第41話「座敷童と蜃気楼」
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床に座り込んで子供のように笑う詩織を、壱子はただただ無表情に見下ろしていた。
すでに、大勢は決している。
客間に集った人間たちは、壱子の作り出す空気によって支配されていた。
伊織もその母親も、今となっては壱子に危害を加えることを赦さないだろう。
こうなっては、詩織が子飼いの兵士たちに命じたとしても、壱子には傷ひとつ付けられない。
「それでは、もう終わりにしようか」
壱子はそう言って、平間に視線を向けた。
確かに、もう”勝負”は付いている。
しかし平間には、まだ一つ引っかかっている事があった。
そしてそれは、伊織も同じだったらしい。
「壱子、まだ射月の事件が解決しておらぬが」
「解決してはいないが、解決する必要があるか?」
「何を言っておる、あるに決まっておろう! 人が一人死んでいるのだぞ!」
語気を強める詩織に、壱子は申し訳無さそうに言う。
「伊織、私は射月の命を軽んじて言ったわけではない」
「ならば、どういうことだ」
「もうこの事件は”解決済み”なのじゃ」
短く言って、壱子は小さく視線を動かす。
「そうであろう?」
壱子の見つめる先には、客間に居合わせた侍女たちの姿がある。
彼女らを代表して、朝霧が壱子に答えた。
「何のことでしょう?」
「”もう”とぼける必要は無い。初めからおかしかったのじゃ。射月の亡骸が見つかったあの時間帯に、誰にも見られず死体を運ぶことなど不可能じゃ」
「たしかに、あの時間帯には多くの侍女が行き交っていました。ですが、何か仕掛けを作れば、不可能では無いのでは?」
「不可能ではないが、現実的でもない」
「どういう意味です?」
「その説明のためには、まずこれを見てもらおう」
そう言って、壱子は懐から一通の書状を取り出した。
朝霧はそれをうやうやしく受け取って、中身に目を通す。
「書状です。差出人は……忌部省の長・脛折様という方です。内容は、射月さんの腑分けについての見解が書かれています」
眉根を寄せて、朝霧は続ける。
「専門的なので完全には分かり出来ませんが、要するに、射月さんは首を絞められて亡くなったのではなく、溺れ死にしたのだとあります。そして、身体には無数の傷痕があり、日常的な暴行を受けていた可能性がある、とも……。壱子さま、この理解でよろしいですか?」
「ああ、文句の付け所が無い。素晴らしい」
「お褒めに預かり光栄です。ですが、このことと『射月さんの遺体が誰にも見られずに中庭に運ばれたこと』との間に、何か関係があるんですか?」
「ある。その関係は、犯人の心理状態を考えることで見えてくるのじゃ」
そう言って、壱子はおもむろに平間に歩み寄る。
何をするのかと平間が不思議がっていると、壱子はむんず、と平間の髪を掴んだ。
そして無理やり、平間の頭を前傾させる。
「犯人はまず、射月を溺死させた。
襟元に微妙なシミが付いていたことから、恐らくこのようにして殺したのじゃろう。
しかしその直後、犯人は射月の首を締め直してもいる。
このようにな」
壱子は平間の髪から手を話すと、今度は後ろから紐で首を絞める真似をしてみせる。
分かりやすさのためとは言え、扱いがあまりに雑ではないか。
そう平間は思ったが、言っても仕方がないので黙っておく。
壱子は続ける。
「では、ここで問題じゃ。なぜ犯人は、わざわざ溺死を縊死――つまり首を絞められて死んだように見せる工作をしたのじゃろう?」
その問いかけに、客間にいる者達は皆、沈黙する。
なぜなら、「誰も答えが分からなかった」からだ。
重苦しい空気に耐えかねて、伊織が口を開いた。
「分からぬ。壱子、いじわるをせずに教えてくれ」
「よし。では、常識的に考えよう。犯人が工作をする理由は、基本的には一つしか無い」
「自分が犯人だと思われないように、だろう? それくらいは分かる。しかし、水に溺れて死んだ者を、首を絞められて死んだように見せかけても、何も良いことはないのではないか? 池や水なら、この屋敷にいくらでもあるし、首を絞める紐だって──」
「その通りじゃ、伊織。それこそが答えじゃ」
「……何を言っておる?」
訝しむ伊織に、壱子はつまらなさそうに言う。
「偽装が何かを変えることはなかった。
あまりに稚拙で、無意味なのじゃ。
となると問題は、なぜそのような偽装をしたのか、ということになるが……。
その理由はただ一つ、”方法は分からないか、何かを変えたかったから”じゃ。
ここには、犯人の大きな戸惑いと、焦りが見て取れる」
「消去法、というわけか」
「的確な表現じゃな、伊織。では、戸惑い、焦っていた犯人が、『誰にも見られずに死体を中庭に運ぶ方法』を思いつき、実行するじゃろうか?」
「……無理だな」
「そう、無理なのじゃ。しかし、実際には”誰も見ていない”。これは一体、どういうことじゃろう?」
微笑すらたたえながら、壱子は伊織を見つめる。
すると、しばしの間を置いてから伊織は言った。
「まさか……本当は犯人の姿を見ていたが、黙っているのか?」
「まさしくその通り。じゃろう? 朝霧」
壱子の視線を受け取った朝霧は、気まずそうに目をそらした。
図星、なのだろう。
そんな彼女に助け舟を出したのは、伊織だった。
「壱子、朝霧が理由なくそんなことをするとは思えぬ。何か事情があったはずだ」
「確かにそうじゃな。そして、その事情とは……お母上殿、あなたの発言じゃ」
「……私? 何か言いましたか」
要領を得ない母親の返事に、壱子は何故か苦い顔をした。
「やはり覚えておられぬか……。
お母上殿、あなたはあの時、『私が逃げ去るのを見た』と言ったのじゃ。
絶対に、そんなことは起こりえぬにも関わらず、な」
「それは私も不思議に思っていた。壱子はずっと私と一緒にいたし、射月を殺せるはずもない。母上、なぜそんなことを言ったのだ?」
「……ああ、思い出しました。あの時、壱子さんは伊織と隠れん坊をしていたでしょう? 見つかってはまずいと思って、別の方向に逃げたと言ったのです」
「母上……? 何を言っておるのだ、私はもう何年も隠れん坊などしておらぬぞ……?」
ぎこちない笑みを浮かべる母親に、伊織は怯えた表情を見せる。
すると、壱子が母親に尋ねる。
「お母上殿、十年前の今日、大事なことが起こったのは覚えておられるか」
「十年前……?」
平間には、壱子がなぜそんなことを尋ねるのか分からなかった。
十年前といえば、壱子はまだほんの小さな子供だ。
いくら記憶力が良くても、そんな昔に水臥小路家で起こったことを覚えているはずがない。
そして同時に、伊織の母親自身も、何があったかなど記憶にないだろう。
しかし、母親ははっきりと答えた。
「その日は確か、座敷童と初めて出会った日ですね。驚いたので、よく覚えています」
彼女は何を言っているんだ?
平間には、まるで理解できない。
座敷童の話など、いままで一度として出て来ていない。
しかも、座敷童は想像上の存在にすぎない。
それを見たかのように語るなど……、とてもじゃないが、正気とは思えなかった。
伊織も、混乱した目で母親を見つめる。
すると、壱子が口を開いた。
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