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わがまま娘はやんごとない!~夢幻の暗殺者と虚空の双姫~  作者: 八山たかを
第2章「堕つ双月、啼くは絶花の狂い咲き」
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第42話「無垢なる乾きと華の夢(解決編・参)」


 すると、壱子が口を開いた。


作話(さくわ)じゃな、やはり」

「さくわ? 壱子、何だそれは」

「作り話のことじゃ。恐らく、毒殺事件の折に『毒を盛る侍女を見た』というのも、作話の可能性が高い。これは失った記憶を補うために、お母上殿が自分で創りだした話を口にしているのじゃ」

「記憶を失った……? 壱子まで何を……何を言っておる」


 冗談はやめてくれ、とでも言いたげに、伊織は半笑いで壱子に言う。

 が、壱子は淡々と言葉を並べていく。


「伊織、私は以前、お主の献立表に目を通したことがあったじゃろう。その時、ついでにお母上殿の献立も確認したのじゃが……米以外のものを、ほとんど口にしておらぬじゃろう? それこそ、例の毒味くらいしか」

「あ、ああ、確かに母上は米しか口にせず、あとは残す。毒の事件が終わってからは、特に……あ、でも他に摂っているものもあるぞ!」

「酒じゃな。献立表にも書いてあった」

「う、うむ。しかし、酒は身体に良いと聞くが、何か問題でもあるのか……?」

「量じゃ。ほぼ毎晩|一升"1800ミリリットル程度。醸造技術が未発達で度数が低いことを踏まえても、明らかに飲み過ぎだと言える。”前後飲んでいる。いくら『酒は百薬の長』と言っても、ここまでの量は身体に害になる。朝霧、お主を責めるわけではないが、誰も止めなかったのか?」

「……お止めしても、聞き入れていただけなかったので。ご心労も多いようでしたし……」

「そうか」


 短く言って、壱子は息をつく。


「酒の飲み過ぎは、実に多様な症状を引き起こす。その中で、長く酒を飲んでいた者に起こりやすい症状は、記憶障害とそれに伴う作話がある。さらに、時間や場所、人物が分からなくなってしまうことも多い。伊織、そのような経験はないか?」

「言われてみれば……何回かそんなことがあった。外出した先で、何処に来たのか忘れてしまっていたり……疲れているだけかと思っていたが……」

「さらに言えば、酒の多飲で被害妄想が起こることもある。毒殺事件も、『誰かに伊織が狙われている』という妄想によって大事(おおごと)になったと言えるかも知れぬ。あとは、歩きにくくなったり、足がむくんだりもする。これは飲み過ぎに限った話ではないが」

「治す方法は、無いのか?」

「酒を止め、米以外のものをきちんと食すことじゃ。完全に治る保証は無いが、それでも改善はするはずじゃ」


 壱子が言うと、伊織は安堵したようだった。

 それを見て、壱子が再び口を開く。


「では、話を戻そう。

私たちが射月の遺体を発見した直後、お母上殿は『壱子(わたし)が犯人だ』という趣旨の発言をした。

きっと、お母上殿は犯人の姿を見ていたのじゃろう。

が、記憶が消えてしまった。

そこで慌てて、『壱子(わたし)が逃げていった』という作話をしたのじゃ。

多分、そこには何の意図も無かったじゃろう。

しかしその時、侍女の皆はこう思ったはずじゃ。

『ああ、お母上殿は犯人を(かば)うつもりなのだな』と。

その結果、侍女は誰一人として本当の犯人の名を告げられなくなった」


 そう言って、壱子はチラリと朝霧を見る。

 すると、朝霧は申し訳無さそうにうなずいた。


「事件の直後、若い侍女の一人が私に相談してきました。本当は射月さんの遺体を運ぶのを見たが、口には出来ない。自分まで殺されるのではないか、と怯えて……その侍女には、今は暇を取らせています」

「そうか」


 朝霧の言葉に、壱子はうなずく。


「では、もう言うことはあるまい。この屋敷で、お母上殿が庇うであろう人物は誰か。伊織は私と一緒にいたから、犯人候補から除外される」


 壱子は無感情に言った。


「以上のことから、お主が射月を殺した犯人ということになる。何か不備はあるか?」

「……いいえ」


 歯噛みをして、詩織は首を横に振った。


──


────


──


 水臥小路詩織のこれまでの人生を、もし一つの言葉で表現するのなら。

 それは「孤独」こそがふさわしい。


 幼い頃より、詩織は大人びた少女だった。

 勿論そこには生まれ持った個性の影響もあったろうが、しかし最も大きな要因は、「子供らしく振る舞っても何ら良いことがなかったから」である。


 はじめは、ほんのささいな出来事だった。

 幼い詩織は、妹に対して大人びた振る舞いをすると、周囲がよく褒めてくれた。

 そこには、妹が病気がちだったという理由もあったかも知れない。

 嬉しくなった詩織は、さらに妹を気遣って、どんどんと「身体の弱い妹を思いやることの出来る、手のかからない子供」になっていった。

 母親は、次第に妹につきっきりになり、詩織に興味を示さなくなった。


 しかし、詩織も人の子だ。

 いくら大人びているとは言え、母親の愛情や触れ合いを求めた。

 だが、妹にばかり目を向ける母親からは、一向にそれらの温かいものは与えられなかった。

 だからと言って、父親はほとんど詩織のもとに現れることもなかった。

 その代わりに侍女たちはよく世話をしてくれたが、詩織は、ただただ肉親のぬくもりだけを求めていた。


 そんなある時、台所をうろうろしていた詩織が、着物の袖を焦がしてしまったことがあった。

 すると偶然そこに母親が居合わせ、詩織の不注意を激しく叱ったのである。

 普通の子供であれば、叱られると悲しみ、あるいは怒り、負の感情を抱く。

 しかし詩織は……母親が自分に関心を向けてくれたことを、純粋に喜んだのである。


 その詩織が、好ましくない行動によって母親の気を引くことを覚えるのは、時間の問題だった。


 詩織は、頻繁に母親にいたずらを仕掛けるようになった。

 そのたびに母親は詩織を叱り、嫌悪し、同時に妹への愛情を深めていった。

 妹の振る舞いは幼稚だったが、体調を崩しやすく、適度に庇護欲をくすぐった。

 はたから見れば、その変化は容易に想像が出来ただろう。

 しかし、詩織はまだ幼かった。


 結果として、詩織は自分を嫌う母親を嫌いながらも、その愛情を求めるという矛盾を抱えることになった。

 その矛盾にもがき苦しみながら、詩織は次第に攻撃的な性格を(つちか)っていく。

 侍女たちに当たり散らすようになり、次第に詩織の周りからは、人がいなくなった。


 ある時、父が愛玩動物をくれた。

 詩織は素直に喜んだ。

 が、父親はそれ以降、詩織と関わろうとしなかった。

 単に、彼が娘に関心を持たなかったのだろう。


 ところが、詩織はあることに気付いた。

 父から貰った動物を、詩織が不注意や世話の不備でそれを死なせてしまうと、父が新しい動物を贈ってくれるのである。

「お父様は、私を気にかけてくれる」。

 それがたまらなく嬉しくて、詩織は次から次へと贈られた動物を殺した。


 また命を潰すことで、「これは自分のための命だったんだ」と言う気持ちになった。

 何とも言いがたいその満足感が、空虚な心が満たしてくれるような気もした。

 至極当然の帰結として、詩織は弱いものを虐め殺すようになった。


 間もなく、都合の良い侍女も手に入った。

 卑しい生まれの侍女は、詩織のことを好いていたようだった。

 そんなことは詩織はちっとも喜ばなかったが、しかし、悪い気もしなかった。


 だが何より良かったことは、詩織がいくら傷めつけても、少し年上の侍女はまるで嫌がらなかったことである。

 それでもきちんと痛がる様子は見せたから、詩織の心も少し満たされた。

 また年上の侍女は、詩織以外の人間の前では、何事もなかったように振舞っていた。

 その姿を見ると、何故だか詩織はひどく胸が高鳴るのを感じた。


 そうして、侍女を痛めつけ、思い出した時に大嫌いな母親や妹に嫌がらせをするのが、詩織の日課になった。


──


 詩織が数えで十五になった年。

 他の貴族の姫君たちと同様に、詩織は初めて房中術$ぼうちゅうじゅつ。男女の交わりに関する技法$に触れることとなった。

 何事も人より早く習得できる性質の詩織は、熟年の侍女が教える房中術も、難なくものにすることが出来た。

 そして気まぐれに父親を誘惑し、籠絡することに成功した。


 動物を与えられるよりずっと多くの充実感に、詩織は感動すら覚えた。

 もちろん人の道に反することは理解していたが、これまで何度も繰り返した殺生も人の道に反する行為だったがら、特に抵抗は感じなかった。

 それどころか、父親は妹より自分を大切にしているという優越感があり、第二皇子の蘭宮の元へ嫁ぐ事になった時は、「自分は父に捨てられたのだ」と感じて落ち込む始末だった。


 その父親を、都合の良い侍女が横取りした。


 絶対に許せなかったから、侍女はすぐに殺した。

 しかし、人間を殺したことのなかった詩織は焦り、怖くなった。

 なるべく侍女を殺した事実を遠ざけたくて、死体は中庭に捨てた。

 そのとき一人の侍女と目が合ったが、彼女は何も見なかったかのように目をそらした。

 母親にも見られたが、彼女は驚いただけで何も言ってこなかった。

 少しだけ、詩織は落胆した。


 死体を捨て終えて自室に戻ると、間もなく大きな悲鳴が響いた。

 心臓が大きく鼓動をはじめ、詩織は全神経を研ぎ澄ませて聞き耳を立てた。

 すると、予期せぬ展開になった。


 母親が、詩織を庇ってくれたのである。


 詩織はひどく心が満たされた。

 涙があふれ、止まらなくなった。

 あれだけ憎み憎まれていた母は、それでも自分を気にかけてくれた。

 生まれてから今までの孤独が癒やされるような、そんな心持ちがした。


 しかし、それは気のせいだったらしい。


 母親は、自分が何を見たのかすら覚えていなかった。

 最初から最後まで、母親は詩織のことを見ていなかったのである。

 ぬか喜びしていた自分をあざ笑う気力すら、もう詩織には残されていなかった。


 目の前の偉そうなよく分からない娘は自分に同情しているようだったが、余計なお世話だった。


 都合の良い侍女も、自分が殺してしまった。

 もう何も、自分には残っていない。

 いや、最初から自分は何も持っていなかったのかも知れない。


 十七年の生涯で初めて、詩織は自分の生まれを呪った。

 生まれて初めて知った母親の愛情の片鱗ですら、彼女は大切にすることを許されなかったのである。



──


────


──


 双子姫の屋敷を出て、壱子と平間は水臥小路惟人のもとへ向かっていた。

 自分の罪を全て認めた詩織は、壱子が尋ねるとあっさり父親の居場所を吐いた。

 案内役は、朝霧が買って出てくれた。


 夜の皇都を抜け、壱子たちは水臥小路惟人の住む屋敷に向かう。

 途中、何度も衛士たちに合ったが、伊織が書いてくれたニセの紹介状を示すと、衛士たちはすんなりと騙されてくれた。

 門をくぐったところで、朝霧は伊織の元へ帰っていった。


「いるのじゃろう、紬」


 静まり返った屋敷で、壱子はささやくように言う。

 すると、廊下の奥で小さな(あか)りが揺れた。


「勿論です、壱子さま、京作さま」


 火の入ったを行灯(あんどん)を手にして、紬は柔らかく微笑む。


「待っていましたよ。さあ、お二人の最期を、見届けさせてください」


――

 補足です。

 今回、双子の母親が罹っている病気は、コルサコフ症候群をモチーフにしています。


 コルサコフ症候群は、ビタミンB1というビタミンが慢性的に不足することによって生じる精神神経疾患です。

 いわゆる認知症の一つであり、記憶力に障害が出ることがメインになります。

 失った記憶を補うために作り話をする、というのは、本文で触れた通りです。

 症状は不可逆で、つまり、元の状態に戻ることはありません。


 ビタミンB1は豚肉などに多く含まれ、炭水化物をエネルギーに変える過程で消費されます。

 そのため、ビタミンB1を含む食品を摂らなかったり、炭水化物を多く摂取したりすると、ビタミンB1欠乏症に陥ってしまうことがあります。

 また、大量の飲酒もビタミンB1欠乏を引き起こしやすいと言われています。


 ビタミンB1が足りなくなると、コルサコフ症候群の他に、脚気やウェルニッケ脳症といった疾患を引き起こします。


 特に脚気は、昔の日本人がコメ中心の生活を送っていたことから、多くの人々を苦しめてきたと言われています。

 小説家で軍医だった森鴎外も、脚気への対応に苦慮したことで知られていますね。

 その辺りのエピソードは非常に面白いので、ぜひ一度調べてみてはいかかでしょうか。

 軽空母・龍驤なども登場しますので、軍艦マニアの方にもおすすめです。


 ちなみに皇国では、さすがにビタミンの存在は知られていません。

 ただ、「なんか米ばっかり食っているとボケるのが早い」だとか、「酷い酒飲みは適当な事ばかり言う」といった事実は、何となく知られていました。


 こう言うと単純そうですが、史実で脚気の原因が明らかになり始めたのが明治時代だったと考えると、かなり飛躍した知識だと言えるかもしれません。

 同じビタミン欠乏症である壊血病(ビタミンC欠乏)が予防されたのはそれよりも100年ほど前ですが、それでも18世紀の出来事です。


 いずれにせよ、バランスのいい食事を心がけていれば、これらの疾患にかかることは基本的にはありません。

 医食同源とはよく言ったもので、自分も気を付けたいと思います。

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