐに打ち解けた。

 紬ははじめは親から貰った名を名乗っていたが、縫春の発案で「紬」と改めた。

 もちろん、「糸」の部分は縫春の名から由来している。


 紬の仕事ぶりは、すこぶる勤勉だった。

 縫春がよく褒めてくれたというのもあるだろうが、恐らく紬の気質そのものが真面目だったのだろう。

 姉のように慕う縫春が貴種病(アレルギー)を患っていると知るや、彼女の食事に非常に気を使い、これまで度々あった発作も、以後はほとんど出ることが無くなった。

 店に何人かいた禿(かむろ)の中でも、紬は一目置かれる存在となった。


 ……のだが、間もなく、紬は偶然にも別の才覚を発揮することになる。

 ある商売を、思いついたのだ。


 その商売とは、遊女たちの趣味趣向を聞き出し、客にこっそり売るのである。


 きっかけは、ほんの些細なことだった。

 ある時、客が上級の遊女の不興を買い、がっくりと肩を落としていた。

 それを目撃した紬は、遊女の贈り物は何が良いか耳打ちしてやったのである。

 単に同情と親切心からの行動だったが、その客はたいそう喜んで、紬に小遣いをくれた。

 別の日、別の客に同じようなことをすると、また小遣いをくれた。

 紬は、この商売のとりこになった。


 ”商品”の入荷は容易だ。

 人好きする性格の紬は、遊女たちの世話をしながら話しかけるだけで良い。

 客は向こうから来る。

 花街で情報を扱う仕事は、おそらく紬の天職だったのだろう。


 それからしばらく経ったころ、紬の商売が縫春(ほうしゅん)に知られてしまった。

 何となく後ろめたい気持ちを持っていた紬は、縫春に叱られると思った。

 が、その予想は外れた。


 自分の禿(かむろ)が非常に賢いことに気付いた縫春は、積極的に教育を施すようになったのである。

 それは男好きのする言葉遣いや(たたず)まいが主だったが、それ以外にも、紬はこの時に皇国の一般常識も身に付けることが出来た。


 さらに時は流れ、紬が十歳になったころのことである。

 日頃の真面目な働きぶりをたたえて、店主の婆が一日の暇をくれた。

 紬は花街での暮らしに不満がなかったが、ただ一つだけ、気がかりなことがあった。


 それは、母親の存在である。

 このことを婆に話したら、彼女は目付け人を付けることを条件に、紬が花街の外に出ることを許可してくれた。

 目付け人は、鼠爺(ねずみじい)の名で呼ばれる好々爺(こうこうや)である。


 紬はもう何年も母と会っていなかったが、彼女は同じような場所で同じようなことで稼ぎを得ていたから、所在はすぐに掴めた。

 久しぶりに顔を合わせた母は、今にも崩れそうな家で紬を歓待してくれ、芯のある少女に育った娘をしきりに褒めた。

 そして、こう言ったのである。


「やっぱり、あなたを売ったのは正解だった」と。


 その言葉は、紬の心に(やじり)のように突き刺さり、引っ掛かった。


 紬はまだほんの子供だったが、すでに一般常識として「喜んで娘を花街に売る親はいない」ということを知っていた。

 それは縫春が直接的に教えたわけではなかったが、彼女が花街に来た経緯(いきさつ)を語る際にとても悲しい目をしていたのを、紬はよく覚えていたのである。

 また以前、娘を花街に連れてきては何もせずに帰ってゆく父親らしき男の姿も、紬は何度も見たことがあった。

 そんなことがあったから、紬はそれまで、漠然と「母は後悔しているのだろう」と考えていたのである。


 なのに、なぜ母は嬉しそうなのか。

 むしろ誇らしげですらある母を眺めて、紬は首をひねる。

 いくら遊女に対する偏見が無いとは言え、紬とてより華やかな暮らしを夢見たこともあったのだ。


 歯抜けた口で笑う母の姿に、紬はある真実にたどり着く。


──ああ、母は単に、無知なのだ。


 間違いなく、娘を売るのは恥ずべき行為だ。

 しかしそれも知らぬから、あるいは自分という物差ししか持たぬから、母はこうして笑っている。

 紬は母を軽蔑こそしなかったが、しかし、絶対に彼女のようにはなるまいと決意した。


 その決意を作り笑いの下に隠して、紬は花街に戻った。


 この日を境に、紬は「知る」ということに執着するようになった。

 書物は高価だったから、学問的な知識はあまり手に入らない。

 だから手本としたのは、縫春を始めとした遊女たちや、彼女らのもとを訪れる客たちだ。

 そうして、紬はより深く世の道理を理解するようになった。


 加えて、紬が積極的に集めたのは「他人の秘密」である。

 秘密の多くはゴミのような価値しか持たないが、上手く扱えば万金に値する。

 そして、得た金はさらなる情報を得るのに役に立った。

 誇りと知恵のない者ほど、容易に金で情報を吐く。

 また、より多くの情報はより高い価値を持つということに、紬は気付いた。

 そうして得た金を、紬は密かに蓄えていった。

 その金の存在は、恐らく縫春ですら知らなかっただろう。


 紬は「人が知らないことを知っている」という優越感と、呪いのように網膜に焼き付いた痩せた母の面影によって、次第に情報と金の持つ力に魅入られていった。


──


 そんな折、縫春(ほうしゅん)身請(みう)(ばなし)が立ち上がった。

 紬が十二歳、縫春は二十二歳の時である。


 相手は大貴族の御曹司(おんぞうし)で、哀れな身の上の縫春に同情し、彼女を妻に迎えたいと申し出たのである。

 しかもその待遇は(めかけ)ではなく正室であり、端的に言ってこれ以上無い話だった。


 もちろん、紬も縫春の好みを御曹司に耳打ちして二人の仲を取り持ちながら、たっぷりと礼を貰っていた。

 身請け金も弾むとあって店主の婆も乗り気であり、何より縫春自身が心優しい御曹司に惹かれていた。

 二人が結ばれるのも時間の問題……かと、思われた。


 いつものように御曹司が縫春のもとを訪れたある日、紬は酒と小料理を届けて部屋から退出した。

 その後、洗濯などの雑事を片付け、そろそろ御曹司の帰る頃合いだと気付いた紬は、ふたたび縫春の部屋の前に立ったのだが……。

 何かがおかしい。 


 縫春の部屋から物音が”しない”のである。

 いつもの二人であれば、事を終えると話好きの縫春がしきりに話しかけ、それを物静かな御曹司が相槌を打っていた。

 それなのに、ささやき声すら聞こえない。

 何かあったのだろうか。


 不審に思ったが、中の様子を伺うべきか、紬は迷った。

 御曹司が訪れているとき、縫春は何人足りとも部屋に入れようとはしない。

 それは気を許した紬とて例外ではない。


 紬の胸はざわつく。

 男女の仲ならば、二人で静寂を楽しむこともあるかも知れない。

 しかしこの日は……どうにも嫌な予感がした。

 なんとも表現しにくい感覚だが、部屋の中から生気が感じられないのだ。


 ひとしきり逡巡してから、紬は直感を信じることに決めた。

 縫春の部屋の障子に手を掛け、思いっきり……ではなく、静かに隙間を作って覗きこむ。


 真っ先に目に飛び込んできたのは、御曹司の背中だった。

 座ったままうつ伏せに倒れこむ姿勢のまま、彼はピクリとも動かない。

 紬の顔から、血の気が一気に引いた。


 慌てて障子を開け放ち、紬は部屋に飛び込む。

 縫春は……壁にもたれたまま、ぐったりと目を閉じていた。

 紬が駆け寄るが、どんなに揺さぶっても、声を掛けても、縫春は目を覚まさない。

 その時、紬は縫春のかたわらに、酒器が転がっていることに気付いた。


 紬は必死に涙をこらえ、店主の元に走った。


──


 結論から言えば、酒に毒が入っていた。


 二人の内、御曹司は息絶えていた。

 縫春は辛うじて命を取り留めたが、息だけはしている状態で、呼びかけに応じることはなく、目も開けなかった。

 医者にも()せたが、手の施しようが無いと匙を投げられてしまった。


 酒は店が用意したものだったが、誰かが毒を混ぜた痕跡もなかったから、偶発的な事故だったのだろうという結論に落ち着いた。

 醸造や保管の仕方によっては毒が生える事がある、と婆は話していたものの、紬はどうしても納得できなかった。

 縫春が貴種病に(かか)っていることが原因かとも考えたが、御曹司が同じように死亡していることが説明できない。


 幼い紬にとって唯一の救いは、目を覚まさないにしろ縫春がまだ生きていることだった。

 が、店主が縫春に下した決定は残酷なものだった。

 店主は花街を取り仕切るならず者たちに、動けなくなった縫春を山(※)に捨ててくるように言った。

 山とはいわゆる姥捨山うばすてやまのことで、つまり、縫春をこのまま死なせろというのである。


 当然、紬は反発した。

 なんとかして縫春の看病をさせてもらえないか、と店主の婆に直談判した。

 そのための費用を自分が稼ぐ、とまで紬は申し出たが、婆は首を縦に振ろうとしない。

 店には稼げぬ病人を養う義理は無く、また病人の世話にはとてつもない額の費用がかかるからだ。

 その正論の前には、紬も従うしか無かった。


 彼女がこっそりと貯めた金でさえ、縫春の高額な薬代を賄うには、到底足りない。

 他にもあの手この手で縫春を救う方法を探したが、一向に光明は見えなかった。


 八方塞がりの紬は、肩を落として花街の通りの端に座り込んでいた。

 すると、「貴人の使い」を名乗る女が現れる。

 その女いわく、「自分の主が会いたがっている」のだという。

 半ばやけっぱちになっていた紬は、深く考えずにその女に付いていった。


 紬が導かれた先は、荘厳な大邸宅だった。

 そこに待ち構えていた男の顔を見て、紬は驚いた。

 男は、これまで何度か客として店に現れたことがあり……死んだ御曹司の父親だった。


 彼は、憔悴(しょうすい)しかけていた紬にこう申し出た。


「君の慕うお姉さんは、我の息子が愛した女性だ。だから、彼女を我のもとで養ってあげても良い。その代わり、君は間諜(かんちょう)として我に仕えてくれ」


 紬は独自に調べて、御曹司の家の財力を把握していた。

 その申し出に、紬は一も二もなくうなずく。


 男の名は、水臥小路惟人といった。


──


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